祭りのあと

 

芝園団地に住んでいます : 住民の半分が外国人になったとき何が起きるか

芝園団地に住んでいます : 住民の半分が外国人になったとき何が起きるか

  • 作者:大島 隆
  • 発売日: 2019/10/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 埼玉県川口市芝園団地、かつて大友克洋童夢』のモデルとなったことでも知られる。新築当初は抽選を要するほどの人気物件だったこの場所も、わずか5年で早くも斜陽にさしかかる。「賃貸住宅のため、やがて持ち家を購入するなどして引っ越した住民がいる一方で、それを埋めるだけの新たな入居者数がなかった」ためだ。時は流れ、その空き家を埋めたのが中国をはじめとする外国人だった。2017年段階で、町の人口構成は日本人2448人に対し、外国人は2491人。団地の自治会は共生の取り組みが評価されて各種の賞を与えられ、メディアにも取り上げられるようになった。他方でネットを開けば目に飛び込むのは想像通りの罵詈雑言。

 そしてこの団地へ実際に引っ越した筆者が見たのは、「一つの団地に交わらない二つの世界、パラレルワールド」だった。

 外国人住民が増えたことによる摩擦も、交流に取り組む住民の姿も、どちらも芝園団地の一つの現実ではある。だが、一つの現実だけで描き出す姿が、真実とは限らない。

 光と影が交錯して、芝園団地のいまの姿がある。

 では、芝園団地の実像とは、どのようなものなのか。……「住民の不満」の根底には、何があるのか。

 それは、声を上げることのない多くの住民の心の中にあるのではないか。

 それを知るためには、団地のもっと深いところまで入っていかなければならなかった。

 

 住人のひとりは筆者の取材に応じて書き送った。

「トランプの言葉を、芝園団地の広場で叫びたいくらいです」。

 その焦燥感を裏付けるスタッツがある。

「住民アンケートによると、日本人は70代が32.5%と最も多く、60代以上が全体の76.4%を占めたのに対して、外国人は30代が61%と最も多く、20代と30代の合計で80.3%を占めた。日本人は59.6%が単身なのに対して、外国人は夫婦と子供という世帯が52.5%となっている」。

 川口で家賃7万円台の賃貸住宅、3世代同居などそもそも望むべくもなく、相続で引き継がれることもない。従って、建設当初に入居した住民がそのまま40年スライドして、この統計を形成する。単身比率が如実に示す、取り残された人々の終の棲家によりにもよって外国人が流れ込む、そのメカニズムもひどくこじれている。「外国人の側からすれば、入居できる場所が限られていたために特定の場所に集中して住むことになり、結果としてコミュニティの形成につながっていったのだ」。

 その団地で年に一度、祭りが開かれる。先の統計が示すように、日本人の若年層はそもそも絶対数が少ない、事実、隣接する小中学校も既に閉じている。結果、「自分たちや子供たちが楽しむための祭りだったはずなのに、これではまるで、日本人住民が中国人住民を楽しませるためにやっているようなものではないか」。「ただ乗り」批判が飛び出すさまは容易に想像できる。

 ならば中国人をもっと積極的に組み込めばいい、とはいかない。抵抗感云々を言う前に、ここでもひとつの統計さえ引けば足りる。「日本人住民は居住年数『30年以上』が4割と最多だったのに対して、外国人住民は『2年から3年』が4割と最多で、10年以上はいなかった」。たとえ自治会への参加を促したところで、そもそもイベントの運営ノウハウが引き継がれる構造にはなっていない。一方に他に行くあてもない独居老人が住まい、一方に子どもの進学や新居購入による移転を前提とした若年層が腰かけに使う。たとえ国籍をブラインドにしたところで、「パラレルワールド」化は不可避の推移、従ってむしろこう言い換えた方がいいのかもしれない、国籍は目くらましに過ぎない、と。

「ただ乗り」論についても、別の観点が必要なのかもしれない、つまり、外国人の子どもの存在によって辛うじて祭りの体は保たれている、祭りを中心とした自治会コミュニティは外国人によってようやくの延命措置を施されている、と。ところがこの構造ももう長くは続かない。「中国の大都市では日本との賃金の格差が縮まっており、わざわざ日本に来て働くことの魅力が薄れている」。年俸1万ドルの生産力で発展途上国と製造競争というヴィジョンですらない妄言を喚き散らす経団連ポリティクスに応じてくれる都合のいい人材など、もはやこの三流国には入ってすら来ない。

 

 仮に外国人を追い払った先に何が起きるか。昔はよかったね、に同調する若年日本人がまさか流れ込むはずもない、そんな人口ヴォリュームも所得のパイもないのだから。トランプ支持の強力な説明関数のひとつは居住区域の人口密度、物理的に遠ざけさえすれば分断は自ずと引き起こされる。団地から半数の人間が消失した末路には、なじめない隣人の悪口で盛り上がれる酒の席すら尽き果てる。

 雇用の枯渇した街にはそもそもマイノリティの流入すら起きない、ゆえにこそかの地の住人は実体を知らない幽霊のような存在への果てしない恐怖と被害妄想を倍加させる、そんな真正ラスト・ベルトへの昇格は遠からず起きる。