なぜ君は立法府議員になれないのか

 

 

 20178月、香港の街に焼けつくような日差しが降り注ぎ、大学生たちが夏のアルバイトを切り上げたり家族旅行から戻ってきたりしているなか、僕は禁固6ヵ月の判決を言い渡された。それは、世界に衝撃を与え香港の歴史を変えることになった雨傘革命で担った役割を罰する判決だった。その後ただちに、かつて通っていた学校のすぐそばにある刑務所「壁屋懲教所」に収監された。ぼくはそのとき20歳だった。

 当初、地裁が下した刑罰は80時間の社会奉仕活動だったのだが、律政司〔香港の法務庁〕が刑を重くするよう高裁に上訴して勝訴したため、投獄されることになったのだ。非合法集団参加罪で禁固刑の実刑判決が下された者は、それまで一人もいない。こうしてぼくは、香港初の政治囚の一人になった。

 刑務所に入ってからは日誌を付けることにした。時間が早く過ぎるように、そして刑務所内で知りえたさまざまな出来事や多くの会話を記録するために。そのとき、書き溜めたものをいつか本にすることもあるかもしれないと考えていたのだが、それが本書に結実した。

 

 ねじの飛んだヤツにしかとんでもないことなんてできない。

 最高すぎるキーラ・ナイトリーが、最低すぎるベネディクト・カンバーバッチを評してささやく、映画『イミテーション・ゲーム』のワンシーン、うろ覚えの超意訳。

 筆者の生き様にそんなセリフを想起する。

 学食のクオリティに不満を抱いた彼は、フェイスブック上にページを立ち上げオンラインの請願書を作成し、事態の改善に向かって乗り出す。驚くなかれ、当時まだ中学二年生にして。

 政治的な覚醒とSNSの可能性に気づいた彼は、それから数ヵ月後、香港政府の主導する新カリキュラム「愛国教育」への抵抗からグループを結成、日々街頭で演説をふるうようになる。

 もちろん、彼のパーソナリティにはひたすら唸らされずにはいない。しかし本書は、栴檀は双葉より芳しで片づけることのできない、彼を彼たらしめた周囲をめぐる物語でもある。まず何よりも、彼の能動性に対して肯定感を担保する両親の存在があり、共に手を取り合う同朋の存在があり、やがて彼らに引きずられるように運動へと参加した民衆の存在があった。身近な人間で構成される最小の単位からやがて「想像の共同体」が立ち上がる、民主主義の民主主義たる所以を知らせる。

 

 当然、このテキストに関心を抱くだろう諸賢ならば、雨傘運動の顛末や、一国二制度を蹂躙する数多の出来事についても知るところには違いない。

 強権政治を前にした理想の脆さをあざ笑うことは簡単だ。おそらく、彼らはこれからも敗れ続けるには違いない、それはあたかもエイブラハム・リンカーンの大統領就任から既に160年もの時が経過したかの超大国においてさえ、今なおブラック・ライヴズ・マターを唱えなければならない、というその事態をなぞるように。

 それしきのことは知悉するだろう獄中の彼は、にもかかわらず、受け取った手紙を前に断言する。

 これらの手紙は、雨傘運動の最も偉大な成果、すなわち政治的覚醒の証だ。……雨傘運動が一世代の香港市民を自らの存在に関わる問題について、昏睡と政治的無関心の状態から揺り動かした事実については、否定できる者も疑義をはさめる者もいない。2014年に起きた79日間に及ぶ集団抗議運動がなかったら、ペンを執って、塀の中にいる20歳の若者に手紙を書こうとする者はいないだろう。ぼくや投獄された他の活動家に寄せられた支援の波は、自由を愛する香港人の心に種が植え付けられ、機が熟したら芽を出そうとしていることを示している。

 これらの手紙はまた、ぼくが繰り返し問われていることへの答えでもある。すなわち、香港人2014年にあれほどのことを経験し、その後、無力感と絶望感に襲われたなか、中心的活動家のぼくは、いったいどうやって市民を奮い立たせ、ともに闘わせようとしているのかという問いだ。

 その答えはこうである。社会を勇気づける唯一の方法は、本物の犠牲を払って、口先だけでなく行動で証明することだ。

 そして彼は「もし香港と世界における民主主義的権利の退行を押し戻す手助けをしたいと思われたら、次に示す10の行動計画をぜひ実行してほしい」と呼びかける。「報道機関で香港のニュースを追おう」、「インターネット嘆願に署名しよう」、「勇敢なビジネスや報道機関を支援しよう」といった項目に先んじて、SNSの申し子である彼が筆頭に掲げるのは、「ツイッターのアカウントを作ろう」。

 愚直な彼らから何かしらの触発を受けた、というせめてもの証に、とりあえずアカウントくらいは作ってみる。