民族の祭典

 

オリンピック秘史: 120年の覇権と利権

オリンピック秘史: 120年の覇権と利権

 

  IOCトーマス・バッハ会長は20154月に国連で演説し、オリンピック・ムーブメントと政治の関係について語った。「普遍的なスポーツの法」を引き合いに出し、「政治介入」が「フェアプレー、寛容、差別禁止という基本原則」をむしばみ、この方を脅かしかねないと述べたのだ――IOCの昔からの主張である。だが、バッハ会長はこんなことも口にした。「スポーツは、政治的に中立でなければならないが、政治と無関係なわけではない。スポーツは、社会という海の孤島ではないのだ」。現在のIOCはいつもの主張の言い回しをアップデートし、少しのニュアンスを加えたのである。

 今日、国際オリンピック委員会はオイルをたっぷり差された機械のように絶好調で、大衆受けするPRを打ち、スイスのローザンヌに豪華な本部を構え、約10億ドルの資産をたくわえている。IOC加盟国は国連加盟国の193ヵ国を上回る206ヵ国にのぼる。アメリカ政府はオリンピックを秘密工作[イランの核施設へのサイバー・アタック]の名称に用いている。オリンピックという一大勢力に、われわれは真剣に目を向けるべきなのだ。さあ、いまからそれを始めよう。

 

 2012年のロンドンに際しては、全長400キロにもわたる専用車線が設けられた。選手、医療関係者、警備……このあたりにあてがわれるのは競技の進行上、分からないではない。しかし、公道をはばかることなく独占するこのリストにスポンサーが加わるとしたどうだろう。

 2016年のリオデジャネイロでは、絶滅危惧種が数多生息する保護区域にゴルフ場が新設された。引き受けた業者は、その費用の全額を負担する代わりに、コース周辺に併せて建設される高級コンドミニアムの受注権も手に入れた。

 ――と、近年の商業主義をめぐるドキュメントとしても相応の読み応えは認められる。だが、今さらとりわけこの日本において、それしきの「祝祭資本主義」の実態とやらに誰が驚きや怒りを見出すだろう。

 そんな飼い慣らされ切った人々が、自らの慰めとして逃げ込むだろう先といえばおなじみの昔はよかったね幻想。広告代理店もスポンサーもなきに等しい、拝金主義の悪臭漂わぬ「参加することに意義があ」った過ぎ去りし日々を思い出せ、とでものたまってみるか。

 とんでもない。近代オリンピックには、クーベルタンのはじめからして、クズのクズによるクズのためのカーニバルでない瞬間などなかった。傍証に以下、そのほんの一例をお目にかけよう。

 そもそも、商業主義の対極として描かれるだろう例のアマチュア規定からして、始祖の差別意識を凝縮していた。「肉体労働によって賃金を得ているものは、スポーツに関与しているか否かにかかわらずプロと見なされたので、オリンピックの参加を認めてもらえないことになった」。つまり、参加資格は有閑階級限定、「アマチュア」とは労働者階級への「管理と排除のイデオロギー」に過ぎなかった。

 万博の片隅で開かれた1904年のセントルイスでは、「人類学の日」なるイベントが設けられた。「人類学の日は、陸上競技などの種目で人種および民族の集団同士を競わせ、スポーツ選手としての素質にもっとも恵まれているのはどの集団かを調べる催しだった。……『先住民が生まれつき知的、社会的、認知的、道徳的に劣っていることを証明する催しだった』」。そして何が起きたか。「ルールは明快に説明されないままだったが、無理もなかった――主催者側は言語の壁を乗り越えようとしなかった。しかも、先住民の選手は練習させてもらえなかった」。彼らは競技の趣旨すら分からぬまま短距離走のスタートラインに立たせられ、見たことすらないプールにいきなり放り込まれた。ひたすらの当惑にさらされる彼らは、まさしくその事態をもって、「劣っていることを証明」された。

