「さあ意味はわからへんけど」

 

土葬の村 (講談社現代新書)

土葬の村 (講談社現代新書)

 

 

 この本はおそらく、現存する最後といっていい土葬の村の記録である。……

 統計の数字を見ても、このころ土葬が急速になくなっていることが窺える。2005年の時点で、日本の火葬率は99.5%に達していた。……

 そのようななかで、奈良県に土葬が残存しているエリアがあることを発見した。それも散発的な一、二の事例ではなく、複数の村で土葬が常時、継続して行われている。奇跡かと思った。

 その場所は、奈良盆地の東側の山間部一帯と、隣接する京都府南山城村である。現存する土葬の村に分け入り、数年かけて調査した結果、どの村でもその時点で村全体の少なくとも89割が土葬していることが明らかになったのである。

 ところが2019年冬――、土葬の村を再び訪れた私は愕然とした。土葬が急激に減少し、いくつかの村では忽然と姿を消してしまっていたのである。

 

 例えば「遺族の仕事で大事なことに、故人の膝を折っておくということがあった」。すわ死体損壊かと残酷に響くことがあるかもしれないが、至って明快な理由づけを持つ。「死後硬直が始まってからでは膝が曲がらなくなり、坐棺の場合、棺に入れることが困難になるからである」。

 今様に言うエンバーミングの一種、なるほど、いかにも納得できる。湯かんとて、エンゼル・ケアと呼び替えてしまえば、それ以上でも以下でもない。

 そして同時に頭をかすめる。現代の文脈に置き換え得るような論理的な説明で数多の儀礼のことごとくを片づけることができるならば、公衆衛生、労力、用地等のいずれの要素を取っても、より機能的に構築されているだろう今日的な葬儀屋主導型のスタイルへと変容していくことはやむを得まい、それはいみじくも筆者の巡り歩く村々で現に起きているように。

 現代の枠組みでは置き換えられない何か、そういうことなのかとまるで腑に落ちない共約不可能な何かが不意にちらつく、そこに本書『土葬の村』の背筋をくすぐる面白さはある。

 

「桶転がし」なる風習を筆者は目撃する。「この風習は、喪家を出棺し野辺辺りの葬列が出発した後、参列せずに家に残った者が、緒桶という取ってのない養蚕の桶を、座敷から縁側まで転がすというものだ」。古老に訊く、「亡くなった人が戻ってこないようにという願いをこめた」。筆者は思う、「あまり理由の説明になっていない気がした」。なぜか伝承されてはいる、さりとて意味は周知されるわけでもない。民俗学者はフィールドワークに基づく類比から仮説を立てるだろう、そして例えば霊を追い払う掃除と見立てる。ただし、それを聞かされたところで、果たして当事者たちは膝を打つことがあるだろうか。

 別の村での証言。「野辺送りから帰ってくると、家の玄関でひしゃくでたらいに水を入れる真似をしました。これを三回繰り返しました。水汲みの儀礼といいます。水は入ってへんねんけど、入ってるつもりでやれと言われました……野辺送りから帰ってきた人たちが、空のたらいに足を交互に入れて、足を洗う真似をしました。さあ意味はわからへんけど。ただアシアライと呼んでいました」。

 当人たちには「意味はわからへん」、しかし、知る由もない他の地域の習俗等を貼り合わせると、そのモザイクから時に事実、共通の「意味」らしきものが浮き上がる。「意味」を与える側、与えられる側、この両者の間に横たわる、「意味」をめぐる交わり得ない何か。

 未来は知れている。「意味」はやがて訳もなく、マナー講師よろしく単に専ら声の大きさに従って、Wikipediagoogle1ページ目へと収斂し回収される。そうして土葬はデジタル化された記録の世界に晴れて安住の地を得る。

 

 アフリカや南米におけるアトラクションとしての未開ビジネスでもあるまいに、本書の葬送は見世物として営まれるわけではない。ただ死者のため、共同体の成員のため弔う、そうして弔いそのものが共同体を共同体たらしめる。部外者にとっての「意味」などもとより想定しない。

 民俗学のファンからしてみれば、筆者のドキュメントは不徹底なものでしかないのかもしれない。しかし、観察者として目の前の光景をあえて「意味」へと落とし込まない、そのことが本書にたまらない疼きを生む。

 意味から強度へ、モノからコトへ、それはあたかもポスト・モダンを逆流するように。あるいはまた、フィリップ・アリエスの描き出した「飼い慣らされた死」から「野生化した死」への変遷を裏切るかのように。

 失われつつある習俗を映像に記録したとして、そしてたまさかいずこかで定着したとして、そこに成り立つものはおそらく伊丹十三『お葬式』の再パロディ、ただ映像の再現のみに終始させられるパントマイムを決して超えない。

 うろ覚えの語りを受けて後世へとたすきを引き継ぐ、数十年、数百年の死者から続く伝言ゲームは上書きを重ねて、あるいはそこにもはや原型をとどめることはなくとも、それでもなお誰かから何かしらを聞いた、そして共に行ったという記憶は残る。彼らにとっての「意味」は、仮にそのようなものがあるとすれば、そこにこそある。

 

 そして一連の手間のかかる儀式以上に参列者に記憶されるのはしばしば、その合間に交わす故人や親類、近隣をめぐる益体もない無駄話だったりもする。

「食いしん坊やったねえ。スイカ、イチゴ大福、お赤飯が大好きでした。煙草は死ぬ4か月前まで、お酒も好きで死ぬ1週間前まで、ストローで焼酎をチューチュー吸ってました」。

 そんな遺族の回顧に耳を傾ける。このエピソードには無論、プロトコルの遂行とさして関係するところはない、しかし、そんなことは踏まえつつも、筆者はあえてこのどうということのない人となりを活字に仕立てた。テキストに刻むに値する何かをそこに見た。

 セレモニーに「意味」などなくてもいい、その場、その時を長く濃密に過ごし傷を癒すための方便として機能しさえすればそれでいい。