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日本の路地を旅する (文春文庫)

日本の路地を旅する (文春文庫)

  • 作者:上原 善広
  • 発売日: 2012/06/08
  • メディア: 文庫
 

 

 果たしてそれが紀行文なのか、小説なのかすらも定かではない、とにかく昔読んだテキストの一節。場所はたぶんアルジェリア、もしかしたモロッコ、いずれにせよ北アフリカの都市部。密集地帯のとある道の入口に立つ女性が、通行人にミントのブーケを手渡している。とりあえず受け取って中へと進み、まもなく香草の束の意味を知る。皮革をなめす際に放たれる強烈な匂いを少しでも和らげるためのものだった。

「外に出ると、強い臭いを長い時間吸っていたからか、外の空気が何か、別のガスのように感じる。

 同行していたカメラマンが、『ちょっと……、実は途中で気分が悪くなってしまって』と顔をしかめて座り込んだ。服に臭いが沁みついてしまったので、外に出てもなかなかとれない。しかも彼は私と違って髪が長いので、その髪にも臭いが付いてしまったそうで、外に出てもまだ臭っているのだという。(中略)

 私は幼い頃から獣脂や血の臭いの中で育ってきたので、ある程度は免疫ができているが、それでもやはり生皮の発酵した臭いは強く感じた」。

 それはたぶんアルジェリアの路地を覆う臭気に限りなく似ている。

 

 それが中上健次の墓だった。被差別部落のことを「路地」と呼んだ唯一の人である。中上によって被差別部落は路地へと昇華され、路地の悲しみと苦悩は、より多くの人のものとなった。

 路地というと、家々が軒を連ね、小路が迷路のようになっているイメージがある。怒りや悲しみといった感情、さまざまな信条や利害が絡み合う、混沌とした被差別部落によく合う名だ。

 ただ被差別部落のほとんどは、何の変哲もない住宅地や農村の集落である。路地という言葉は、どちらかというと都市部にある被差別部落を思わせる。

 路地はより多くの人が行きかい暮らすところでもあり、人々の生活が凝縮された小さな宇宙ともいえる。だから私も中上健次に倣い、いつの頃からか被差別部落のことを路地と呼ぶようになった。その方がより人が行きかう、自由で一般的なイメージがするからだ。

 そんなことを考え、私はさまざまな意味で、独りで旅をするなかで路地を見つめ直したいと思いつづけ、やがてそんな旅に出るようになった。

 それは路地と路地をつなぐ糸と糸をたどるような旅でもあった。今では断ち切れたか細い糸は、以前は確かにあったものだ。

 

 行く先々でやたらと古書店に立ち寄る。テキストをまとめるための関連資料を集めるという目的以上に、とにかく店主に話を聞いては、路地のあたりをつける。床屋に入っては散髪の傍ら、いろいろと尋ねてみる。飲み屋を回る。銭湯につかる。時にストリップ小屋にも出向く。

 そうして得られたやりとりが活字に変わる。それが単に土着の口伝を拾い集めた、というに留まらない機能を実ははらんでいたことに、読み進む過程でふと気づかされる。

「人は日常的に動物を殺すことで生活が成り立っているのに」。

 筆者によるこの旅の一歩一歩が、「生活」の記録を形成する。

「〔三味線を〕弾いている人は尊敬されるけど、皮なめしは犬とか猫皮だから一番〔差別が〕きついな」。

 なぜに臭気が放たれるといって、それが「生活」のために必要だから、「日常的に動物を殺す」ことが必要だからに他ならない。三味線、太鼓、食肉――ハレの祝祭の需要を満たすべく引き受けたに過ぎないはずの存在が同時に、上澄みをさらうクライアントから「生活」の底にたまる淀みの一切を呑まされた挙げ句、周縁へと追いやられる。遠く離れた地域をつなぐ古い「糸」が不意に見つかる、ほとんどの場合、被差別の経験による結束云々という以前に、職能集団による連携という極めて合理的な技術のシェアリングに由来する。

 当のニーズが減衰したり、外国へと委託されたり、あるいはデベロッパーによる再開発の波を受けたりで、いずれにせよ、「生活」が路地の存在を要請しない以上、それに伴う差別の影も薄れたかに見える。

 ところがそんな土地の記憶がふとした瞬間、顔をもたげる。事件が起きれば決まって言われる、「やっぱりあそこは」。そしてそこに絡みつくのは、離れてなおも路地に囚われずにはいられない筆者個人の「生活」の過去。

 落ち着いて考えてみると、どうも私は思い違いをしていたようだ。

 今まで自分は路地と路地をつなぐ糸をつむぐつもりで旅していたけれども、そうではなく、これは私の中で途切れた路地との糸をつむぐ、自分のための旅であったようだ。失われた路地と路地との糸をつむぐなどということは、ただ自分の小さな思い上がりであって、実際、私は千年昔からあった路を通って、路地から路地へと旅をしていただけに過ぎない。

 未踏の地をさまよえる異邦人は、たとえその場に溶け込むことは能わずとも、見ることを通じて、その街を自分の中へと溶かし込む。街それ自体を観察することなどかなわない、すべての旅は己に通うその行路、「自分のための旅」を目指す。土地が、「生活」が、そうさせずにはいない。