 マラソンがなぜに42.195kmなのか、そこにも1908年のロンドンをめぐる浅ましい真実が隠されていた。「特権階級の思いつきで、マラソン競技のスタート地点はウィンザー城の芝生の庭に決められた。それを要望したのは国王エドワード7世と王妃アレクサンドラで、孫たちが居心地のいい城内にいながら競技を見物できるようにと考えたのだった。ゴール地点はスタジアムのロイヤルボックスの正面に設けられることになった」。結果、当初は26マイル走だった規定に385ヤードの延長が加わり、かくしてこの距離が今日に至るまで公式のものと認められる。

 

 めくるほどに反吐が出るこのテキストのハイライトは2000年のシドニー、女子400メートルを制したのは、アボリジニ・ルーツのキャシー・フリーマン。主要報道機関をはじめ、拍手喝采を送った「多くの人びとは、フリーマンの偉業にかこつけ過去の出来事を都合よく忘れてしまった。彼らにとって彼女の偉業は、先住民が抑圧され差別されてきた数世紀を飛び越えるフリーパスというわけだった」。

 そして、もし仮に万が一おぞましくも開催されるとして、同様のアイコンとして池江璃花子が担がれる未来は既に確定している。難病を克服した彼女とコロナ禍を重ね合わせる「フリーパス」を翼賛メディアが一斉に伝え、大衆は漏れなく見事に動員される、幻の1936年そのままに。

 だからこそ、日本国民は総意をもって来たるべき五輪を祝わねばならない。もはや供花としか見えぬ市松模様のモノトーン・エンブレムが象徴する。世界の檜舞台で催される、誰の目にも明らかな本邦の葬儀として、オリンピックほどに似つかわしいイベントなど他にあり得ないのだから。

 

軍艦マーチ

 

東京のヤミ市 (講談社学術文庫)

東京のヤミ市 (講談社学術文庫)

  • 作者:松平 誠
  • 発売日: 2019/10/12
  • メディア: 文庫
 

 闇(ヤミ)とは、公定(マルコウ)の対語である。統制経済の時代には、政府の手で主な消費物資にいちいち価格がつけられ、違反すると処罰された。だから、マルコウ以外の商品は明るい太陽の下に出ることはできず、その売買はヤミになった。ヤミの商品を売り買いする市場がすなわちヤミ市である。ここには、食料品、衣類、雑貨、その他、販売が禁止されているものなら、なんでも並んでいた。1947年夏に飲食店がすべて禁止されてからは、逆に呑み屋と食べ物屋がその中心になった。はじめのうちは、駅の前にできた焼け跡や疎開後の空き地で、青天井の露店市だったが、翌年になると土地の上に平屋の長屋をつくってマーケットと呼び、敗戦後の一時期、露店とともに、東京の盛り場をつくりだした。これがヤミ市である。……

 では、この万華鏡のように変転極まりないヤミ市の街に降りたって、ところどころにスポットを当てながら、貧しく生き抜いていた敗戦後の盛り場を探訪していくことにしよう。

 

 一時的とはいえ、例えばどのような地域で栄えたのか、どのような出店形式を取っていたのか、そうした記録としても面白くはある。ヤミという割にかなりしっかりとした文献が残されていることに、どこか腑に落ちないような、妙な感慨に襲われる。

 しかし、本書の醍醐味といえばやはり、その地でかつて営まれていた生活史が具体的に垣間見えるその瞬間、つまりは人々が何を売り買いしていたのか、に入り込んていくその瞬間にこそある。

 例えば俗称「栄養スープ」、獅子文六の伝えるところによれば、「一サジ含んでみると、ネットリと甘く、油濃く、動物性のシルコのようで、なんともいえぬ、腹の張る味だった。……戦前には絶対になかった、実質的で、体裁をかまわぬ料理であることも確かだった」。この新製品の正体、何のことはない、「アメリカ占領軍の食堂からでた残飯のごった煮」に過ぎない。

