岸田ビジョン

 

 独特の眼差し、声、佇まい――亡くなられて20年近くの時が経過している今もなお〔原著の出版は2000年〕、ひっそりと人々を魅了し続ける、そして自分たちがここまで惹かれてしまう、表現するにはとても言葉が追いつかない岸田森の魅力とは一体何なのか、この本で少しでも迫ることができ、彼の功績を形に残すことができていれば幸いです。

 

 43の若さで夭逝したのが1982年のこと、当時1歳の私は岸田森をめぐるオンタイムの記憶をひとつとして持たない。『氷点』の岸田も、ましてや舞台上の岸田も、知る由もない。ファースト・インパクトはたぶん67歳の頃、『帰ってきたウルトラマン』のレンタルビデオに見た、子どもにすら伝わる尋常ならざる陰影。

 決定打は私が小3のときに訪れる。たぶんアクシデントにより叔父が急逝したその日の夕暮れ時、遺体の横たわる祖父母宅の別室でひとり、BSか何かで流されていた再放送を見る。画面に映るのはよりにもよって、岸田の演じる人物が轢き殺されるそのシーン。同期化されるパーソナルなリアルとフィクション、そして以後、時に叔父をめぐる淡い記憶は岸田の佇まいで上げ底されることとなる。

 もしかしたら、それは因果を違えた記憶の捏造に過ぎないのかもしれない、すなわち、これといって愛着があったでもない叔父の突然の死をもって私が岸田に影を背負わせるようになったのだ、と。

 

 岸田國士の親類にして文芸座の輝ける一期生、ヒーローものなど黒歴史に伏してもおかしくないところ、「いや、僕はほんとに円谷育ちですよ。円谷が作ってくれたようなもんだから、岸田森っていう俳優は」、「やっぱり円谷の世界なんだな。ぼくは円谷の世界が好きなんですよ」と公言してはばからない。「だから、子供にはわからないから、といった言い方をせずに、そりゃ言葉のむずかしさはわからないかもしれませんよ、でも、映像でみるものって難解なものはあり得ないんですよ」。

 そう、よくは分からない、でもアホなクソガキにすら何かすごいものを拝んでいることくらいは分かる。時は流れて『座頭市』や岡本喜八作品で度々再会することになる。かっこよさとも色気とも不気味さとも違う、三十数年前の幼心さえも捉えただろう、半径1メートル、別の風がそよいでいるあの感じ。本書の写真をめくりながら、でも相変わらず、よく分からない。無駄に年だけを取った事実を突きつけられる。

 岡本が証言する。「ひとひねりじゃなくてもうひとひねり、ふたひねりくらいあったからね、森ちゃんは」。他の回想にも度々似通った評は現れる。舞台に立てば日々、「同じ場面、同じ台詞にもかかわらず、間ですら違う顔を観せられる」(伊藤与之江)。「やりすぎたパターン化された演技じゃなくて/何か変えてやったらどうなるんだろう」と、弔辞を捧げたのは勝新太郎だった。

 脚本から規定される演技の相場は分かりすぎるほど分かっている、だからこそ、あえて外す。こまっしゃくれた言い方をすれば脱構築成長の限界、近代の果て、時は同じく1970年代、『マカロニほうれん荘』をもって彗星のごとく現れた鴨川つばめは、マンガの文法を解体し続け、そして灰になった。上下の切り分けをもって仮面を過剰に付け替え続けた桂枝雀は、やがて自らの人格さえも高座へと差し出していた。

 

「僕は酒を呑むと嫌なことが全部なくなって、すべてバラ色になるんですよ」。

 岸田の場合は、酒だった。

「何かこう、生き急いだ感じがありますよね。それでいて裏には何か辛いものを背負っているような、つらいものっていうか……何かあるんじゃないですかね、考え方というか。役者やろうと思ってやっている人ってそういうのがあるんじゃないですか。はたから見てても、そんなにやっちゃったらほんと体悪くしますよ、って感じでした。いつでも本気で、でもそういう生き方しかできなかったって感じがしますね。楽に甘えて生きるというところがまったくなくて、絶えず自分を辛いところに置いているという」(黒澤正義)。