青の時代

 

 セラノスはたった今、製薬会社向けの初めての大掛かりな実演をやり遂げたところだ。セラノスの22歳の創業者、エリザベス・ホームズがスイスに飛んで、ヨーロッパの巨大製薬会社ノバルティスの経営幹部にセラノスの装置の性能を見せつけたのだ。……

 だが、どうも気になることがあった。出張に同行した数人の社員は、エリザベスほど喜んでいるようには見えなかった。むしろがっくり落ち込んでいる感じだったのだ。……

「セラノス1.0」とエリザベスが名付けた血液検査装置は、うまく動いてくれないときがあるというのだ。まあ言ってみれば、ばくちみたいなものだ、と彼[共同創業者シュナーク・ロイ]は言う。何とか結果を引き出せることもあるが、結果が出ないこともあってね。

 モズリー[当時の最高財務責任者]にとっては寝耳に水だった。セラノスの検査器は信頼できると信じ切っていた。だが、投資家が見に来るときは、いつもうまく行っているようじゃないか? そうたたみかけた。

 いや、いつもきちんと動いているように見えるのにはわけがある、とシュナークは答えた。コンピュータ画面に映し出される、血液がカートリッジ内を流れて小さな容器に溜まっていく映像は本物だ。だが結果が得られるかどうかは誰にもわからない。だからうまくいったときの結果を前もって録画しておいて、それを毎回実演の最後に見せているんだ。

 モズリーは開いた口がふさがらなかった。検査結果はその時その場でカートリッジの血液を使って出しているとばかり思っていた。もちろん、これまで案内してきた投資家たちもそう思わされていた。たった今聞いたことは、まるでペテンだ。投資家に売り込むときに前向きで高い志を掲げるのはかまわない。だが越えてはいけない一線というものがある。モズリーの見るところ、これはその一線を完全に踏み越えていた。

 

 高い目標を掲げてモチベーションを保ってさえいればあとは自分にとってのウォズニアックが何とかしてくれる、とでも思っている自称ネクスト・スティーヴ・ジョブズに翻弄されて、日々疲弊していく社員たち。

 我が物顔で社内にのさばり、パワハラの限りを尽くす創業者のヒモ。

 研究員の間での基本的な情報共有すら阻む、守秘義務とやらの壁。

 耳の痛い進言のひとつでもしようものなら、突きつけられる即刻解雇。

 本書で展開されるのは、そんなブラック企業あるある。

 ドキュメンタリーとしては、本来ならば秀作と評されるべきレベルにある。巻き込まれて人生を壊された関係者の痛みも切実に伝わる。微に入り細に入り裏側を調べ上げるその執念と労苦は、紛れもなく賞賛に値するものがある。

 にもかかわらず、本書には何かが決定的に足りていない。ネタの見えないネタばらし、観客にはどう映っているのかも知らされないまま、従って何が謎になっているのかすら分からない手品師の種明かしに延々と付き合わされているような感覚がどうにも拭えないのだ。裏面を専ら描くばかりで、そのきらびやかに繕われていただろう表面がまるで見えてこない。光あればこそ闇は際立つ、そして本書は闇しか持たない、この現象を考えるにむしろ本当に知らねばならないのは、世間の目をくらました光であるべきはずなのに。

 選りすぐりのエリートがセラノスに集い、そして間もなく幻滅し、次々と離職していく、ただし、その枠はまた別の俊英によって埋められていく。こんな不毛なループが、しかし事実として途切れることなく数年にわたり続いていた、ただし筆者の記述はそれを曲がりなりにも可能にしていた要因を、せいぜいが退職者に科せられた守秘義務の高い壁の他に何ら説明しない。数年を費やして出来上がったものといえば、いいところ「中学生の工作」、実演などままならないのも当然だった。謳う技術も専門家に言わせれば現実離れ、曰く「彼らがこの難問を解決できたと言われるよりも、27世紀からタイムマシンで戻ってきたと言われたほうがまだ信じられるな」。それなのに皆騙された。