 食料統制のご時世にあってヤミ市で寿司が供される。といって、「米の代わりにおからを使って、トロの代わりが〔クジラの〕ベーコンで、卵焼きの代わりにタクワンで、具に青野菜」、それでも人々はその味を求めて群がった。

 夜の新宿のヤミ市でタバコを捌く、ただしPX横流し品などという大層なものではない。「米軍のキャンプから兵士用の大きな共同灰皿に残った吸殻を集め、これをほぐし、煙草巻き機でつくったものである。だいたい吸殻10本が煙草1本に化ける」。

 

 こうしたもので食いつなぎながら、刻苦勉励して仕事に打ち込み、戦後復興に力を尽くした、そんな美談に収めることを筆者は決して許さない。少しでも冷静に考えてみれば、それほどまでに市井の生産性も購買力も欠けていたというのに、どこに満足な仕事が転がっているだろう。

 当時のヤミ市相場を現代(原著の出版は1995年)に置き換えてみると、カストリがコップ1杯で5000円、たった2切れの湯豆腐が2000円、「ヤミ市で儲けた金をここで吐き出して帰る……キマエがよくなかったら、金の値打ちを考えていたらとても常識では入り込めないはずの場所が、不夜城の賑わいを見せていたのは、世の中自体が、ヤミだったからである」。

 明日をも知れぬ命なのに未来の展望など誰が描けようか、「ヤミ」の中を刹那的に生きるより他に彼らに何が選べただろう。筆者はそうした病みの時代の象徴をパチンコに透かす。

「こうした暮らし、それはそれ自体が一種の賭博ではなかったろうか。しかも、大多数の人びとは専門の博徒でもなければ、専門のヤミ商人でもないという状況の下で、ヤミ市のパチンコは、ちょうどこうした生活のパターンにマッチしたソフトな射倖性をもつゲームだったのである」。

 戦後小津映画の世界にあって、自身の存在を持て余す笠智衆がやたらとパチンコを打つ。あるいはポスト3.11にあっても、気づけば少なからぬ被災者はパチスロに向かっていた、という。受け止めるにはつらすぎる現実を束の間忘れられる空白の時間を買うために、昔も今も、アルコールに走る、パチンコ台に向かう、女に溺れる。

 そんな「ヤミ」の深淵が不意にのぞく。

 

青の時代

 

 セラノスはたった今、製薬会社向けの初めての大掛かりな実演をやり遂げたところだ。セラノスの22歳の創業者、エリザベス・ホームズがスイスに飛んで、ヨーロッパの巨大製薬会社ノバルティスの経営幹部にセラノスの装置の性能を見せつけたのだ。……

 だが、どうも気になることがあった。出張に同行した数人の社員は、エリザベスほど喜んでいるようには見えなかった。むしろがっくり落ち込んでいる感じだったのだ。……

「セラノス1.0」とエリザベスが名付けた血液検査装置は、うまく動いてくれないときがあるというのだ。まあ言ってみれば、ばくちみたいなものだ、と彼[共同創業者シュナーク・ロイ]は言う。何とか結果を引き出せることもあるが、結果が出ないこともあってね。

 モズリー[当時の最高財務責任者]にとっては寝耳に水だった。セラノスの検査器は信頼できると信じ切っていた。だが、投資家が見に来るときは、いつもうまく行っているようじゃないか? そうたたみかけた。

 いや、いつもきちんと動いているように見えるのにはわけがある、とシュナークは答えた。コンピュータ画面に映し出される、血液がカートリッジ内を流れて小さな容器に溜まっていく映像は本物だ。だが結果が得られるかどうかは誰にもわからない。だからうまくいったときの結果を前もって録画しておいて、それを毎回実演の最後に見せているんだ。

