1Q95

 

 被害と加害に対する社会の眼差しはオウム事件によって大きく転回し、高揚した被害者意識はその後の刑事裁判に影響を与えただけではなく、北朝鮮による拉致問題など多くの社会的イシューに対しても強い後遺症を及ぼしている。

 (中略)一審だけで終わった麻原法廷が、裁判が被告人を死刑に処すためのセレモニーと化す前例となったことは確かだ。

 相模原事件とその法廷は、この延長にある。植松聖の一審判決公判が近づいていくつかのメディアから提供された資料などを読みながら(タイミングが遅すぎると自分でも思うが)、麻原判決公判と同じ気配を僕は感じた。もちろん事件の詳細はまったく違う。社会やメディアの反応も比べられない。

 でも(特に法廷においては)何かが共通している。同じ何かがどこかで駆動している。しっかりと検証して歴史の教訓として獲得できていないからこそ、社会は同じ過ちをくりかえす。

 ……そう思ったからこそ、僕は植松への面会を決意したのだ。

 

 惨劇は障害者施設で起きた。その数か月前、衆議院議長にあてた例の手紙の中でも、「私は障害者総勢470名を抹殺することができます」と彼は謳った。程なく勤務歴も明らかにされた。それら情報に接した誰しもが、障害者が障害者であるがゆえに狙われた凶行とみなしたことだろう。しかし、公判や接見の場において彼は度々、障害の有無ならざるとある「区別」に基づく標的の選定、もしくは安楽死の推奨を訴えていた。

 それはただ一点、「意思疎通」が取れるか、取れないか、だった。

 そうしたことばが細々と漏れ出す頃には、とうに世間におけるニュースの賞味期限など過ぎていた。なるほど筆者は「遅すぎ」た、ただしそれゆえ見える光景があった。

 

2020年の67日か97日」、日本が滅びる、彼は法廷でそう予言した。ソースは『闇金ウシジマくん』の最終巻とのこと、筆者は律儀に取り寄せる。「日本に大地震が起きる、横浜に核兵器が落ちる、日本が終わる、多くの人が死ぬ、そんな記述や要素はどこにもない」。

 初公判の際のこと、彼は右手小指の第二関節に歯を立てた。未遂に終わった翌朝のこと、彼は独房で第一関節を嚙みちぎった。心神耗弱を装うためのパフォーマンスならば、衆人環視の裁判所でのみ行えばいい。その推察の的外れを裏づけるように、彼は責任能力の減免を求める弁護方針には一貫して反発し続けていた。「もしもあなたの友人が、あなたに謝罪するためと言って小指をいきなり噛みちぎったなら、とりあえずは傷を気にしながらも、その過剰さと精神の傾斜の激しさにあなたは言葉を失うはずだ」。

 神奈川新聞はこう伝えた(以下、本書よりの重引)。

「植松に自身を『選ばれし者』と曲解させ、襲撃を決意させた〔イルミナティ〕カードの数字がある。『13013』だ。

『13』『0』『13』と分割すると、『B』『O』『B』と読み取れる。イラストのパイプをくわえた男が『BOB(ボブ)』。『伝説の指導者』という設定だ。

 植松はこの5桁を逆さから『3』『10』『31』と切り取り、『31』は加算して『4』と解読。語呂合わせで『さ』『と』『し』、つまり『聖』に結びつけ、自らをボブと重ね合わせた。事件半年ほど前から、『自分は救世主』『革命を起こす』と周囲に触れ回り始める」。

 読むだにつらい。少なくとも私は、彼との間に「意思疎通」を通わせる自信はない。

 一方、司法は判決の場で断言した。

「病的な異常さはうかがわれず、能動性が逸脱した状態ではなかったものと認められる」。

 そして筆者は、「本気ですかと言いたくなる。植松にではない。青沼裁判長に対してだ」。

 

 陰謀論や優生思想への傾倒といい、彼がまき散らした単純化への誘惑は数知れない。彼が凶行へと至った真相は、多くの人々が想像するだろう通りのものをおそらくは超えない。筆者や記者が目撃したように、彼は「浅い」。「浅い」世界にお似合いの、「浅い」シリアル・キラー、それ以上の何かはたぶん出てきやしない。

 だが、それにしても、この法廷は異質だった。裁判員制度の導入を受けての迅速な決定を優先した末、類を見ない同時殺人に対して審理に割かれた期間はわずか1か月強、開かれた公判回数はたったの16。重大事件の被告人をめぐって、かつてならば問われていただろう成育歴のヒアリングはほぼ省略され、精神鑑定もごく軽々に処理された。かくしてこの「死刑にするためのセレモニー」の末、その通りの判決が下り、控訴もなされず、彼はいずれ拘置所で絞首台の日を迎える。

 公開法廷でのやり取りは極めて簡素に済まされた。結審した段階で以後の面会は遮断され、従って、確定囚からインタビューを採取することは事実上できない。彼の肉声を知る術は既に閉ざされた。

「大切なことは多面的に多重的に多層的に伝えること。早急に結論を出さずに悩むこと。だって世界は多面的で多重的で多層的なのだから」。

 かくして「大切なこと」が黙殺された、『A3』の麻原と同様に。

 

 無差別殺人を引き起こした、いわゆるローン・ウルフには概ねひとつの共通点が認められる、と犯罪学の界隈でしばしば語られる説がある。

 つまり、彼らは往々にして自殺願望が極めて強い。その鏡像的な裏返しとして、何らの関係も持たない赤の他人へと時に凶刃を向ける。

 そもそもにおいて「人は人を簡単に殺せない」、それはまず何よりも自分を含めて。そのリミッターを外させる説明関数として自殺において極めて強い相関が認められるのが、例えばうつ病統合失調症。だからこれらの診断持ちは、リスクの高さゆえ、生命保険への加入がほぼ認められない。さらに自殺そのものは、未遂を含めて、そもそも刑法上の規定を持たない、自殺幇助については条文が用意されているにもかかわらず。一般に言われる理由は、心神耗弱もしくは喪失を前提とした行為だから。ただし、その表裏としての殺人については、この法理は現状ほぼ適用されることがない。39条の争点として裁判所が耳を傾けるのは、専ら事理弁識能力の有無に限られる。

 そして、相模原に同じく鏡の反転を透かす。「意思疎通」の極めて難しい存在としての彼が、「意思疎通」を取れないと彼がみなした存在を抹殺していったのだとしたら――。

 

 本書終盤、記事の引用に添えて、興味深い指摘がなされる。

「そもそも新聞の場合、社説や論説委員の記事などは例外にして文章に『僕』や『私』など一人称単数の主語は使わないことが原則だ」。

 そしてペーストされた記者は、相模原の現地に踏み入ったその足跡を「私」として残した。

 森は言う。「結局のところ一人称単数の主語を書かない理由は、客観性や中立性を実現するためではなく、客観性や中立性があるかのように装うためだ」。

 私は思う。「意思疎通」のプラットフォーム共有を前提とした「客観性や中立性」が装いようもなくもはや成立しないからこそ、この記者は「私」という書き方をせざるを得なかったのだ、と。

 面白い指摘はさらに続く。

毎日新聞は、全国紙としては日本で最も早く(95年)、記事の署名化(バイライン)に踏み切っている(地方紙では十勝毎日新聞が半年早い)。署名化の意味とは何か。その記事は署名した記者の視点であることの宣言だ」。

 1995年。つまり阪神大震災の年、地下鉄サリン事件の年、そしてアニメ版『エヴァンゲリオン』の年。

 そして人々は今日もゼロ成長の世界の中で、四半世紀前のセカイ系の焼き直しを享受する。