それが大事

 

 

 その男はどこにでもいる便利屋のひとりに過ぎなかった。その前年のトリプルAでは、計304打数でホームランはわずか3本、MLBでも61打数で1本、さりとてコンタクトに長けるわけでも、選球眼に抜きん出るでもない。複数ポジションを守れはする、ただしゴールド・グラバーを目指せるほどではない。ユーティリティといえば聞こえはいいが、つまりはレギュラーを勝ち取るには遠い、どころかベンチのシートを得ることさえも難儀する、ボーダーライン上の一選手に過ぎなかった。しばしば名は体を表す、Chris Taylorというごくごく平凡なその名を検索してみれば、夭逝したレスラーから音楽プロデューサー、地誌研究者にコメディアンと同姓同名には事欠かない。

 そのありふれた器用貧乏の打撃が突如として覚醒する。翌2017年には140試合に出場し、568打数で21本塁打、以後もコンスタントにOPS0.8を記録する。そしてその代償とでも言うべきか、2018年にはめでたく三振王のほまれに授かる。

 果たしてテイラーに何が起きた?

80年代から90年代にはステロイドがあった」、そして、「いまあるのは、新しい情報だ」。

 フライボール・レボリューションの虎の穴を叩くことで、彼は自らの未来をこじ開けた。

 

 多くの選手たちが新しい方法やテクノロジーを用いて弱点の克服に計画的に取り組んでいる。たとえば筋力をうまくスイングに伝えるための動作の修正。ストライクゾーンの感覚をより強く染みこませること。ピッチャーが自分の身体で出せると思っていなかったほどの球速を出すためのトレーニング。球種をゼロから生みだしたり、補助的に使っていた球種の重要度を高めたりすること。あるいは考えかたや食事、トレーニング方法の修正。このような取り組みは現在、野球界のあらゆる部門にわたる数多くの施設で行われている。プロ選手が使うクラブハウスやブルペン、バッティングケージや大学、高校、インターナショナルリーグのチームから、才能の捉えなおしの出発点となった、プロ野球と無関係な独立系の研究所にまで。好奇心に満ちた苦労人の選手たちが、無名に近い、これまでの常識を打破するようなコーチと組んで革命を起こしている。目ざといMLB球団はそこに目をつけ、他球団に大きな差をつけている。……

 こうしたパフォーマンスの新たな頂点は、単にテクノロジーによってもたらされたものではない。それは人間の潜在能力に関する新しい哲学の表れだ。ますます多くのチームや選手が成長マインドセットを取りいれ、長く信じられてきた、生まれつきの運動能力がすべてを決めるという決定論を捨てている。生まれ持った素質で決まる数少ない要素のひとつは、選手の勤勉さだろう。スカウトは昔から選手を5つのツールで評価してきたが、練習への取り組みかたこそは、かつては目立たなかったその5つに影響を及ぼす第6のツールなのだ。……

 それは、遠く離れたメジャーリーガーたちの人生が、わたしたち自身の人生と重なりはじめる部分でもある。野球の技術で抜きん出なくてはならないのはごく少数の人々だ。だがもし、100年の歴史を持つスポーツで豊富な経験を持つ選手が自分で考えていた以上に上達できるのであれば、わくわくするような考えが浮かんでくる。私たちは誰もが、隠れた才能を持っているかもしれない。そしておそらく誰もが、どんな仕事をしているにせよ、向上することができるだろう。

 

 本書の主役といえば、トレバー・バウアーをおいて他にない。

 MLBで先発右腕を張るには貧弱な骨格、一般人に比してすら恵まれるでもない運動神経。ギフトを持たない彼には、ただし「グリット」があった。

 最初のブレイク・スルーは高校時代、ラボで授けられた当時としては風変わりなドリルや、ウォーミング・アップのための謎のツールをくぐり抜けて、ファストボールの球速を約30キロ積み増した。

 UCLAを経て全米3位でドラフトにかかるも、間もなく壁にぶち当たる。全身を使って投げ込む反動に体は悲鳴をあげていた。その克服に彼が頼ったのは、生体力学者による動作のマッピングだった。お手本は歴戦のレジェンド、R.クレメンスやG.マダックス。そうしてデザインされたフォームを定着させるために必要だったのは、やはり新たなドリルとその反復だった。

 球種のブラッシュ・アップを求める彼は、高速度カメラにも我先にと飛びついた。指先の微細な動きを映像で記録してはチェックして、リリースしたボールの回転数や変化量を実測する。同僚の優れた変化球の投法を動画に収めては、やはり分析にかけて自らにフィードバックする。

 呪術から科学へ。マネー・ボールやシフトが瞬く間に膾炙していったように、これらの知識それ自体はとうにバウアーの専売特許ではなくなっている。他の選手が同様の練習を取り入れれば、自分はいずれその身体的素質の差ゆえに埋没するだろう、日々そんな不安に苛まれてもいる。しかしパーソナル・トレーナーはなだめるように語りかけた。

「メジャーでもマイナーでもいい、オフシーズンに自分と同じだけの時間をトレーニングに費やす選手の名前を挙げられるかと聞いてみた」。

 誰もいなかった。彼ほどに忍耐と継続を貫いてメニューに没入できるファナティックなど、ひとりとしていなかった。生涯サラリー数億ドルのニンジンを鼻先にぶら下げられてすら、遍く知識を実践へと落とし込むその執念に追随できる者など、誰ひとりとしていなかった。

 筆者はここで「閾値」なる議論を持ち出す。この指標は、他人の意見に惑わされず、従来の常識にとらわれず、どれほどまでに自らの信念に則って行動できるか、を規定するという。平たく言えば、どれだけ空気を読まないか、読めないか。クラブハウスでひとり孤独に佇む変わり者に設定された「閾値」、ためらいのハードルはおそらくは恐ろしく低い。この一点の他に、彼の傑出を説明する関数はひとつとしてない。

 練習してもうまくなるとは限らない、ただし、練習しなければうまくなれない。球数制限の呪縛をあざ笑うかのように、2018年のオフだけで彼は実に8820球を投じた。無論、昭和の精神論そのままにひたすら五里霧中を闇雲にさまよったわけではない。各種のテクノロジーに基づく設計図を落とし込むためには、それだけの量が必要だった。飽くなき探究心に急かされる彼にとっては、あるいはこれですらも不足だったかもしれない。

 前出のトレーナーは説く。「バウアーにははじめから、ある明確な特徴があった。それは、信じられないほどの競争心だ。もしほかの誰かがテレビに出て、サイ・ヤング賞を獲るのが目標で、それ以外はすべて失敗と見なすといったら、メディア向けの発言だと思うだろう。だがバウアーが言ったとしたら、それは本気なんだ。それは馬鹿なことだ。とてもなしえないような目標だ。だがそのために、彼はこれまで多くのことをなしとげてきた」。

 果たして2020年、彼は悲願を叶えてみせた。

 なお今年は――そこそこ順調だった、DVをやらかすまでは。

 

「思いこんだら 試練の道を 行くが男の ど根性」。

 身体の限界を精神によって凌駕する。

 21世紀のアメリカに梶原一騎が蘇る。