 モズリーは開いた口がふさがらなかった。検査結果はその時その場でカートリッジの血液を使って出しているとばかり思っていた。もちろん、これまで案内してきた投資家たちもそう思わされていた。たった今聞いたことは、まるでペテンだ。投資家に売り込むときに前向きで高い志を掲げるのはかまわない。だが越えてはいけない一線というものがある。モズリーの見るところ、これはその一線を完全に踏み越えていた。

 

 高い目標を掲げてモチベーションを保ってさえいればあとは自分にとってのウォズニアックが何とかしてくれる、とでも思っている自称ネクスト・スティーヴ・ジョブズに翻弄されて、日々疲弊していく社員たち。

 我が物顔で社内にのさばり、パワハラの限りを尽くす創業者のヒモ。

 研究員の間での基本的な情報共有すら阻む、守秘義務とやらの壁。

 耳の痛い進言のひとつでもしようものなら、突きつけられる即刻解雇。

 本書で展開されるのは、そんなブラック企業あるある。

 ドキュメンタリーとしては、本来ならば秀作と評されるべきレベルにある。巻き込まれて人生を壊された関係者の痛みも切実に伝わる。微に入り細に入り裏側を調べ上げるその執念と労苦は、紛れもなく賞賛に値するものがある。

 にもかかわらず、本書には何かが決定的に足りていない。ネタの見えないネタばらし、観客にはどう映っているのかも知らされないまま、従って何が謎になっているのかすら分からない手品師の種明かしに延々と付き合わされているような感覚がどうにも拭えないのだ。裏面を専ら描くばかりで、そのきらびやかに繕われていただろう表面がまるで見えてこない。光あればこそ闇は際立つ、そして本書は闇しか持たない、この現象を考えるにむしろ本当に知らねばならないのは、世間の目をくらました光であるべきはずなのに。

 選りすぐりのエリートがセラノスに集い、そして間もなく幻滅し、次々と離職していく、ただし、その枠はまた別の俊英によって埋められていく。こんな不毛なループが、しかし事実として途切れることなく数年にわたり続いていた、ただし筆者の記述はそれを曲がりなりにも可能にしていた要因を、せいぜいが退職者に科せられた守秘義務の高い壁の他に何ら説明しない。数年を費やして出来上がったものといえば、いいところ「中学生の工作」、実演などままならないのも当然だった。謳う技術も専門家に言わせれば現実離れ、曰く「彼らがこの難問を解決できたと言われるよりも、27世紀からタイムマシンで戻ってきたと言われたほうがまだ信じられるな」。それなのに皆騙された。

 ポンコツポンコツぶりをあぶり出す、筆者によるその仕事は疑いようもなく価値を持つ、たとえ不毛であろうとも。ただし、セラノスの裏側をいくら覗いたところで、それはよくあるブルシット・スタート・アップの域を超えない。むしろ真の問題は、きら星あまねくシリコンバレーにあって、そんなダメ企業がなぜにこれほどのカネとヒトを集めることができたのか、というそのトリックにこそある。悲しいかな、本書はその問いへの説明を持たない。

 溺れる者は藁をも掴む、ジリ貧企業が起死回生をセラノスに託し、そして掴まされた、そうした経緯は分からないではない、ただし、それによって得られた投資などたかが知れている。創業者がわずか2年で中退したスタンフォードのスター教授の太鼓判があった、もしそれが裏打ちとなるならば、名門ユニヴァーシティの学内ベンチャー時価総額はもっと途方もないことになっている。詭弁を弄して医学的根拠の薄さをはぐらかす、それくらいのことはどこもかしこもやっている。リケジョの起業家キャラが唯一無二だったとも考えられない。エリザベス・ホームズの自己演出に魅せられた、といってその作り込んだ低音ヴォイスから発せられるフレーズといえば、「化学を施すことで化学反応が起きて検体の化学作用でシグナルが生まれ」る、という程度。常識的な思考回路を辿れば、「実用的な試作機が完成したら、その時点で小型化の方法を考え始めればいい。装置の大きさを最初に決めて、それから仕組みを考えるのは、どう考えても順序が逆だ」。これらの指摘は後付けの結果論として片づけられるべき話ではない、端緒からして何もかもがおかしかった。しかし、そのバブルにいつしか誰しもが巻き込まれ狂喜乱舞し、そしてあるとき破裂した。

