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 物心ついたときから遠い西洋の文物に憧れ続けてきた孤独な秀才にとって、林美雄は信用できる人物だった。

 自分と同じように無残でかっこ悪い青春を生きる日本の若者たちに深い共感を寄せ、天才少女ユーミンの真価を理解するただひとりの大人だったからだ。

 私たちの国では、クラシック音楽も西洋美術も、映画や演劇やロック・ミュージックですら“舶来の高級文化”である。

「欧米こそが本物であり、自分たちは永遠に二流の偽物にすぎない」というコンプレックスを、日本人は長い間持ち続けた。

 林美雄はただひとり“外国のものが善”という舶来コンプレックスからも、“売れているものが善”という資本主義からも自由な存在だった。

 林美雄は、自分が素晴らしいと心から思えるものだけを番組で紹介した。そして、林美雄が薦めるものは、若者たちの心を強く捉える掛け値なしの本物だった。……

 林パックのような破天荒な番組が存在できたのは、午前3時から始まる「パックインミュージック」二部にスポンサーがついていなかったことが大きい。資本主義の論理が及ぶことなく、林美雄のセンスと趣味嗜好だけが支配する王国、もしくは無法地帯。それこそが林パックだった。

 だがいま、素晴らしい林パックは、正に資本主義によって消滅の危機に瀕していた。……

 これまで一銭も入らなかった深夜遅くの時間帯をお買い上げいただけるのだ。TBSラジオは大喜びでタクシーや長距離トラック運転手向けの深夜番組「歌うヘッドライト」を作ることを決めた。……

 かくして「パックインミュージック」二部の消滅が決まった。

 

 このテキストは、「孤独な秀才」ことヘヴィー・リスナーN(本書内では実名)の存在をもって切り出される。

 えっ、誰? と戸惑ういとまさえも与えられぬまま、文体の帯びる熱に引きずり込まれる。

 遡ること半世紀、27時のスピーカーを前に、聴取者たちも同じことを思っただろう。

 アライユミ、誰それ? ハチガツノヌレタスナ、何それ? と。

 1974の異界へとたちまち誘い、巻き込んでゆくこの高波は、林パックに耳を澄ませるその経験に限りなく通う。

 

 久米宏のような当意即妙の瞬発力もない。宮内鎮雄のような英語力も洋画洋楽知識もない。桝井論平のような社会問題に傾注する気迫もない。本来ならば助け舟を出すべきだろうスタッフは、その直前の看板番組、ナチチャコパックにかかりきりで、手を回す余裕もない。

 そのアナウンサー、林美雄には何もなかった。

 あったものといえばせいぜいが、幼き頃よりのリスナーとして染みついたNHKチックな生硬な口調と、何を喋らずともあるいは過ぎてゆくかもしれない週12時間の生放送枠。

 そんな閉塞に苛まれる男が、名画座で運命の一本に出会う。

「初めて日本の青春映画にぶち当たったという衝撃を受けました。つまり、あの頃、僕もイライラ、ジリジリしていたんです。自分の不満みたいなものを、こう、スクリーンの中で同じように、よくぞ言ってくれたという、『あっ、俺があそこにいる!』というような思いがあったわけです」。

 幾週にもわたって、『八月の濡れた砂』の興奮を彼はひたすらマイクに向けて語りかけた。当時の彼にできることなど、それしかなかった。

 そして番組は爆ぜた。林の熱にあてられた若者たちで埋もれかけた旧作をかける上映館はごった返した。

 ファンを呼び込んでしまえば、あとは簡単だった。「映画の評価も、ゲストの人選も、文芸坐のオールナイトの特集プランも、マニアたちがすべてハガキで教えてくれる」。

 妻の述懐。

「自分で発掘したわけじゃない。人がいいと言ったものを紹介しただけ。『自分はお月様のようなもの』と主人は言っていました。自分では光っていないけれど、光っている人を見つけるのは得意で、自分はその光をもらっているって」。

 

「お月様」に過ぎないことを自認していたはずの存在がいつしか、斜陽期の日本映画を盛り立てた水先案内人として、権威の座へと押し上げられる。

 金曜3時の終了から約1年、水曜1時への昇格をもって、林は「パックインミュージック」へと返り咲く。もっとも、「金曜二部との最大の違いは、スポンサーがついて番組にCMが入ること。金曜二部時代と同じ内容の番組を作ることは不可能だった」。必然、音楽にも「『林美雄が本当に愛してやまないもの』と『最新流行の音楽』が混在」するようになり、「水曜パックは情報番組になり、本音の放送ではなくなったのである」。

 失うものなど何もない、なぜなら何も持たないから、それゆえにこそ生まれてしまった何か。そして生まれてしまったがゆえにこそ、失われてしまった何か。

 一度「空に憧れて/空をかけて」しまった人間にできることはふたつだけ、つまり自己模倣の焼き直しを重ねるか、さもなくば徹頭徹尾時代と寝るか。それは必ずしも筆者が提示するような、初期衝動と商業主義の両立不可能性というような話ではない。「あの子の命はひこうき雲」、人間というコンテンツをめぐる限界についての話に過ぎない。

 本書は時に林美雄荒井由実を同期化させつつ語られる。しかし両者は決して特殊な事例ではない、誰しもが少なからずその歩みと軌を一にする。絶えなき邂逅をもって『八月の濡れた砂』の熱量を更新し続けることはできないし、永遠の16歳として書き続けることもできない。そもそもにおいて、ひとりの人間が生涯になしうることなどたかが知れている。だからこそ、藤田敏八の映し出した短く儚き青春の破壊衝動に林は打ち震えたのではなかったか。

 あの日にかえりたい、そしてかえれない。