エロイカより愛をこめて

 

 わたしたちは、これからひとりのドイツ人作曲家ベートーヴェンを道連れとして、その英雄の時代にわけいってみたいと考えている。その道程は、さしあたりはベートーヴェンにまつわる事情をさぐりつつこの巨大な古典楽派作曲家の生涯をたどることになろう。けれども、その意図はといえば、ベートーヴェンの幅広の傘のもとで展開した、同時代の急激なうねりの実相を解明したいとの戦略を実践することにある。一見するところ、ヨーロッパにあっても後進の地位をまぬがれなかったドイツが、思想と芸術において、はからざる英雄故郷となって飛躍する雄姿を、再現してみたいのだ。

 

 この読後感、不思議としか形容しようがない。

 そもそもが新書として著されたテキストが今般新たに文庫に収められたという。その性質上、記述の裏づけを示す注釈が配されることもない、まさか学説上の争点が詳らかに紹介されることもない、登場する固有名詞にしてもおそらくは高校世界史の水準をそうはみ出ることもない。

 ないものを数え出したらキリがない、ただし本書には少なくともグルーヴがある。名調子の語りに耳を傾けるような、引き込まれた後、何が残ったと問われてはたと詰まり、ただしその場、その時へのひたすらの充足に包まれる、あの感覚。筆が躍るとはまさにこのこと、止むことを知らぬ文体のしなりで半世紀のヨーロッパを一気に読ませる。

 

バスティーユからナポレオンの盛衰にいたる25年間のヨーロッパ世界が、じつはパリとウィーンという『二都』を焦点とする楕円形をなしている……前者は、旧体制を脱却して、あらたな社会へと突進した。……後者はといえば、古いヨーロッパの価値を体現しながら、しかし古いがゆえに多産な沃土に根ざしていた」。そしてこの「二都」の狭間、ラインラントはボンにて生を受けたその男は「本心で自由や平等といった抽象的な価値が、国の境をこえて普遍的に通用すると信じたにちがいない」。

 革命と戦争は、一度はその反動としての貴族の返り咲きを肯定したかに見せて、それでもなお、ヘーゲルの言う「自由」の歩みはなおも前進を止めない。そうした時代と同期化するように、フランス発の啓蒙を受けた芸術表現は、世紀をまたいで「あらたなエネルギーを獲得する。理性によって適切に整頓された世界と人間にたいして、秩序をこえた感性と行動の価値を称揚しようとする立場」への飛躍、俗にロマン主義と呼ばれるこのムーブメントをもって、間もなく「英雄」は規定されるだろう。かのファウストは、「あえて悪との連帯をも大胆に受けいれたうえで、人間性の地平線にまで歩みを進める冒険者となる。……特権や巨富をもたず、ただ知識と感性のみによって人間の能力の限界をためす、ひとりの孤高の冒険者である」。

 本書が、あまた「英雄」にあってベートーヴェン玉座を認めたのはゆえなきことではない。「人間性の地平線にまで歩みを進める冒険者」としての彼は、ついにロマン主義のフレームすらも超越する、すなわちそれは、自動演奏という仕方での機械への延長を通じて。1813年のウィーン、「ナポレオンが、ライプツィヒ諸国民戦争に完敗し、ドイツの解放が明白になった直後、悦びにあふれた音楽会では、第7シンフォニーのほかに、軍隊行進を思わせる楽曲がふたつ演奏された。これは、じつに珍妙な演奏であった。トランペット奏者が、人間ではなく人形だったのである」。

 いみじくも筆者は「天才」を定義する。「天才とは、凡俗な衆愚によっては感知されない偉大な価値をいちはやく発見し、これに形姿をあたえうる稀な人材のことだ」。

 さすれば指し示した運命の成否をもって「天才」は定義される。ロマン主義の夢想も虚しく、ライプニッツの二進法計算機はやがて人間の最適化を割り出し、そしてその演算を受けて、ベートーヴェンの自動演奏は訳もなくその動員を駆り立てる。

 扉の向こうに広がるものは悲愴か、はたまた熱情か。