 劣悪な社内環境など所詮、どこにでも転がっているサブ・ストーリーに過ぎない。セラノスの核といえば、それはただ一点、バブルをおいて他にない。シャボン玉の内部は空洞、それしきのことははじめから知っている、その上で誰しもがあの虹色に魅せられる。

 

 後先考えられないバカはいつだって無敵、本書終盤、描写は俄然迫力を増す。

 筆者の記事をもっていよいよ世間にその正体の割れた窮地のセラノスは、名門ロー・ファームと組んで、ひたすらに金に飽かせたスラップ訴訟を仕掛けてくる。元社員の告発者と同じく、筆者も当事者として巻き込まれる。これまで裏側を覗き続けた視線が一転、何をしてくるか分からない敵対者の恐怖に震えおののく。

 この記述の何がスリリングといって、まさに傍観者目線ゆえにこそ成立するセラノスのモンスター性――本書の序中盤にあっては垣間見えるところのなかった――が余すところなく剥き出しになるからに他ならない。うわべしか見えない、この瞬間、まさにセラノスのセラノスたる所以が凝縮される。そしてその実、中身はからっぽ、そこに詰碁のような読み切りの計算づくなどひとつとして存在しない。何といっても健康や生命を預かる医療機器においてフェイクを重ねることに何の罪悪感も覚えない連中と来ている、どんなことをしでかすか知れない、下手をすれば命を取ることさえも辞さない、そんな怯えをもたらす理不尽極まりないヒールゆえにこそ、読者もまた、息を呑まされる。

 

 このテキストは、バブルに膨らんだ一企業の実相に限りなく肉薄し、ただし残念ながら、現象としてのバブルそれ自体を描き切ることができなかった。

 エリザベス・ホームズに誰しもが躍らされた。日進月歩の医療神話に大衆が躍らされる、そんなものは平常運転にすぎない。ヘンリー・キッシンジャーも躍らされ、ジェイムズ・マティスも躍らされ、ルパート・マードックも躍らされた。果ては時の副大統領ジョー・バイデンまでもがキャンペーンに担がれた。

 錚々たる顔ぶれ、ただし驚くには足りない。彼らもまた、幻想バブルで肥大した虚像の典型を決して越えない、いかにもヒロインと同類の人々なのだから。たかが人間ごときにカリスマやリーダーを望む錯誤を打ち切らぬ限り、世界は必ずや今後もエリザベス・ホームズの再来を繰り返す羽目になる。

 華麗な偶像、愚劣な実像、すべて人間に参照に足るものなど、ひとつとしてない。

ブルックリン

 

 

 20世紀の終焉にあたり、市民的な不調感が米国人一般に共有されていた。経済の見通しはまず満足のいくものであり、それは空前の期間にわたる拡大の結果として特に驚くべきものではなかった。しかしながら、道徳的に、また文化的に正しい道を進んでいるのかについて、人々は同様の確信があったわけではなかった。ベビーブーマーを対象にした1987年の調査によれば、自分たちの親の世代の方が、より「意識の高い市民であり、コミュニティにおいて他者を助けることに関わっていた」と考えるものが53%を占めており、自らの世代の方がより優れているとしたものは21%にすぎなかった。優に77%の者が「コミュニティ活動への関与が減った」ことにより国が悪くなっていると答えたのである。……

