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沖縄と私と娼婦 (ちくま文庫)

沖縄と私と娼婦 (ちくま文庫)

 

 

 わたしが沖縄とかかわりをもつようになって、とりわけ売春に注目し娼婦にアプローチしたのは、しかし娼婦の数が多いことに触発されたからではない。どう説明すればいいか、実は自分でもわからないのだから、したり気にここで動機について語るのはやめる。ただこの本におさめた、五度の沖縄行を通じて書いたわたしのルポルタージュに登場する個々の娼婦の貌から、これまで黙殺されがちだった沖縄の売春と、その象徴するものについて、なにか掴んでもらえるのではないかと自負していることだけは言っておこうと思う。

 

 1968年秋の主席選挙を現地で取材する。

「むろん、ただ愛想をふりまくだけの歌手や野球選手を動員する保守派と、たとえば大江健三郎さんのような誠実に沖縄問題と取り組んでいる作家の講演を折り込む革新派とのあいだには、その実質において格段の違いがある。しかし、選挙の応援のために乗り込むとき、大江さんにとって沖縄とはなんであるのか。革新共闘会議が街頭で配るちらしに『私たちの首席にヤラさん[屋良朝苗]を推薦します』とあり、そこに著名人たちの名前が並んでいるが、それら学者や作家や評論家たちは、大江さんをふくめて全部が本土在住者なのである。署名者たちは、私たちの主席と刷り込まれていることを承知しているのであろうか」。

 本書全体を貫くだろうこの激烈な指摘は実のところ、大江らに仮託した筆者の自己批判に他ならない。「沖縄へ来てすぐ、自分はしょせんただの野次馬でしかないことを思い知った」筆者、「私たち」ではあれない筆者にできたせめてものことといえば、「私たち」の声を拾い、文字にすることだけだった。

 

 件の選挙期間中、コザの繁華街で刃傷沙汰が起きる。口論の末、少年が持っていた包丁で米兵を刺殺、犯行後間もなく、二人の被疑者は警察へと自首した。事件の全容については警察、米軍ともに硬く口を閉ざしたきり。埒が開かないと現場の特飲街を尋ねて回る。ある嬢がその一部始終を目撃していた。

ベトナムへ帰りたくなかったのね。だから、沖縄でちょっとした事件を起こして、時間をかせぎたかったのよ」。

 そんな事情を露知らず挑発に乗ってしまった少年は、その後、すぐさま警察署へと出頭した。どうにも筆者は釈然としない。「いくらなんでも、逃亡を試みるのが、このような場合の犯罪者一般の心理ではないのか」。

 知己の記者の言葉で謎が解ける。

「『少年たちは、MPに逮捕されたらおしまいだ、ととっさに判断して、警察へ駆けこんだのだと思います』……少年院脱走の少年にとって、うっとうしく厭わしい存在の警察も、アメリカ人と対峙した場合は、まぎれもない身内なのだろう。同じ逮捕されるのなら、他人であり沖縄の支配者であるアメリカ軍よりも、警察を選ぶのはわかる。むろん、それは単に情緒論としてではない。アメリカ軍につかまれば、一方的な裁判にかけられ、一方的に処分されることが、過去の数々の例でわかりきっているからである。しかし、警察が少年をアメリカ軍に引き渡すのではないか、という話題になったら、居合わせた人たちは、みな暗い表情になって口をつぐんだ」。

 

「身内」、「私たち」をめぐるこの非対称性を、娼婦とのかかわりの中でしばしば突きつけられる。

 例えば売春宿の一室、ベッドを見下ろす額縁の写真は皇太子妃美智子。

 その極めつけは、クラブ勤めの女子二人とのドライブの折、たどり着いたのは南部の戦跡地、「わたしは驚いた。ひめゆりの塔や健児の塔が、平地や崖下にひっそりしたたたずまいで建てられているのに、南端の丘の上に林立する塔は、あたかも野外美術展のような豪華さではないか。……沖縄を異民族の支配にまかせて、日本でありながら日本でない状態をつくって、まともな償いひとつせず、沖縄県民に迷惑をかけたその土地に、このような仰々しい慰霊塔を建てて恥じないのか」。

 踵を返した「わたし」の裾を女が不意に引く。

 芝生に、日の丸の小旗が落ちていて、わたしがそれを踏んづけて通りかけたのを、彼女が制したのだ。選挙戦では、保守も革新も日の丸を飾りたてていた。パレードのとき配ったものが、こんなところに捨てられていたのだろうか。

「いいわねえ、日の丸というの」

「これ持って、君が代を聞いたら、胸がジーンとするわさ」

 ひろい上げた小旗の埃を払い、皺を伸ばし、かすかにうちふりながら、二人の娼婦は、わたしをとがめる目つきで言いかわすのだった。

 

「私たち」の地を覆うこの荒涼、この矛盾、この愛着――紛れなく、ウィリアム・フォークナーをも凌駕する。