民族の祭典

 

オリンピック秘史: 120年の覇権と利権

オリンピック秘史: 120年の覇権と利権

 

  IOCトーマス・バッハ会長は20154月に国連で演説し、オリンピック・ムーブメントと政治の関係について語った。「普遍的なスポーツの法」を引き合いに出し、「政治介入」が「フェアプレー、寛容、差別禁止という基本原則」をむしばみ、この方を脅かしかねないと述べたのだ――IOCの昔からの主張である。だが、バッハ会長はこんなことも口にした。「スポーツは、政治的に中立でなければならないが、政治と無関係なわけではない。スポーツは、社会という海の孤島ではないのだ」。現在のIOCはいつもの主張の言い回しをアップデートし、少しのニュアンスを加えたのである。

 今日、国際オリンピック委員会はオイルをたっぷり差された機械のように絶好調で、大衆受けするPRを打ち、スイスのローザンヌに豪華な本部を構え、約10億ドルの資産をたくわえている。IOC加盟国は国連加盟国の193ヵ国を上回る206ヵ国にのぼる。アメリカ政府はオリンピックを秘密工作[イランの核施設へのサイバー・アタック]の名称に用いている。オリンピックという一大勢力に、われわれは真剣に目を向けるべきなのだ。さあ、いまからそれを始めよう。

 

 2012年のロンドンに際しては、全長400キロにもわたる専用車線が設けられた。選手、医療関係者、警備……このあたりにあてがわれるのは競技の進行上、分からないではない。しかし、公道をはばかることなく独占するこのリストにスポンサーが加わるとしたどうだろう。

 2016年のリオデジャネイロでは、絶滅危惧種が数多生息する保護区域にゴルフ場が新設された。引き受けた業者は、その費用の全額を負担する代わりに、コース周辺に併せて建設される高級コンドミニアムの受注権も手に入れた。

 ――と、近年の商業主義をめぐるドキュメントとしても相応の読み応えは認められる。だが、今さらとりわけこの日本において、それしきの「祝祭資本主義」の実態とやらに誰が驚きや怒りを見出すだろう。

 そんな飼い慣らされ切った人々が、自らの慰めとして逃げ込むだろう先といえばおなじみの昔はよかったね幻想。広告代理店もスポンサーもなきに等しい、拝金主義の悪臭漂わぬ「参加することに意義があ」った過ぎ去りし日々を思い出せ、とでものたまってみるか。

 とんでもない。近代オリンピックには、クーベルタンのはじめからして、クズのクズによるクズのためのカーニバルでない瞬間などなかった。傍証に以下、そのほんの一例をお目にかけよう。

 そもそも、商業主義の対極として描かれるだろう例のアマチュア規定からして、始祖の差別意識を凝縮していた。「肉体労働によって賃金を得ているものは、スポーツに関与しているか否かにかかわらずプロと見なされたので、オリンピックの参加を認めてもらえないことになった」。つまり、参加資格は有閑階級限定、「アマチュア」とは労働者階級への「管理と排除のイデオロギー」に過ぎなかった。

 万博の片隅で開かれた1904年のセントルイスでは、「人類学の日」なるイベントが設けられた。「人類学の日は、陸上競技などの種目で人種および民族の集団同士を競わせ、スポーツ選手としての素質にもっとも恵まれているのはどの集団かを調べる催しだった。……『先住民が生まれつき知的、社会的、認知的、道徳的に劣っていることを証明する催しだった』」。そして何が起きたか。「ルールは明快に説明されないままだったが、無理もなかった――主催者側は言語の壁を乗り越えようとしなかった。しかも、先住民の選手は練習させてもらえなかった」。彼らは競技の趣旨すら分からぬまま短距離走のスタートラインに立たせられ、見たことすらないプールにいきなり放り込まれた。ひたすらの当惑にさらされる彼らは、まさしくその事態をもって、「劣っていることを証明」された。

 マラソンがなぜに42.195kmなのか、そこにも1908年のロンドンをめぐる浅ましい真実が隠されていた。「特権階級の思いつきで、マラソン競技のスタート地点はウィンザー城の芝生の庭に決められた。それを要望したのは国王エドワード7世と王妃アレクサンドラで、孫たちが居心地のいい城内にいながら競技を見物できるようにと考えたのだった。ゴール地点はスタジアムのロイヤルボックスの正面に設けられることになった」。結果、当初は26マイル走だった規定に385ヤードの延長が加わり、かくしてこの距離が今日に至るまで公式のものと認められる。

 

 めくるほどに反吐が出るこのテキストのハイライトは2000年のシドニー、女子400メートルを制したのは、アボリジニ・ルーツのキャシー・フリーマン。主要報道機関をはじめ、拍手喝采を送った「多くの人びとは、フリーマンの偉業にかこつけ過去の出来事を都合よく忘れてしまった。彼らにとって彼女の偉業は、先住民が抑圧され差別されてきた数世紀を飛び越えるフリーパスというわけだった」。

 そして、もし仮に万が一おぞましくも開催されるとして、同様のアイコンとして池江璃花子が担がれる未来は既に確定している。難病を克服した彼女とコロナ禍を重ね合わせる「フリーパス」を翼賛メディアが一斉に伝え、大衆は漏れなく見事に動員される、幻の1936年そのままに。

 だからこそ、日本国民は総意をもって来たるべき五輪を祝わねばならない。もはや供花としか見えぬ市松模様のモノトーン・エンブレムが象徴する。世界の檜舞台で催される、誰の目にも明らかな本邦の葬儀として、オリンピックほどに似つかわしいイベントなど他にあり得ないのだから。