 米国におけるコミュニティの結束が、過去の歴史を通じて一貫して低下してきた、あるいはこの100年間にわたってはそうであった、というのは、筆者の見方とは全く異なっている。それとは逆に、米国史を注意深く検討すると、それは市民参加の上昇下降の繰り返しであって単なる一方的低下ではなく、言い換えれば崩壊と再生の歴史であることがわかる。……米国におけるコミュニティの結束は次第に強まっていたのであって弱まっていたのではなかったことを、今生きている人々は憶えているし、そしてまた本書の最終部で示すように、この数十年の低下を逆転させるための力はわれわれの内に存在するのである。

 

 情けは人のためならず。

 この浩瀚なる大著を要約するに、ある面ではこの一言で足りる。

 筆者が危惧を抱く通り、そのテイストはどこかold, but good daysへの郷愁を孕まずにはいない。だが仕方がない、政治集会への参加や教会でのチャリティ活動から職場への帰属心、ボーイスカウトの組織率、果ては隣人とポーカー卓を囲む頻度に至るまで、その広範な指標のことごとくが単調なまでに同一の結論を示唆せずにはいないのだから、すなわち、アメリカ全土における「社会関係資本」は1970年あたりをピークに長期的な低落傾向にあるのだ、と。

 社会学者との響きは、とりわけ日本においてはどこか嘲笑のニュアンスを帯びずにはいない、ああ、あの3秒で反証可能な、その場限りのどうしようもない思いつきをさも学問の装いをもって垂れ流すクズどもの一群か、と。

 しかし、本書はそうした稚児の戯れとは一線を画する。巻末の原註のみで優に100ページを超えるそのヴォリュームに圧倒される。議論の立証にあたっては、いちいちがそれらソースの参照に基づいて行われる。『孤独なボウリングBowling Alone』なるポエティックな情緒を匂わせる表題を裏切るように、その手続きは牛歩のごとく凡庸で冗長で、そしてそれゆえにこそ、無二の重みを発さずにはいない。テーマは至ってシンプル。そもそも「社会関係資本」はいかなる曲線を描いているのか。その変化は何によってもたらされているのか。その変化はいかなる帰結を招いたのか。ただそれだけのことのために果てしない仕事量が注ぎ込まれる、社会科学の科学たる所以をその各ページが証明する。

 70年代って言ったらウーマンリブとやらで女性の社会進出が進んだ時代だよね、ならそれだけ仕事に時間が奪われるんだから、他のことができなくなって当たり前じゃん、だから女は家に留まって家族や地域のことだけやってればいいんだよ、そっちの方が社会うまく回ってたんじゃん、はい、論破――例えばこんな粗雑な戯言はまさか本書を前に通用するはずがない。そもそもからして「1965年から1995年の間に平均的米国人では自由時間が週当たり6.2時間――女性では4.5時間、男性では7.9時間――増加して」いる、つまり「過去30年間には、市民参加の低下を説明するような自由時間の減少は一般に見られない」。さらには、多忙に追われる人々はおろか、「『たくさんの空き時間がある』と答えた米国人口3分の1の人々の間でも、過去20年間に教会出席は15~20%、クラブ出席は30%、友人の歓待は35%急落している」。それどころか、「フルタイムで働く女性の方が、そうでない女性よりもこの落ち込みに対して抵抗力がありそうだ」。

 

 原著の上梓は2000年のこと、そして終章においてなされる2010年への提言を見るに、「社会関係資本」をめぐる筆者の賭けはどうやら成就しなかった。コロナがかけただろう追い打ちのダメージだけでも、そのリカバリーには絶望的なものがある。たとえ第3次世界大戦などという荒唐無稽がどこかで着火したところで、先の総力戦のような帰結は決して招かれることはない。事実、ベトナムでそれは起きなかった、そして敗北を余儀なくされた。時の大統領の親族やジョルティン・ジョーすら前線へと動員された40年代は遠い昔、父の威光で兵役を逃れたジュニアが我が物顔でのさばる世界に誰が連帯を期待しただろう、ましてや、上級国民の上級国民化がまさしく「社会関係資本」の減衰をもって強化されたこの21世紀に至っては。

