シャイロック

 

 

 ワニワニパニックの唯一の正当な攻略法は、次から次へと繰り出されるワニをひたすら叩き続けることではなく、その基板もろとも破砕すること。

 

 富裕層と貧困層の所得格差が大きな社会では、格差の小さな社会よりも、人々はさまざまな健康や社会の問題に苦しむ可能性がある。

 私たちは2009年に刊行した『平等社会』でこのことを指摘した。その本で提示したデータによれば、不平等は人々の心に重大な悪影響を及ぼすが、その多くは社会的なストレスが原因だった。

 本書では、そうした精神的な影響や社会的なストレスとはどのようなものであるかを分析している。たとえば、不平等が私たちの心をどのように蝕んでいくのか。精神的な不安はどのようにして高まるのか。人々はそれにどのように反応するのか。その結果、精神疾患や情緒不安の症状はどうなるのか……などである。一言でいえば、不平等な社会での生活は、私たちのものの考え方や感じ方、さらには人間関係にどのような影響を与えるのかを分析している。

 

 原因と結果をずっと取り違えていたのかもしれない、本書を読み進めながら、そんな思いを幾度味わったことだろう。

 例えば「所得の不平等は、社会全体の教育水準にも悪影響を及ぼす。所得格差が大きくなれば社会階層を下るごとにマイナスの影響が大きくなる」。この指摘自体に、今さら疑義をさしはさむ余地はないだろう。ただし、私はこの帰結を専ら教育資源の分配格差に由来するものだと考えてきた。公教育の不完備を親族による教育産業の購買力で埋め合わせる日本のシステムを参照すれば、この見立て自体が全くの的外れだとも思わない。しかし、データをすり合わせると、真相はまるで別の顔を見せる。「経済成長やその成長の恩恵を公共教育へ多く配分したとしても、学校の成績問題の抜本的な解決策にならない」。各国の比較が示唆するに、「所得格差は十代の若者にきわめて有害な影響を及ぼし、教育予算の多寡は読み書き能力とほとんど関係がなかった」。

 イギリスの子どもたちをめぐる研究が、このことを裏づける。「それは、恵まれた家庭の子供と恵まれない家庭の子供の学校の成績について、長期間の比較を行ったものだ。(中略)恵まれた家庭の子供を見ると、優秀なグループは幼少期の相対的な優位を維持し、平均、劣るとされたグループでも成績を大きく改善させている。教育によって成績が向上したのである。/それとは対照的に、恵まれない家庭の子供は、最初の成績が優秀か平均だったとしても、成長とともに成績が相対的に低下している。(中略)理解能力や知力の差は不平等の原因というよりも不平等の結果であることは明らかだ」。

 たとえ多少の天分とやらに恵まれたところで、貧困のもたらす劣等感で自らの肯定感を調達する機会すら奪われた彼らは、遅かれ早かれ落ちこぼれる。ボリス・ジョンソンが言うところの「コーンフレーク」、社会流動性を損なうこのループが何をもたらすか。「金持ちが国の富の多くの割合を占めている地域では、若年層は所得の中央値と中間値でどうしてそんなに大きな開きがあるのか理解できなくなっている」。基礎的な統計を読み解くことすらできない、より正確には、格差を通じてできなくされた国民が、ことビジネスにおいては高いパフォーマンスを披露する、なんて夢物語がまさか起きるはずもない。

 

「不平等な社会ほど犯罪に対する世論が不寛容になり、軽い犯罪でも刑務所に入れられ、長い刑期が言い渡される」。

 これはロン・レーガン後のネオリベ世界で起きた典型的な事象。ただし起きた現実として、厳罰化は犯罪の抑止にはならなかった、どころか、社会への再適応を困難にするため、再犯の促進にすらつながっていた。もちろん、刑務所の維持コストも増大するし、社会内で生産消費する頭数を減らすのだから、その分の経済活動の低下も引き起こす。

 この論拠で説得がもたらされないのだとすれば、それは単に相手の頭が悪いから、というに過ぎない、だがしかし同時に、ここでもどうやら原因と結果を取り違えていたようだ。興味深いデータが引かれる、つまり、「不平等な国ほど刑事責任を問われる年齢が下がる」。つまり、人間の可塑性を理解できない反知性主義者はここでは一転、ひどく合理的な存在として再定義される、なぜなら、不平等に正常に適応した彼ら、結果、心に異常を来たした彼らは自らがさらされる不平等の間尺に合うまでひたすらに厳罰化を求めずにはいられないのだから。ただし当然に、非効率性、反社会性の指摘をお花畑の一語で片付けていく、愚昧を極めた彼らには己のヒステリーが引き起こす更なる災厄など知る由もない。

「不平等社会ほどお互いを信頼しなくなる」。

 信頼を通じて不平等を改善していく、どうやら本書を読む限りその道は絶たれているらしい、唯一、不平等の改善を通じてのみ信頼ははじめて回復される。

 

労働生産性が高まらない限りね、お金は天から降ってこないんですよ」

 竹中平蔵の暴言がいかに間違っているのかをこのテキストは必ずや告げ知らせるだろう。成果主義を追求した先に何が待っているか。

「お金が天へと吸い上げられる限りね、労働生産性は高まらないんですよ」

労働生産性が高まらない限りね、お金は天へと吸い上げられるんですよ」