 ポンコツポンコツぶりをあぶり出す、筆者によるその仕事は疑いようもなく価値を持つ、たとえ不毛であろうとも。ただし、セラノスの裏側をいくら覗いたところで、それはよくあるブルシット・スタート・アップの域を超えない。むしろ真の問題は、きら星あまねくシリコンバレーにあって、そんなダメ企業がなぜにこれほどのカネとヒトを集めることができたのか、というそのトリックにこそある。悲しいかな、本書はその問いへの説明を持たない。

 溺れる者は藁をも掴む、ジリ貧企業が起死回生をセラノスに託し、そして掴まされた、そうした経緯は分からないではない、ただし、それによって得られた投資などたかが知れている。創業者がわずか2年で中退したスタンフォードのスター教授の太鼓判があった、もしそれが裏打ちとなるならば、名門ユニヴァーシティの学内ベンチャー時価総額はもっと途方もないことになっている。詭弁を弄して医学的根拠の薄さをはぐらかす、それくらいのことはどこもかしこもやっている。リケジョの起業家キャラが唯一無二だったとも考えられない。エリザベス・ホームズの自己演出に魅せられた、といってその作り込んだ低音ヴォイスから発せられるフレーズといえば、「化学を施すことで化学反応が起きて検体の化学作用でシグナルが生まれ」る、という程度。常識的な思考回路を辿れば、「実用的な試作機が完成したら、その時点で小型化の方法を考え始めればいい。装置の大きさを最初に決めて、それから仕組みを考えるのは、どう考えても順序が逆だ」。これらの指摘は後付けの結果論として片づけられるべき話ではない、端緒からして何もかもがおかしかった。しかし、そのバブルにいつしか誰しもが巻き込まれ狂喜乱舞し、そしてあるとき破裂した。

 劣悪な社内環境など所詮、どこにでも転がっているサブ・ストーリーに過ぎない。セラノスの核といえば、それはただ一点、バブルをおいて他にない。シャボン玉の内部は空洞、それしきのことははじめから知っている、その上で誰しもがあの虹色に魅せられる。

 

 後先考えられないバカはいつだって無敵、本書終盤、描写は俄然迫力を増す。

 筆者の記事をもっていよいよ世間にその正体の割れた窮地のセラノスは、名門ロー・ファームと組んで、ひたすらに金に飽かせたスラップ訴訟を仕掛けてくる。元社員の告発者と同じく、筆者も当事者として巻き込まれる。これまで裏側を覗き続けた視線が一転、何をしてくるか分からない敵対者の恐怖に震えおののく。

 この記述の何がスリリングといって、まさに傍観者目線ゆえにこそ成立するセラノスのモンスター性――本書の序中盤にあっては垣間見えるところのなかった――が余すところなく剥き出しになるからに他ならない。うわべしか見えない、この瞬間、まさにセラノスのセラノスたる所以が凝縮される。そしてその実、中身はからっぽ、そこに詰碁のような読み切りの計算づくなどひとつとして存在しない。何といっても健康や生命を預かる医療機器においてフェイクを重ねることに何の罪悪感も覚えない連中と来ている、どんなことをしでかすか知れない、下手をすれば命を取ることさえも辞さない、そんな怯えをもたらす理不尽極まりないヒールゆえにこそ、読者もまた、息を呑まされる。

 

 このテキストは、バブルに膨らんだ一企業の実相に限りなく肉薄し、ただし残念ながら、現象としてのバブルそれ自体を描き切ることができなかった。

 エリザベス・ホームズに誰しもが躍らされた。日進月歩の医療神話に大衆が躍らされる、そんなものは平常運転にすぎない。ヘンリー・キッシンジャーも躍らされ、ジェイムズ・マティスも躍らされ、ルパート・マードックも躍らされた。果ては時の副大統領ジョー・バイデンまでもがキャンペーンに担がれた。

 錚々たる顔ぶれ、ただし驚くには足りない。彼らもまた、幻想バブルで肥大した虚像の典型を決して越えない、いかにもヒロインと同類の人々なのだから。たかが人間ごときにカリスマやリーダーを望む錯誤を打ち切らぬ限り、世界は必ずや今後もエリザベス・ホームズの再来を繰り返す羽目になる。

 華麗な偶像、愚劣な実像、すべて人間に参照に足るものなど、ひとつとしてない。