 といって、市井の人々に何ができないわけでもない。リビングでひとり寝そべって情報番組にガッテンしている暇があるのなら、そのテレビを今すぐ消して誰かと「無駄な話をしよう 飽きるまで呑もう」(コロナはひとまず脇に置く)。「何の集団にも属していないものが、一つ加入することで、翌年の死亡率が半分になる」。少なくともアルコールのデメリットを帳消しにする程度には、どうやらその相手はあなたを健康にしてくれるらしい、そしてあなたは同時にその誰かを健康にすることができるらしい。相対的に肩入れできる議員や研究機関に献金する、そうした政治参加も大いに結構、しかしその金で例えば、なぜか今日まで潰れていない近所のくたびれた喫茶店に入り、うまくもないコーヒーをすすりながら、常連客の世間話に耳を傾けてみる。場末のカフェから近代革命が立ち上がったなんて故事を持ち出すのはほとんどこじつけ、しかし、住まうタウンをベッドからホームへと書き換えるそんなささいな試みが、もしかしたらその地に暮らす顔も知らない赤の他人の就職や未成年のドロップ・アウト防止と繋がっているかもしれない、あるいはそれがめぐりめぐって自身のサラリーを押し上げてくれる。内容ゼロの井戸端会議が、当人同士の息抜きや安否の点呼といった機能以上に、実は同じ路上で子どもたちが元気よく走り回る姿を後押ししている。そうした緩やかな橋を架け続ける「日々の人民投票」(E.ルナン)こそが、時に世界とすら接続する「社会関係資本」の礎に他ならない。「民主主義は状態ではなく行動である」、このことばは大上段に坐するカマラ・ハリスの専売特許ではない、専売特許にさせてはならない。

 

ダンシング・ヒーロー

 

盆踊りの戦後史 ――「ふるさと」の喪失と創造 (筑摩選書)

盆踊りの戦後史 ――「ふるさと」の喪失と創造 (筑摩選書)

  • 作者:始, 大石
  • 発売日: 2020/12/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 本書で軸足を置くのは、戦後以降の盆踊りの変遷である。盆踊りは戦後、社会の移り変わりと共に変容を重ねてきた。伝統的なものであろうと非伝統的なものであろうと、それ以前とまったく同じスタイルを継承しているものはほとんどないといってもいい。

 そうした変容を後押ししたもののひとつが、レコードが普及し、再生機器が安価になったことだ。そのことによって必ずしも特別な技術を持った音頭取りや太鼓奏者がいなくても、盆踊りを簡単に開催できるようになった。高度経済成長期に入るとそれまで盆踊りの習慣がなかった地区や、団地やニュータウンのような新しいコミュニティーでも次々に盆踊りが始められるようになった。新たに立ち上げられたそうした盆踊りは、やがて地域の「新しい伝統」になっていった。……

 そんな僕が盆踊りの世界にのめり込むようになったのは、30歳を過ぎてからのことだった。西馬音内盆踊りの幽玄さ。阿波おどりの熱狂。郡上おどりの高揚感。すべてが美しく、惚れ惚れするような風格があった。どこにも地元といえる場所のない自分にとって、歴史ある土地に根付いた盆踊りの数々はあまりにも眩しく、そのリズムに飲み込まれることに喜びと快感を覚えた。

 だが、この日本列島にはそうした歴史ある盆踊りと同じぐらい、僕が幼少期に体験したような盆踊りが各地で行われている。そこでは安っぽいサウンドシステムから雑音まみれのアニソン音頭が流れ、浴衣を着せられた子供たちが見よう見まねで身体を揺らす、不恰好なダンスフロアが広がっている。……

