遊びをせんとや生れけむ

 

南方熊楠 地球志向の比較学 (講談社学術文庫)

南方熊楠 地球志向の比較学 (講談社学術文庫)

  • 作者:鶴見 和子
  • 発売日: 1981/01/07
  • メディア: 文庫
 

 

 桑原武夫が評するに、「南方が個個の問題で手がたい仕事をつみ重ねつつも、全体として目立った理論体系を示さずに終わったのは、日本全体の学問的年齢がなお若かったための不可避的制約があったと考えられる」。言うなれば本書はこの一文への注釈として展開される。「全体として目立った理論体系を示さずに終わった」、筆者にとってみれば、そんなことはない、仮にそう見えたとしても、それは「日本全体の学問的年齢がなお若かったため」に熊楠の先見性を捉え損ねた結果に過ぎない。

 筆者の見立てでは、例えば「空中から窒素をとるために、『バクテリアの種を養生する』」発想は、「今のことばでいえば、工業の農業化」に他ならないし、民話研究の花形、「シンデレラ物語の中国起源を示唆したのは、南方熊楠をもって嚆矢とする」。あるいは「もし南方が、土宜〔法竜〕宛書簡で描いた壮大な計画を達成していたならば、〔マックス・〕ウェーバーと比肩することのできる比較宗教論を、〔ウェーバーに先立って〕わたしたちはもう一つの遺産として持ち得たであろう」。

 

 まずは何より、熊楠の神社合祀反対運動に寄せて論じた以下の文章を一読されたい。

南方は、植物学者として、神林の濫伐が珍奇な植物を滅亡させることを憂えた。民俗学者として、庶民の信仰を衰えさせることを心配した。また村の寄合の場である神社をとりこわすことによって、自村内自治を阻むことを恐れた。森林を消滅させることによって、そこに生息する鳥類を絶滅させるために、害虫が殖え、農産物に害を与えて農民を苦しめることを心配した。海辺の樹木を伐採することにより、木陰がなくなり、魚が海辺によりつかず、漁民が困窮する有様を嘆いた。産土社を奪われた住民の宗教心が衰え、連帯感がうすらぐことを悲しんだ。そして、連帯感がうすらぐことによって、道徳心が衰えることを憂えた。南方は、これらすべてのことを、一つの関連ある全体として捉えたのである。自然を破壊することによって、人間の職業と暮しとを衰微させ、生活を成り立たなくさせることによって、人間性を崩壊させることを、警告したのである。

 大乗仏教の「因果」を緯糸に、社会的、学問的な棲み分けすらをも超えて、「心界」と「物界」を横断する。これほどに「南方曼荼羅」を体現してみせた文章があるだろうか。

 

 そして間もなく、こうした活動が筆者の手により「エコロジー」として括弧に入れられることで失われてしまう何か、本書が内包し続けてきた違和感に気づかされる。「若か」らぬ後世からの答え合わせとして、「エコロジー」や「地域主義」という今となっては既存のフォーマット、「理論体系」に落とし込む、この読み替えを通じてむしろ熊楠のダイナミズムは瞬時に霧消する。

 後に「理論体系」と呼ばれるだろうもののいずれかに組み込まれ、その「萃点」に座する熊楠の姿を遡って発見する。フォロワーになるとは、その程度の現象を指すのだろうか。むしろ真逆だろう。粘菌でも、仏教でも、民話でも何でもいい、自分が面白みを見出せる何かを突き詰めてさえいれば、おのずと既定の枠組みをはみ出して「曼荼羅」に導かれ、「素人学問にて千万の玄人に超絶」するだろう。未だ呼称を持たざる「素人学問」の、未踏の荒野を歩む。誰にどう読まれるかではなく、まず自分にとって面白い、その遊びへの没頭こそが熊楠のかくある所以なのではなかろうか。

 どんな分野だろうが、初学者に分かる面白みなどたかが知れている。分からないから面白い、面白いヤツがやっているのだから面白い、それを入口にしてやがて自らが面白いヤツとなり、姿形を変えつつも、後続にバトンを渡していく。理解するための知識すら携えぬ部外者がどうしてその価値を把握できるだろう、学問なんてそれでいい。

 

 ストイシズムや社会的使命など、驚くほど何も生まない。それはあくまで上意下達の官僚機構、軍隊の言語、スクリプト的な反復動作を効率よく引き出すための訓練メソッドに過ぎない。「玄人学問」のパラダイムの延長線上で解決できない問題が浮上したときにそれを突き破れる者があるとすれば、さながら昼夜を忘れて『FF7』や『あつもり』にのめり込むゲーマーのように、己が好奇心と戯れる「素人学問」の徒に他ならない。それはウイルスかもしれない、統計学かもしれない、あるいはまだカテゴリーすら持たないジャンルかもしれない、いずれにせよ既存のフレームでは決して届かなかっただろう「曼荼羅」に選ばれた中毒患者が、遊び心を原動力に不謹慎の横紙を突き破ってポスト・コロナの扉を開く。

 命乞いする輩の富をせしめるべく拝金主義者がそのおこぼれを紐づけてマネタイズを図る、そんな下賤の「玄人仕事」のマッチングなど、市場にやらせておけばいい。