かつて二万の日本人が命を落とした「大宮島」と、いま百万の日本人が遊ぶ「楽園」が同じ島とは思えないほど、両者の間には大きな断絶がある。
ここに本書を貫く疑問が浮かぶ――なぜ幾多の日本人が命を落とした「大宮島」の記憶を埋立ててまで、今日の「日本人の楽園」が、グアムに造られたのだろうか。……
本書は、「大宮島」の歴史と「日本人の楽園」の開発に照準を当て、われわれが忘れつつある記憶を取り戻し、過去と現在のあいだの回路を修復しようとする、小さな試みである。
その目的は、いまの「日本人の楽園」や観光のあり方を否定することにはない。われわれが失った記憶を取り戻して、現在のわれわれの姿を理解することにある。忘却と無関心が支配する「楽園」の外へ一歩足を踏み出せば、きっともっと広く多様な世界と出会うことができるだろう。
忘れたことさえ忘れてしまうまえに、薄れゆく記憶を取り戻すことをはじめたい。
かつてマゼランの発見をもってスペインに帰属したその土地は、米西戦争の後アメリカへと引き渡されるも、太平洋戦争期には日本により占拠され「大宮島」と名づけられた。だがやがて米軍の再上陸作戦によって「解放」されこそしたものの、アメリカから与えられた地位と言えば、今日に至るまで「未編入領土」、島の3割を基地として供与させられる一方で、大統領選挙への投票権も与えられなければ、代議士を送り込むことさえ許されてはいない。
グアムにおけるこうした歴史が本書において蔑ろにされているわけではない。しかし、この数行をもって『グアムと日本人』のサマリーとすることは決してできない。本書は実のところ、グアムについての本ではない、グアムについての本ではあれない。「見えていたはずのものさえ見えない、そして見えないことさえ見えていない」日本人の、その状況について告発することをもって本書は、岩波新書史上不朽の名著となる。
「日本人の教会[ウェディング専用のチャペル]のまわりには、日本軍のトーチカが残っている。なぜかわかるか?」と筆者は問われ沈黙する。答え、「どちらも眺めが良いポイントを好むからだ」。
こうしてかつての「大宮島」は「楽園」として「埋立て」られた。
この事象は、ガイドブックをもってその極北へと至る。歴史を掘り進んだ末に本書がたどり着いた先が『るるぶ』、そのポイントに差し掛かった段階では、せいぜいが資料不足に悩まされた末の紙幅を埋める窮余の一策かと斜に構えていた。ごくごく稀に訪れるテキストを読むことの快楽、セレンディピティの予感など、まさかそこにあるはずもなかった。
ガイドブックは既成商品の情報を提示するだけでなく、観光地の商品化を後押しし、そうした商品を自ら賢く選ぶことを読者に奨める。このような商品化が過度に進むと、商品化と馴染まない歴史や、商品化できない地理の情報が縮減されていく。
そのなかには「縮む」だけでは留まらず、削られて消滅していった歴史と地理に関する記述もある。たとえば『るるぶ』の95年版では小さいながら写真入りで紹介されていた南太平洋戦没者慰霊公苑……やアサン太平洋戦争国立歴史公園やグアム博物館が、同誌の05年版ではその存在さえ紹介されずに消されている。……
ガイドブックというメディアは、「消す記憶」と「残す記憶」を取捨選択し、また商品化と連動する情報と連動しない情報を選別し、更新するたびに「グアム」を再編集して再構成していく。そうした商品化を推進するガイドブックを持って三泊四日のグアム観光へ出かける日本人は、半径一キロの小さな湾[タモン・ビーチ]で、記憶が消されて値札が付いた「グアム」を過ごす。
そして2020年の『るるぶ』では、刺激のインフレーションはさらなる加速を呈していた。目に飛び込むのは、めくるめく糖質と脂肪のフードポルノとしてのパンケーキ、ハンバーガー、アイスクリーム……。主要なモールについては、それぞれが別冊付録の見開きページで、つまりはグアム全域地図と同じサイズで、ショップ・マップが掲載されている。どこでも食えるグルメと、どこでも買えるバッグや化粧品にはさまれて、タモンの外側の「見る」といえば、観光ツアーへの参加を勧めるほんの4ページが割り振られるにすぎない(一応公正を期すべく触れておけば、かつて消されたという「太平洋戦争国立歴史博物館」や新築された「グアムミュージアム」は掲載されている)。
日本版リップ・ヴァン・ウィンクル、「1972年の日本社会が横井庄一氏に期待したのは、『あの戦争』の記憶を思い返すための象徴でもなく、まして知られざる『大宮島』の事実を証言する元日本兵としての役割でもなかった。横井氏は奇妙な言動で有名な『ヨコイさん』となることを期待され、異人として消費されていった」。
発見から約1年後、横井は再びグアムの地に降り立つ。目的は新婚旅行、とはいっても、「日本人観光者の増加を期待した観光関係者たちによる、グアム観光キャンペーンだった」。用意されたプラン、つまりは観光コースには当初、慰霊公苑の訪問は組み込まれていなかった。
半世紀が流れて今なお、『るるぶ』によれば、観光スポットの片隅に「横井ケーブ」なるポイントがある。そして間もなくパワーワードを前にして目が点になる。それはあくまで「レプリカ」に過ぎない、というのだ。『地球の歩き方』に従えば、「元日本兵の横井庄一氏が28年間にわたって潜伏生活を送った本物の洞窟は、私有地のため立ち入りできない」。
掘られたのか、はたまた埋め立てられたのか、いずれにせよ、「見えていたはずのものさえ見えない、そして見えないことさえ見えていない」。