美味礼賛

 

 そもそも食べ物は、人間の身体を形作る存在であり、生命の安全に関わっている。つまり、何をどう口にするかは、一見すると極めて個人的な選択のように見えるが、食材をどう生産し流通させ、どのような食事として提供するかという営みは、食の安全や人々の健康といった公共の福祉と切り離すことはできない。個人という次元を超えた社会的合意(ないしは不服従)の次元を含んでいるのだ。

 とすれば、食べ物の歴史は、人々による社会的選択(あるいはその失敗)をも体現しているのであり、そこにはその集団がたどってきた変革の記憶が刻まれている。食文化史は、アメリカ社会の価値観の変遷や対立を浮き彫りにするとともに、この国がどのように生まれ、現代アメリカがどのような社会へと向かいつつあるのかをも教えてくれる。なぜアメリカではファーストフードが発達したのか、また、現代アメリカではなぜ国境横断的なフュージョン料理が流行しているのか、さらには、農家と消費者の新たな関係を模索する動きがなぜアメリカでは広がりつつあるのかといった疑問は、アメリカという国の社会的価値観や文化的創造力のゆくえを照射することに通じているのである。

 

 ナポリに行ってもナポリタンは出てこない。天津で天津飯は食べられない。シチューの聞きかじりから転じて肉じゃがは生まれた。ポルトガル語由来と思しき天ぷらやカステラはもはや本国にその原型を求めることすらできない。

 あたかも他国ではほとんど観察されることのない唯一無二の固有性であるかのごとく語られる、この手のどうしようもない俗流日本食論、さらに果てしなくこじらせて日本スゴい論。

 こうしたしゃらくささ、みすぼらしさをあざ笑うような反例は本書に数多観察される。例えばバーベキューbarbecueの語源は、「西インド諸島のタイノ族という先住民の言葉で、焼くための施設をさす言葉『バルバコアbarbakoa』」だし、ポップコーンは不出来なトウモロコシを加熱することで食べられるようにするという先住インディアンの古くから伝えられる知恵だった。アフリカン・アメリカンソウルフードとしてしばしば語られるフライドチキンだが、実は「西アフリカの鶏料理は煮込みが中心で、油で揚げるものではなかった。実は、バターで鶏肉を揚げる料理はスコットランドにあり、……つまり、南部のフライドチキンは、スパイスによる味つけを黒人奴隷から、揚げるという料理法を白人から受け継いで、両者のいわば混血料理として誕生した可能性が高い」。

 本書は単にこうした背景を雑学の域に収めようとはしない。これらのフュージョンが発生したメカニズムをも解き明かす。そもそも「白人入植者の中には、農業・漁業・狩猟採集といった、未開の地での食糧確保の技術を十分持たない人が多数含まれいた。しかも、ヨーロッパから遠く離れていたので、物資の補給も不安定だった。それゆえ、白人の入植者たちは、食生活においては先住インディアンや黒人奴隷に依存せざるを得なかった」。

 新大陸における食文化の混淆は、建国史からして半ば約束されていたのかもしれない。その頂は独立戦争、わけてもボストン・ティー・パーティーに観察される。不条理に耐えに耐えた植民地の民の心に遂に怒りの火をつけたのは砂糖と茶だった。古今東西食い物の恨みは恐るべし、かくして彼らは「代表なくして課税なし」と己が独立をかけて立ち上がる。「ここで重要なのは、この時に人々が先住インディアンの格好をして船に乗り込んだという事実と、この事件の首謀者がサミュエル・アダムズというビール製造者であったという点である」。

 彼ら独立の志士たちには、「民主主義を実現するならば、先住インディアンのように自然とともに生きるべきではないかという感覚がそこには芽生えていた。……先住インディアンによって代表されるアメリカの世界は、農村と自然と民主主義の世界となるべきであり、そうした世界と自己同一化することが、アメリカ人としてのアイデンティティの確立への早道だと考えられていた」。

 そして首謀者がビール製造者だったという事実、つまり不当な課税対象としてのサトウキビを原料とするラム酒ではないというその事実、「つまり、この事件は、茶を拒否したのみならず、ラム酒をも植民地社会が拒否しつつあったことを物語っているのであり、イギリスの支配からの脱却を模索する過程で、人々が意識的に飲み物に対する社会的選択を行おうとしていた様子をうかがわせる。実はこれこそ、ボストン茶会事件の隠れた重要な意味と考えるべきなのだ」。

 あのジョージ・ワシントンが大統領職の退任後に手がけた事業はウイスキー醸造、事件を境に、彼らはスピリッツを専らウイスキーへと切り替える。間もなく彼らは英国由来の100%モルトさえも拒絶し、代わって主原料を先住民由来のトウモロコシに求め、かくしてバーボンが誕生する。

独立革命は、アメリカの食習慣を大きく変化させる契機ともなった。そこでは、イギリス本国への敵愾心という政治的動機が、何がアメリカに相応しい飲み物かという社会的選択を促し、イギリスとは異なる文化的風土を構築していくことにつながった。その結果、アメリカ大陸ならではの原料や、自然に近い飲み物こそが、アメリカ社会が取り入れるべきものだという感覚が生まれた」。

 

 ブリヤ=サヴァランの言うことには、食べ物を見ればその人となりは直ちに了解される。

 いみじくもアメリカ史ほどにこの格言の真実味を教えてくれる素材はそうそう見られない。

 同じく食をめぐって、あたかも融和と混淆に逆行するかのようなムーヴメントは本書においても指摘される。すなわち、フォーディズムの更なる進化系としてのファストフード化が示唆するのは、効率性追求の末の画一化、規格化をむしろ率先して引き受ける人物像。自国ファースト、白人ファーストの無残な叫びは限りなくその軌を一にする。その熱狂の陰で、そんな彼らの国民食としてのケンタッキー、タコベル、マクドナルドを構成するだろうバラエティに富んだルーツとなると、ただひたすらに目を伏せる。

 建国史にすら遡ってその多様性を否定せんとかかる著しき自画像の歪みは、必ずや食を通じて訂正される。「食という観点に立つならば、アメリカ文化の著作権をどれか特定の民族集団に帰すること自体、的外れといえる。食の歴史は、白人がこの国を作ったのだという感覚自体が非アメリカ的でさえあることを明確に示すとともに、ハイブリッド性(雑種性)こそがむしろこの国を豊かにしたのであり、自分たちの財産なのだという、発想の転換を可能にする。……と同時に、食が体現する記憶は、この国の原点に刻まれていたポテンシャルを再認識する助けにもなる。アメリカ食文化史の基層には、ローカルなものとインターナショナルなものの融合を許容する一方、自分たちの政治的選択としてのナショナルなものもそこに並立しうることが刻まれている。アメリカというプロジェクトは、これら三つのものが共存しうるという発想とともに出発した。その精神を体現する、食というモデルを自分たちがすでに持っていることに気づく時、混沌とした現代アメリカは、重要な道標を手にすることになろう。それは、この国が持っている本当のポテンシャルを開花させる道を切り開くはずだ」。

 2019年に放たれたこの指摘の主語を、試しに日本と差し替えてみる。

 あんパンをかじり、ラーメンをすすり、カレーライスをかき込む、そんな食を日々嗜む人々が、どうしてこの未来像への同意を拒絶できるだろう。