「酒をのめ、それこそ永遠の生命だ」

 

イスラム飲酒紀行 (SPA!BOOKS)

イスラム飲酒紀行 (SPA!BOOKS)

 

  私は酒飲みである。休肝日はまだない。

 本格的に酒を飲み出したのは意外に遅く、三十歳を過ぎてから。ゴールデントライアングルの核心部で取材中、うっかりアヘン中毒になってしまい、それから脱出するため、つまり禁断症状を耐えるために酒をのべつまくなしに飲むようになった。

 結婚してからは、昼間から飲むのを妻に禁じられ、アル中状態からは立ち直ったが、妻もけっこうな酒好きのため、アル中一歩手前でとどまったままだ。

 

 そんな吾輩がイスラームの国を訪ね歩く。さして教義に精通せずとも、戒律で飲酒が禁じられていることくらいは広く知られている。とはいえ、冷静に考えてみれば、飲酒についてわざわざクルアーンが言及を重ねているのは、言い換えれば、その習慣が広く遍いていた証と取れないこともない。

 

 テロの嵐冷めやらぬアフガニスタンを訪れた際のこと、ビールの切れた吾輩はガイドを頼りに中華料理店へと向かおうとする。とはいっても厳戒態勢下のカブール、「それが何の施設なのかなるべくわかりにくくするというのがセキュリティの一つなのだ。外国人向けのレストランも同様だ。地図に記載されているのに、車で前を通ってもさっぱり分からない」。場所を尋ねたホテルのフロント係から涼しい顔で、その店が既に爆破されたことを聞かされる。彼の紹介で訪れた別の店で、ただちにその真相に気づく。「『ザ・化繊』と言いたくなる原色の、極端に露出度の高いワンピースを着て、べったりと口紅とファンデーションを塗ったくった中国人の女の子たちだ。……ふつうの女性の接客業も認めないイスラム過激派が売春宿を許すわけがない」。いつ狙われないとも知れない、そんな場所でハイネケンとともに飯を食らう。「どれも美味い。劇的に美味い。日本のふつうの中華料理レストランよりも美味い――というより、これは『本場』の中国の飯だ。……まさか、アフガニスタンで本物の中華とビールの黄金コンビに出会うとは」。

 

 噂に聞いたムスリームの地酒を求めてシリアを訪ねる。アルコールは街中で訳なく売られていた、なぜか漏れなく不機嫌な店主たちの手によって。ただし、クリスチャンの醸造したワインは広く流通するも、ドルーズなる飲酒を禁忌としない少数派によるお目当てのものにはなかなか出会えない。さまよえる吾輩がタクシードライバーに導かれた先は靴の修理屋。奥から運び出されたのは、「紛れもなく、赤ワインだった。しかも『商品』ではない。ボトルはどれも私たちがよく飲んでいるアラク蒸留酒]のものだったし、いかにも間に合わせという緑のプラスチックのキャップで蓋をしている。自分で造ったワインをてきとうな瓶に詰めているのだ」。ふと気づけば、「おかしな外国人を見物しに集まってきた近所の人もどうということもなくそれを眺めている。/生まれたときから、当たり前のようにワインに囲まれ、ワインに浸って育ってきたのだろう。近代化ともビジネスとも宗教とも関係なく」。

 

 堂々と飲む、ただし同時にこっそりと。

 密売人に誘われた住居で酒を酌み交わしながらはたと気づく。

「やはりイランは奥深い。革命も酒の禁止もイランの長い歴史の中ではつい昨日、一昨日くらいのことでしかないのかもしれない。イラン人はそれがわかっているから、『はいはい』と言って、政府の言うことを聞き流しているのかもしれない」。

 酒があるから聞き流せるのか、酒がないと聞き流せないのか。いずれにせよ、そこには分かち合う誰かがいた。だからこそ、アルコールはいくつもの時代を重ねつつ飲み継がれて今日へと至ることがかなった。同じ苦難を同じ酒で洗い流す。イスラーム圏であったとしても、それは何ら変わらない。

 命知らずにも時に危険地帯を歩いて回り、その地に生きる彼らが、うまい飯を食い、うまい酒を飲む普通の人々であることを知らされる。拍子抜けと言えば拍子抜け、しかし、飲んだくれの皮をかぶったその裏側で、篤実なジャーナリストにも勝って戦地のリアルを骨太に伝える。