 そういった盆踊り大会は非伝統的かつ素朴なものであるがゆえに、その意義について語られることはほとんどない。だが、そうした盆踊りにもまた、なんらかの役割があったはずだ。だからこそ、非伝統的な盆踊りはいつの間にか地域の「伝統」になり、数十年にわたって続けられてきたのではないだろうか。

 

 それはまるで藤野裕子『民衆暴力』において描き出された情景そのまま。

「『秩序と反秩序のぎりぎりのバランスをつくる秩序装置』というのはまさに盆踊りの本質ともいえる。反秩序へと発展しかねない若者たちのエネルギーをコミュニティーの中心に配置し、盆踊りによってバランスを保つ」。

 束の間の宴をもって、「反秩序」を「秩序」へと書き換えて回収する。古来より続くこの変換なる「盆踊りの本質」は、その対象こそ各々違えど、戦争をまたげども引き継がれる。

 戦後の占領軍統治下に持ち込まれた「レクリエーション」なる横文字の概念はいつしか盆踊りにも転用され、やがて「盆踊りの本質」へと変わる。

 recreation、いやここではre-creationと綴るべきか、この語によって示されるだろう、再‐構築、換骨奪胎の風景が、表題そのままに「盆踊りの戦後史」を特徴づける。

 経済成長の動力源として地方から都市へと送り込まれた労働者によって形成される「コミュニティーにおいて盆踊りは新たな役割を担った。……望郷の念をいくらかでも解消し、孤独を紛らわせてくれるだけではない。他者と繋がり、地域と繋がる場として、あるいは人々がその地域に対して親しみを持ち、『新たなふるさと』としての愛着を育むための場所として盆踊りは必要とされた」。「コミュニティー」未満の何かを「コミュニティー」へと昇華させる、彼らは「ふるさと」のre-creationを夢に見る、その中心に据えられたのが盆踊りだった。

 re-creationの波は、音楽にも現れる。例えば「バハマ・ママ」、例えば「ビューティフル・サンデー」、旧来の音頭のビートと通じるところは特にない。にもかかわらず、「70年代後半以降、レクリエーション・ダンス~ディスコ~盆踊り~竹の子族は背景や文脈から切り離され、『ひとつの型で、みんなで踊る』という一点のみで結びつけられた」。かくして一時の流行歌として過ぎ去ったはずの荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー」は、2000年代新たに息を吹き込まれる

 高知の地ではじまったよさこい祭りはいつしか地域の枠を超えて「パフォーマンスの優越を競い合うダンス・イヴェントへと完全に」re-creationされた。最低限のフォーマットさえ満たせば、後はグループ単位で好きな振り付けをカスタマイズすればいい。盆踊りに仮託された「ふるさと」への回帰願望もはるか昔、「コミュニティー」の不可能性を前提に、参加者は各々のタコツボの中で銘々に棲み分けることを選ぶ(この点をめぐる見立ては、筆者の論旨と同じくするものではない)。

 そして福島の地で、盆踊りを通じてre-creationが胎動する。ポスト東日本大震災の「プロジェクトFUKUSHIMA!納涼!盆踊り」。その試みは、「地元がどこであろうと、あるいは地元をどこにも持たなかったとしても、踊りの輪に入ることでそこが地元になってしまう。いわば『地元』の再構築であり、創造。これを『ふるさとの創造』と言い換えることもできるはずだ」。

 年に一度、その場に集える者たちが、同じビートに身を任せ忘我のダンスを死者に捧げる、それはちょうど、古の夏の盛りに「ふるさと」に戻れる魂に思いを馳せたそのさまに限りなく似て。3.11を通じて形成された想像の共同体が、盆踊りの場で受肉する。

 明治期に阿波おどりを目撃したとある総領事は、「消滅し忘れ去られた未開時代の祖先から受け継いだ強度の神秘的錯乱」をもって、その驚異をカーニバルに重ねた。

 かくして盆踊りが蘇る。ここにもまた、re-creationが降臨する。解体に解体を重ねた果て、ついに懐胎の時が訪れる。