誰がために医師はいる

 

鼓動が止まるとき

鼓動が止まるとき

 

 ウッディ・アレンは「脳は二番目に好きな臓器だ」と言った。私は心臓に同じ愛着を感じている。まず、見ていて楽しい。そして、私は、それを眺め、停止させ、治して、再始動するのが好きだ。ボンネットの下にもぐって車を修理する整備工のように。私がようやく心臓の仕組みを理解するようになると、後の知識は自然と身についてきた。何しろ、若き日の私はアーティストだった。今は、絵筆をメスに持ち替えて人の肉体をキャンバスに見立てている。仕事というより趣味。作業というより楽しみ。そして、私はそれが得意だった。

 私のキャリアはおよそ普通でない変遷をたどった。物静かな学生から外向的な医学生へ。冷徹で野心的な若手医師から内向的な外科の開拓者へ。やがて、人に教える立場にもなった。ここまでの人生を通じて、私は心臓手術の何がそれほど魅力的なのかと人から何度も聞かれてきた。本書からその答えを読み取っていただけたらと思う。

 

 どこぞのドラマでもあるまいに、「私、失敗しないので」とはいかない。いかにも邦訳副題が示唆する通り、本書が拾うエピソードは必ずしもハッピー・エンド一色に彩られているわけではない。時に筆者に持ち込まれるのは、他の医師が匙を投げるような、つまりは、早晩の死が半ば約束された患者。同時代のスタンダードな医療では解決法を見出せない、しかし筆者はそこで「あきらめなかった」。既存の術式で至らなければ、新たな手段を講じればいい、そして時にエウレカの瞬間が訪れる。

 例えば患者ステファンは10歳の少年、「弁の閉鎖不全を伴う、末期の心筋疾患だった。従来的ないかなる心臓手術を試みても、少年にとどめを刺す結果に終わるだろう」。当時最先端の人工心臓をもってしても一時しのぎにしかならなかった。衰弱が進む中で一縷の望みは「ドミノ心臓」、つまり移植によって不要になった他の患者の心臓を譲り受けてステファンに移し替えるというもの。そしていざ、迫真の手術シーン描写に入る。

 

 午前915分、多数の氷嚢といっしょに箱に入れられた心臓が到着した。私たちは箱を専用の台に置くと、氷嚢を一つずつ注意深く取り出し、最後にドナー心臓をステンレスの皿に置いた。それは4度の生理食塩水の中で柔らかく冷たそうに見えた。肉屋の作業台に置かれたヒツジの心臓のようだ。しかし、私たちはそれを蘇生させる方法を知っているし、それが再び拍動してやるべき仕事をしてくれることに絶対の自信を持っていた。……

 ステファンの心臓は最後にもう一度空にされ、心膜の中で完全に役目を失ってだらりとしている。マルク[助手]はドナー心臓のトリミングに取りかかり、私は四本のプラスチックカニューレを切り取る作業を行った。カツマタ[助手、本書の監修者]がカニューレを彼の体から引っ張り出して捨てた。次は、ステファンの哀れな心臓を切除して新しい心臓を受け入れる準備だ。心臓を切り取ると、空の心嚢が残された。空っぽの心臓。興味深い眺めである。……

 ドナーの心臓は厳密に順序どおりに移植され、歪みなく正確に配置するよう慎重に調整された。当たり前のことのように聞こえるかもしれないが、ドナーの心臓は滑りやすく、湿っていて、目指す位置で保持することは容易ではない。……

 心臓移植はかなりシンプルな手術である。ドナーとレシピエントの心房組織をそれぞれ十分な厚さで深く重ねて隙間ができないように細心の注意を払って縫合していく。心房と大動脈を縫い合わせたら、大動脈の遮断を解除できる。これにより「虚血」時間が終了する。これは、ドナーから切除して以降冠状動脈の血流がない、生死にかかわる重大な時間帯である。……

 幸いこの心臓はステファンにとってどこをとっても完全に見えた。血液が冠状動脈を勢いよく流れて心筋を蘇らせた。しおれて薄茶色だった心筋は紫に近い色に変わり、ピンと張って細かく震えはじめた。心臓の回復過程が始まったので、切断された肺動脈間の最後の接合部を縫い合わせ、さらに入念に気泡を取り除いた。脳に空気が入ったらたいへんだ。

 マルクの提案で、ステファンの新しい優秀な心臓を人工心肺装置で一時間休ませることにした。……細動は自然と止み、血液を駆出し、時間とともに強さを増した。やがて人工心肺装置も容易に外すことができた。

 

 そして、本書は臨床をめぐるもうひとつの側面を伝える。手術中の筆者が不意にブリティッシュ・ジョークをねじ込む。

「『携帯のアドレス帳からドイツ人をすべて削除したんだ』。ここで一呼吸。『今は、ハンス・フリーってわけさ』」

 めげずにさらに重ねる。

「『ヒッポ(かば)とジッポの違いは何だと思う? ヒッポはすごく重くて、ジッポはライター(少し軽め)だよね』

 またしてもすべった」。

 人間はかくあれかしと願うほどに、ストイシズムに自らを晒し続けることなどできない。患者の死の度に打ちひしがれ、立ち止まることなど許されない、次なる患者が待っているのだから。現に「ストレスを感じている外科医は仕事をうまくこなせない[。]……ストレスは判断力を低下させ、手を震わせる。事実、ストレスは私の仕事にとって致命的だ」。

 皮肉にも、社会的使命感云々のお題目を唱える医師と、「仕事というより趣味。作業というより楽しみ」と言ってのける医師を比較すれば、概して後者の方が未知なる成果をひねり出してみせる、それはまさしく他の業種と同様に。病院の理事会や保険システムに抗ってまで、所詮言わされているに過ぎない意識高い系が自らの信念を貫き通す場面など、リアルではまずもってお目にかかれやしない。「私、失敗しないので」が仮に現実にいたとして、それはノー・リスクを選り好んで、その外側の患者を文字通り見殺しにした結果でしかない。

 

 もっとも、単に好きというだけでは、筆者のスキルは説明されない。

「手術のスピードを上げるには何が必要だろう? それは性急さでも手の動きの速さでもない。実際にはそれとは正反対だ。整然と執り行い、不必要なことはせず、一針も省略せずかつ反復を要さずに縫合を行う。つまり、人が『手術が速い外科医』と言うとき、動きの速さではなく、脳と指先の接続がポイントになる。それは生まれもった資質であり、どれだけ練習を積んでも手に入らないものなのだ」。

 どれほどまでにフットボールを愛そうとも、その熱意だけでディエゴ・マラドーナの左足に似せることなどできないように、誰しもが神の手にたどり着けるわけではない、その誇りが筆者を支える。

 能力を持った者には、それを正しく行使する責務がある。

 

 誰がために医師はいる。

 筆者ならば躊躇なく答えるだろう、まず自分のため、その限りなき好奇心を通じて培われた技術をもってはじめて、患者への応答責任は生まれる。