クラインの壺

 

 プロモーターとは、面妖な職業である。

 大衆を魅了する卓抜した才幹を持ちながら、夢の舞台をいくつも用意したとは思えないほど、寂しい末路を辿る者は少なくない。……

 一度や二度はうまくいっても、三度目までそうなる保証はない。結果、ある者は経済的に行き詰まり、ある者は法を犯し、ある者は病に斃れる。揃いも揃って一敗地に塗れているのは、悲劇にして奇妙ですらある。……

 本書の主人公である野口修も、当代随一のプロモーターだった。彼は一体どうやって成功を掴み、どのタイミングで成功を手放したのか。そこにはどんな理由があったのか。

 キックボクシングから撤退しても、芸能で生き残る道はなかったのか。レコ大歌手まで輩出したのだ。並大抵の偉業ではない。その選択肢はなかったのか。……

 取材を進めるうちに、彼の父親が日本のボクシング史を語る上で、欠くことのできない存在であることを知った。

 それだけではない。日本の政治史、思想史とコミットしていることも判った。

 野口修が、戦後の興行の世界で功なり名を遂げたのも、戦前の野口家の存在が大きく作用したからである。

 筆者はここから、野口修をめぐる時空旅行に旅立つことにした。

 しかし、その行程は格闘技に収まらず、政治、思想、芸能、興行、裏社会にまで広がる、途方もないものとなったのである。

 

 本書終盤、テキスト全体のハイライトとなるやりとりが記される。

 話題が沢村忠暴力団幹部との交際発覚による謹慎処分に及んだ際のこと、ふとした疑問が筆者の頭をもたげる。興行とヤクザとの関わりを当然のこととして語り続けてきた野口が、なぜに沢村のそれについてはことさらに問題視したのだろうか。

 そのことを問うと、「今まで、何を聞いてきたの」と呆れた様子で次のように答えた。

「我々は親の代から付き合いがある。しきたりもある。右翼の世界は興行の世界でもある。……

 興行を打つ身としてまず考えるのは、『いかに素人とやくざとを近付けないか』。プロモーターは防波堤でもある。そこは警察も見ている。それさえちゃんとしていれば、警察は何も言わない。

 沢村は堅気の家の出だ。選手でも線引きはある。いくらウチの看板で商売しているったって、素人が調子に乗って、やくざなんかと付き合ってごらんなさいな。すぐ食い物にされるよ。あっという間だ。やくざってそういう商売だからね。現にこうやって食い物にされていたんでしょうが」

 いつになく論理的な説明に返す言葉もなかった。「良い悪いではなく、現実がそうだった」と突きつけられた気がした。

 

 しかし本書を、裏社会実録モノと早合点してはならない。まるでクラインの壺のように表裏がねじれて一体をなす、そんな日本の戦中戦後史をめぐる傑出したドキュメントが、野口修というフィルターを通じて明かされる、そこにこそ本書の醍醐味はあるのだから。

 それを示す象徴的なエピソードがある。1967年のこと、テレビでの生中継も決まっていたキックボクシングのタイトルマッチを間近に控えて、バンコク日本大使館が出場予定選手にビザを一向に発給しようとしない。大会前日、業を煮やした野口は外務省に自ら乗り込み、時の大臣に直談判する。「クリーン」の二つ名でこの後首相にまで上り詰めた男の鶴の一声で局面は打開され、晴れて興行は成功を収める。

 本書に登場するのは、何も児玉誉士夫や岩田愛之助といった、いかにも闇社会を匂わせる面々ばかりではない。

 例えばそのひとりが、日本の拳闘黎明期の立役者、その名を嘉納健治という。姓の示す通り、摂州の名門酒造の血を引く。通称ピス健、「一般的には、やくざとして名の通った人物である。/……神戸の裏社会を牛耳った。山口組が勃興する以前の話である」。

 そして同時代、拳闘界の両雄として嘉納としのぎを削ったのが田辺宗英、愛国社の重鎮にして、かの小林一三の異母弟として知られる。

 

 彼らがとりわけ目をかけた拳闘家に、野口進という男がいた。島国の民が夷敵を討つ、そのギミックの正統後継者として当代随一の人気を誇ったそのキャリアは、しかし突然に中断を余儀なくされる。その理由は懲役刑、喧嘩の仇討ちに乗り出した末のことだった。刃傷沙汰はそこで終わらない。それから数年、ヒットマンとして仕向けられた彼のターゲットは元首相若槻礼次郎、暗殺は未遂にこそ終わるも、再度の服役へと送り込まれる。

 その獄中、彼は自らが父となったことを知らされる。生を享けた愛児がすなわち、本書の主人公、野口修だった。

 

 沢村が格別の人気を誇ったその理由は、何を措いても必殺の真空飛び膝蹴りに示される圧倒的に明快なそのスタイルにあった。ついには前人未到100連続KO勝ちを達成し、にもかかわらず、その偉業を伝える紙面はどこか冷淡だった。

「なるほど“勝負”という観点から見れば、沢村のファイトはものたりない。相手はもちろん自分もちょっとした技で吹っ飛ぶのだから。しかしファンを楽しませるプロの格闘競技者という点では、この沢村ぐらいファン心理を研究、実行しているものもいないだろう」。

 リングアナも務めるという筆者の観察によれば、「通常の試合は、開始と同時に大振りのハイキックを放つタイ人に対し、沢村はパンチやローキックでダメージを与える。/……じわじわと追い詰めながら、ハイキックがタイ人の肩口に当たり、最初のダウン。/立ち上がったタイ人のテンプルに、チョッピング気味のフックが当たり、二度目のダウン。/カウント8で立ち上がるタイ人に、狙いすました飛び蹴りが炸裂。大仰に倒れるタイ人。沸き返る場内。見事、沢村のKO勝ち――という大味なものだ。……大半は右のような試合展開と言って差し支えない」。

 スターはいつだって生まれるのでなく作られる。判で押したようなこの大団円に誰しもが酔いしれた。ブックと謗られようが、八百長と罵られようが、「現実」として再放送に限りなく近いクライマックスに観客席も視聴者も熱狂した。二匹目のどじょうを求めて、各テレビ局はキックボクシング中継に乗り出し、そして死屍累々を重ね、ついには業界そのものさえも蝕まれた。あまりに見え透いたメソッドは、あまりに見え透いているがゆえにこそ、しばしば追随されぬまま、唯一無二の輝きを放ち続ける。沢村の他にいったい誰が、この華麗なる空中浮遊を見せてくれただろう。

 

「良い悪いではなく、現実がそうだった」。

 野口のこのリアリズムは、転じて音楽業界にも持ち込まれた。

「賞レースは『運動』をしないと、絶対に獲れないものです。こればかりは本当のことです。

 必要なのは金です」。

「運動」でしか栄誉なるものは勝ち取れないのならば、誰よりも「運動」すればいい、こうして彼は有言実行、日本レコード大賞を手にしてみせた。

 

 ただ春の夜の夢のごとし、絶頂の先に待つのは落下だけ。かつて天高く太陽を求めて翼をまとったイカルスは、遂に願いを手にしたかに思われた刹那、その熱に羽根を繋いだ蝋を融かし、あえなく地面に叩きつけられその命を絶した。

 真空という禁断の果実を知った報いか、「現実」を突き詰めて栄華を極めた無上のリアリストもまた、見果てぬ夢を追った末、翼をもがれ墜落した。

 表が裏に、天が地に。歴史が教える限り、人はそれを「現実」と呼ぶ。