それでも夜は明ける

 

 時は2016年。とある意見書が回されて、遂にはホワイトハウスまで到達した。その書面によると、私たちはテロリストということになっている。私たちとはつまりその17歳のトレイヴォン・マーティンの殺害事件への応対として「ブラック・ライヴズ・マター」と声をあげた私たち三人のことだ。……

 私たちの活動に参加している人々の多くがそうあるように、私は貧困と警察という二股の恐怖の狭間で育った。最初はロナルド・レーガン、そして後半はビル・クリントンが次々に強化していった麻薬戦争のさなかに成長した。BLMのメンバーたちが育った町の多くが、そして私が育ち、愛しむ故郷の町も麻薬戦争の戦場と見なされ、その“敵”はすなわち私たちだった。黒人や褐色人種の私たちよりも、いつは白人の方がずっと多く麻薬を常用し売買しているにもかかわらず、薬物の使用や売買人を思い浮かべるとするとそこには黒人、褐色人の顔がある。どうしてそうなるのか。それは彼らが何もしていなくても警官に手荒に扱われる理由と同じだ。黒人であったら息をしているだけで逮捕される、またはもっとひどい待遇を受けるかもしれないのだ。

 

 例えば筆者が生まれ育ったカリフォルニア州――カマラ・ハリスがこの地でかつて司法長官を務めていたことは改めて銘記するに値しよう――では、「警官によって約72時間に1人、人が殺される計算になる。その中の63%は黒人かラテン系だ。黒人はカリフォルニア人口の6%しかいない。ということは白人の“5倍”に当たる割合で警官に殺される。またラテン系の場合、その死亡総数は一番高いのだが、それでも割合にすると黒人はラテン系の3倍になる」。

 筆者を突き動かすのは、こうした抽象的な数字だけではない。

 コテージで友人及びその幼い娘とともに過ごしていたときのこと、突然上空にヘリコプターの旋回音が鳴り響く。やがてドアが乱雑に連打される。彼女はワークショップで学んだことを復唱する。「捜査令状がない限りは警官を家に入れない」。しかしそう自らに言い聞かせたところで、音が収まることもなければ、防護服に身を固め銃を構えた機動隊員が引き揚げてくれることもない。観念して扉を開ける。表に出ると警官が一斉に三人を取り囲む、そのうちのひとりは6歳の女児。そして「人間竜巻」のような家宅捜索がはじまる、「所有物をあたりに投げ散らかし、理由あるなしにかかわらず勝手に盗んでもほったらかしにしても、全くお構いなしだ」、一枚の令状もなしに。

 彼女が捜査という名の襲撃を受けたのはこれがはじめてのことではない。そのわずか4か月前、パートナーとの就寝中にも突然に寝室は蹴破られ、彼の腕に手錠がかけられた。彼が「その辺りで強盗を働いた男の描写にそっくりだったから」、ただそれだけの口実をもって。

 

 もっとも、こうした経験ですらも、筆者の兄の味わった辛酸に比すればたちまちにしてかすみがかかる。

「どこかの壁にスプレーペイントで落書きをしていた」、「クラスをサボった」、「悪態をついた」、「お揃いのTシャツを着ていた」、これだけの要素が集まれば、警察が彼を「ギャング」と認定するには、そして施設に送り込むには、十分に過ぎた。

 19の時には遂に刑務所へと送られた。家族にはどこに収容されたのかすらも告知されない。ようやく突き止めた先で見た彼は、たったの2か月で20キロ近くも体重を落とし、全身はあざだらけ。おまけに薬漬けで、「口からよだれが垂れ落ちている。/彼が言うことは文にならず、意味が通じない」。ようやく出所を認められ帰宅した彼は「一睡もしない。何も食べない。歯磨きクリームを壁になすりつける。グラスの飲み物にティッシュの紙をちぎって混ぜる。さもなければ、外に走って出て、大声で叫ぶ」。

 数年後には「テロリスト罪」で再び逮捕される、ごく軽い追突事故で停車させている最中に躁状態の昂った彼が多少大きな声でまくし立てた、というただそれだけのことで。身柄の確保の際にはゴム弾とスタンガンが行使された。数か月後の出廷の際には、ストレッチャーが彼の全身を縛りつけていた。それから5年、刑期を終えた彼に待っていたのはフラッシュバックだった。「バスルームに飛び込み、トイレに頭を突っ込んで、その水を飲み始める。そう、LA郡保安局刑務所では水も与えられず、兄はトイレの水しか飲むことができなかった。……そのシーンが目の前に妄想となって再現され、今自分がその中にいるように感じて反応してしまう」。

 

 ある者は、「不運にもワシントンDCホワイトハウス近郊で道を間違えチェックポイントを抜けてしまったところで、連邦警察の警官らに銃殺される。車には彼女の赤ん坊も乗っていた」。ある者は、「友達と公園で座って談笑しているところを非番の警官に射殺される。騒音妨害の苦情が出ていたから、という説明」。ある7歳児は、「銃を構えて自宅に躍り込んできた警察官に殺される。弾丸は頭を貫通していた」。ある92歳は「麻薬に関する家宅捜索をするアトランタ警察の警官たちに撃たれて死ぬ。警官らは射撃しながら家に飛び込んできた。その後、住所を間違えていたことが判明する」。

 ページをめくる度、目を覆うような事態が襲い来る。奴隷制時代の資料を掘り起こしているわけではない。そのいずれもが昨今のアメリカで現に起きた出来事、そして彼女たちをBLMへと駆り立てた出来事。

 にもかかわらず本書には、静かな怒りと静かな尊厳をたたえた美しい文体がある。それが辛うじて苛烈な現実を読むに堪えるものに、生きるに堪えるものに変える。

 人はことばに生かされる。

「もしも誰かが私の子供をテロリストだと呼ぶようなことがあったならば、私の人生の中の子供たちのどの子であれテロリストだと呼んだとしたら、私はその子を、その子供たちのみんなを身近に引き寄せ、声をあげる。テロリズムとは、ただ単に生きているがゆえに後をつけられ、監視されることだ。テロリズムとは、独房に閉じ込められ食事を止められ殴り倒されることだ。テロリズムとは、仕事を三つもこなしながら子供に十分食べさせることができないことだ。テロリズムとは、子供たちのためのまともな学校もなく遊ぶところもないことがまかり通るということだ。そして続けて高らかに言い放つ。自由とはどんなものであるか、民主主義とはどんなものであるかについて。正義と尊厳と平安を実現化させることが、どんなものであるかについて」。