また逢う日まで

 

 京平さんに初めてお目にかかったのは昭和51年だったから、かれこれもう45年も前の話になる。つくづく時の経つのは早いものだ。

 亡くなられたのは去年の秋である。考えてみればまだまだついこの間だというのに、それが随分遠く感じられたりもする。

 そんな交錯した思いで日々を過ごしていた矢先、下井草秀さん[本書の構成、聞き手]から京平さんの本を一緒に作りませんかと誘われた。渡りに船とはコトバが悪いが、これも縁かと思い、二つ返事で引き受けることとした。

 というのも、色々なところで目にした追悼記事やコメントの大半が、巨匠となってからの“仕事絡みのエピソード”で、「人間筒美京平」という切り口/視点でこの偉大な音楽家について語られるようなものは残念ながら本当に少なかったからだ。これを機会に自分なりに、何かそうしたものを――僭越ながら――残せるかも知れないと思ったのだ。

 いってみれば筒美京平ではない。渡辺栄吉のことである。

 

 何を言っているのかは分からない、ただし、この人たちが楽しそうなことだけは分かる。

 もし仮にこれら対談の模様が動画化、音声化でもされていたのならば、情報量豊富な同人空間特有の多幸感一点押しで寄り切ることも可能だったのかもしれない。脳内データベースを共有するだろう人々の間を小気味よく飛び交う固有名詞の往復は、さぞやリズミカルな響きを伴っていたに違いない。

 しかし、本書は文字起こしという厄介極まるクッションをもって成り立つ。声だろうと、テキストだろうと、伝達される意味内容は同じはずなのに、この変換に伴う膨張と収縮は、あまりにしばしば文脈そのものさえも書き換えてしまう。読者によって時間がコントロールされざるを得ない文字というメディアにあっては、どうにもその粗が目についてしまわざるを得ない。

 例えば「洋楽的な要素をどうやったら歌謡曲的な楽曲に落とし込めるのか」と説かれても、アウトサイダーはもとより「洋楽的」、「歌謡曲的」なるものの定義をシェアしない。結果として、この文意の解釈など施しようがない。全編通じてこの調子、読者を置き去りにして話は進んでいく。

TK以前は、職業作家が工夫を凝らしたメロディーやサウンドを含めてリスナーを魅了していたのが、TK以後は、また昔の歌謡曲に逆戻りした。そう言い切ると微妙に眺めは違うけど、何よりもまず言葉で訴求を行うようになった。/……ポピュラーミュージックの歴史をさかのぼって考えてみると、60年代前半までは、詞も曲も、職業作家が分業で作るものだった。そこにビートルズが登場し、シンガーソングライターが進出し、同一人物が詞も曲も書くというスタイルが主流になった。筒美京平から小室哲哉へというヒットメーカーの王権交代は、英米に後れること30年ほどで、ソングライティングの中核的座組みが変わったということを意味するのかも。/……小室哲哉がシステムだとしたら、筒美京平はフィルターなんだよ」。

 あるいはこの結論部を導くために、さしずめ『筒美京平小室哲哉』という表題の、あまりヒットの予感はしない新書の一冊でも著すことだってできるかもしれない。しかし本書ではあくまで、さしたる検証も経ないままこうしたインプレッションが投げ出されて終わるだけ。

センチメンタル・ジャーニー」の元ネタがギルバート・オサリバンAlone Again」だとした上で、「メロディーラインを注意深く解析してみると、納得できると思うよ。ぜひ、読者のみなさんもお試しください(笑)」と付け加える。「(笑)」に無理やり好意をねじ込めば、ホモ・ソーシャル的キャッキャ感の表現とも取れないことはないのだろうが、読者サイドにそこまでのエクストリーム忖度を施すべき理由などあろうはずもない。文字通りを素直に読みさえすればいい。ごく普通のリテラシーをはたらかせれば、どう見てもこの「(笑)」には、どうせ分かるわけねえけど、とのなめ切ったかまし以上の含意などない。ある種の人々は、これだけの侮辱を加えられようとも、プロってすごいと引っかかってくれるのだろうが、こんなものは所詮、読者との情報格差を前提とした不毛で稚拙で非生産的なマウンティングの域を1ミリたりともはみ出すものではない。

 そうした「秘密」を説得的に論じる態度をはなから放棄した状態で、オークラにいくら落としただの、エルメスを採寸に呼びつけてフル・オーダーしていただのという類の――どうせOEMですよ、という痛々しさしか走らない――「秘密」を掘り起こして、「人間筒美京平」について語ったつもりになられても、お気の毒、という以上の感想など芽生えようもない。

 

 すべてメッセージはメディアによって規定される。

「Jポップの構造は古臭いんだよ。『来るか来るか』とじりじり期待するリスナーに対し、サビに至って『来ました!』っていうカタルシスを与えて満足させる展開だから。でも、ヒップホップ以降のダンスミュージックを基盤に持つポップスは、ずーっと終わらない反復に快感を求めるわけ。……セックスに喩えれば、Jポップは一気にてっぺんまで突き抜ける射精感、つまりエクスタシーを求める。ところが、ある時期以降の英語圏の音楽は、ずーっと射精しない。いかないの。果てるその手前にある寸止めの快感をひたすら味わい続けるわけ」。

 フロアにはじまり、シャッフル・モードを経てサブスクへと至る消費形態の変遷、すなわちメディア特性が「寸止め」を決めた。対して日本の音楽シーンは、15秒の「射精感」にその構造を由来する、つまりこの国にあってはいつしか、企業タイアップにせよ、番組主題歌にせよ、コマーシャル・ムーヴィーへのガラパゴス適応を果たすことをもって唯一、ポップたりうる回路は獲得された。

 テレビと昇り、テレビと沈む。栄華を極めた昭和は遠くなりにけり、やがてかなしく令和に没す、実に時代と同期する、国民的作曲家の国民的たるその所以を知る。