心のこり

 

袴田事件を裁いた男 (朝日文庫)

袴田事件を裁いた男 (朝日文庫)

 

 2014327日、午後520分すぎ。東京都葛飾区小菅。マスコミの衆目が集まるなか、東京拘置所の面会人出入り口から一人の老人男性がゆっくりとした歩調で姿を現した。袴田巌78歳。1966年、静岡県清水市(現静岡市清水区)で一家四人の命が奪われた放火殺人事件の犯人として、半世紀近くも囚われの身にあった元死刑囚である。

 同日午前9時、袴田事件第二次再審請求審において、静岡地方裁判所は再審開始と袴田の即時釈放を命じる画期的な決定を下していた。……

 喝采に沸く静岡地裁とは遠く離れた福岡で、この判決を万感の思いで受け止めた男がいる。熊本典道。76歳。袴田事件の一審で死刑判決分を書いた元主任裁判官である。

 2007年、熊本は、裁判官に課せられた「評議の秘密」を破り、実は審理過程で無罪心証を持っていたこと、先輩裁判官の意見に押し切られる形で極刑を命じる判決文を作成したことを公にした。

 熊本の告白は大きな反響を呼び、国内の新聞・テレビはもちろん、海外メディアからも、勇気ある発言、良心的な判事と、その行動を賞賛する報道が相次いだ。……

 本書は2009年から2010年にかけ熊本本人と関係者に話を聞き、無罪を確信しながら死刑判決文を書いた元裁判官の素顔に迫ったルポルタージュに“その後”を加筆したものである。

 

 取材を進めるうち浮かび上がってきたのは、当初イメージしていた「良心ある告白をした美談の男」とは別の、もう一つの顔だった――。

 

 2007年の告白の段階で既に熊本は弁護士登録を抹消していた。といって、悠々自適の老後を過ごしていたわけではない。どころかその数年前には、すべてを投げ捨ててホームレス同然の生活にまで身を落としていた。旧司法試験トップ通過のヤメ判、一流大学の講義を受け持ち、大手生保の顧問弁護士として最盛期には億の稼ぎを叩き出したその男が、である。

 転落人生、と呼ぶにもその展開はあまりに劇的。もちろん、袴田事件のトラウマが熊本の人生を狂わせた、といってそこに偽りはないのだろうが、自傷のように己を貶めた末、どん底からの告解をもってせめてもの贖罪を果たすというのは、「どこか美しすぎる――。そう考えてしまうのは、行き過ぎだろうか」。

 

 幼くして別れた、大手広告代理店CFディレクターの息子の証言。

「テレビで見たとき、上手いなぁと思ったんですよね。『袴田くんのことを思うと』で一回止めて、ちょっと遠くを見て、それから泣き出して『僕は別れた妻子のことを忘れても、袴田さんのことは忘れたことはない』って言うでしょ。タメの作り方が抜群に上手い。説得力がある。あれを見た人は絶対、心が動きますよね」。そしてこう結論づける。「6割は本当、残り4割がキャラクターのなせる業」。

 二番目の妻との間にもうけた長女の証言。

「父は、そうやって何でも袴田事件のせいにしたがるでしょ。自分の人生は、あの事件でめちゃくちゃになったと思ってる。でも、それは私からしたら都合が良すぎる。そんなドラマチックなもんじゃないですよ。母が別れた後に言ってましたけど、あの人はコンプレックスの塊だって。佐賀から出てきた田舎者の劣等感の裏返しなのか、銀座で俺は一晩に何十万使ったとか、どうだ俺はこんなに稼いでるからすごいだろとか、そんなことを自慢に思ってる。本当は単なる見栄っ張りで、弱くて、融通もきかない人間なのに」。さらにかぶせて続ける。「本気で死ぬ気なら、ノルウェーなんか行かなくて、人知れず手首を切って死ねばいい。でも、そんなことは、あの人には絶対できない。……いろいろ追い詰められて、死のうと思ったのは間違いないんだろうけど、父は自分の死さえも、人生の美しい一ページにしよう、ドラマチックにしようって考えてる。それが私にはどうしても見えちゃうんですよね」。

 

「もう一つの顔」をめぐる、この冷徹に過ぎる観察を超えるものが本書において見出されることはない。取材過程でも幾度、筆者を前に泣き崩れたことだろう、アルコールに溺れた演技性人格障害の典型。美談の主の正体見たり、そう指弾することはたやすい。

 正しい、完膚なきまでに正しい。

 そして正しさはしばしば、何らの問題解決能力をも持たない。

 他方で、親族にこそ見えない「もう一つの顔」を示唆する声も拾われる。

 司法修習の同期で、既に落伍の兆候を見せていた熊本を一時は自らの事務所に引き取った弁護士の証言。

「熊本くんを責めてやるな。無罪と思っていたと心証を語ったんだから、それで十分だろう。期待する方がおかしい。そーっとしておいてやれよ」。

 そしてもう一人、死刑判決を下した地裁法廷の左陪席での熊本を終始見ていた袴田の実姉・秀子が語る。

「黙ってれば済むんのを、本当によく話してくれましたよ。去年亡くなった二番目の兄も喜んでたし、二番目の姉さんは、その後、熊本さんが出てるテレビを見て泣いてた。うちの家族はみんなそうですよ。あの野郎、死刑にしやがってなんて微塵も思ってない。私もそれまで肩肘張って生きてきたけど、ずいぶん気持ちが楽になりましたよ。ありがたいこんだよ」。

 筆者はその姿に圧倒される。

「弟を死刑囚に追いやった人間を赦し、その謝罪が救いになったとまで言う、人としての大きさ。

 小さなことにこだわらず、常に前を見続けようとするポジティブな思考。

 そしてこの底抜けな笑顔と明るい声。

 熊本のことをあれこれ分析していたボクは、もはや消え入りたいような気分だ」。

 

「自分が最も嫌いな人の人権を守ってこそ、初めて権利を守るということになる。それが裁判官の使命」。

 かつてそんな高らかな誓いを立てた法律家は、アルコールとトラウマと虚栄心に蝕まれて堕ちた。他方で、その傍らに思いを引き継ぐかのように真摯に見守る眼差しが横たわる。「ありがたい」――有り難い。有ることの根本を剥奪する死刑に翻弄される人々が、どれほどろくでなしであろうとも、何はともあれ、現に有ることそれ自体を祝福する、その光景が本書を気高く救う。

 先の弁護士が酒を片手にしみじみと言う。

「僕は熊本くんの近況を聞けるのがうれしいんだよ。いろんな人に世話になってる。それで、今も何とか生きてる。うれしいよ、僕は」。