コモン・センス

 

 第1部は、アパレル業界の話。流行のデザインを安い価格で提供するファストファッションが定着し、安くおしゃれを楽しめるようになった。それを支えるのは途上国での大量生産だが、一方で売れ残りも増え続けている。かつてのように、ブランド名で服が売れていた時代が終わり、ファストファッション以外にも、大量生産のビジネスモデルは広がっている。「捨てることになっても、たくさん作った方が儲かる」業界の実情と、それを改善するための取り組みを取材した。

 

 第2部は、食品業界の話。「恵方巻き」などの季節商品が大量廃棄されていることや、そうした現象が起きてしまう理由を取材した。朝日新聞デジタルで公開された動画ドキュメンタリーが大きな反響を呼んだ「捨てないパン屋」の取り組みも紹介している。

 

 第3部は、私たち消費者自身への問いかけだ。自分のお金をどこに使い、何を買うかは、実はそれ自体が一つの社会活動でもある。毎日の買い物が企業を変える可能性がある、という視点から、問題提起をしてみた。

 

 本書内、一際印象的なインタビューがある。取材対象は元コンビニ大手勤務の大学教授、むしろそれこそが節分の恒例行事と化した恵方巻き売れ残り問題についてヒアリングする。そもそも「恵方巻きの廃棄はしていない」と断言した上で、販売キャンペーンの狙いを尋ねられて続ける。

 

「お客様とのコミュニケーションのため」だという。「お客様の幸せを願って、福を呼ぶ商品をおすすめしよう、というのが元々のコンセプトなんです。『今年の恵方はこっちですよ』と、会話が生まれる。何本売れたが大切じゃなく、そのプロセスが大切なんです。本来、ものを売るということは結果にすぎず、お客様に喜んでいただくことが目標。実際、社内では手作りのモニュメントを作ってお声かけし、生き生きと工夫しているお店の話が共有されていますよ」

 

 これしきのフレーズが頭を離れない私は、まだまだ渡邉美樹耐性が足りていないのかもしれない。

 終始、おそらくはキラキラした瞳で言い切っただろうその男の耳には、食料廃棄をめぐる問題もフランチャイズ加盟店が呑まされる経済的負担も決して届かない。おそらく彼は聞こえないふりをしているわけではないし、論点をずらしているつもりもない。彼が住まう世界線では、誰しもが「生き生きと働いてい」て、「押しつけなくたって従業員は目標に向かって、自分の意思で買っていく」、そもそも一連の問題は発生すらしていないのだから、反応のしようがない。

 現実を見ろ、と叫んだところで響かない、紛れもなく彼は現実を見ているのだから、別の現実しか見えていないのだから。

 

 需要があって供給は成り立つ。

 気持ちの悪い売り手がのさばれるのは、すなわち市場に気持ちの悪い買い手がいるから。

 アパレル業界をめぐる現代の女工哀史を論じるフェアトレードのディーラーは、ただし続けて言う。「悪いのは工場なのか。そうはいい切れない現実があります……発注してくる先進国の消費者が『安いものしか買わない』『でも早くほしい』という思考でいるかぎり、下流で変えるのは限界があります」。

 さりとて同時にこうも強調する、「不買は幸福をもたらさない」と。「たしかに、バングラデシュの縫製工場には多くの問題がある。だが、だからといって私たちがそこで作られた服を買うことをやめてしまえば、彼女たちの労働環境が改善するどころか、工場への注文が減り、彼女たちの給与が下がるだけでなく、最悪の場合は仕事を失ってしまう可能性もあるからだ」。

 

 彼の地で暮らす低賃金労働者と先進国の末端消費者の間に共通のチャンネルがない。それどころか、先の元コンビニ本部のように、同じ国に住まっていてすら、もはや共通の話法を持つことができない。

 最低限の共通了解すらももはや成立しないこの世界のありさまを、当然にマーケットが反映しないはずがない、どころかむしろ先鋭的に捉えているに違いない。そんなポスト・トゥルースに蝕まれた現代の光景を、このテキストはルポルタージュする。

 だとすれば、この大量廃棄社会にいかに応答するかについても、各人はポスト・トゥルースへのリアクトと全く同じ仕方で進めていくより他におそらくはない。つまり、コモン・センスがもはや期待できない世界の中で、ヒトとは別の何かとは極力関わらずに済ますこと、同じ現実をシェアしていると感じられる誰かと交わること、そこにお金を置いていくこと、満足感を買うこと、消費者に堕さないこと、言い換えれば、幸福な生き方をすること。