荒れ野の誘惑

 

 理想にもえる若い学生だった私たちは、かねてから計画していた野生動物の調査をはじめようと、誰にも頼らずにアフリカに渡った。昔のままの自然を保っている地域を見つけるのに数カ月かかったが、ついにやっと“グレート・サースト”にたどり着いた。ここはアイルランドより広いにもかかわらず、あまりにへんぴなため、すむ人といえば石器時代さながらの暮らしをしているサン人の集団23のほかは私たちしかいない広大な原野だ。暑さはきびしく、水も、小屋を建てる材料にも乏しいので、中央カラハリ砂漠の大部分はいまだに未踏査のままで定住者もいない。私たちのキャンプからは、近くはもとより、少々行ったぐらいでは村はない。そもそも道がなかった。必要な水は100マイルも離れたところから、ブッシュヴェルトを通って運ばねばならなかった。小屋もなく、電気、ラジオ、テレビ、病院、食料雑貨店もないところで、いったんキャンプに入れば数カ月は、人けもなければ人工的な物もない、世間とはまったく遮断された暮らしだった。

 

 筆者たちにしてみれば本意ではないのかもしれない、しかしどう読んでもこのテキストに広がる世界は、ダンテ・アリギエリも吉幾三も裸足で逃げ出す、こんな村いやだの地獄篇。

 時は1974年、アフリカの地に降り立った彼らをまず待ち受けていたのは、道なき道と砂地と、そしてぬかるみ。目印になるような建物などまさかない、方角すらも定まらない、泥にタイヤを取られては足踏みを食らうことしばしば。いざ着いてみても肝心の動物の姿が見えない。

 何はともあれ、キャンプ地を構える。最寄りの水場は片道ざっと70マイル、そんなある日、水の残量を確かめてみるとドラム缶の中は空、補充のために車を出そうとすれば、あろうことかエンジンがかからない。

 そもそもが研究費の当てもない見切り発車、現地の物価をもってしても食糧を潤沢に調達できるはずもなく日々ふたりはやつれゆく。調査対象に選んだ動物が夜行性のため、昼夜逆転の生活を余儀なくされる、といって日中気温は50度に達することも珍しくない、それでいて冬場の夜間ともなれば氷点下を叩き出す、そんなエリアなのだからおちおちと眠ることさえできない。

 ある日のこと、「私は、東の地平線から、奇妙な灰色の煙がたちのぼっているのに気がついた。煙は渦をまいて上空へと何千フィートもたちのぼり、てっぺんは風にちぎれて、もやのような尾をひきながらゆっくり南へ流れていた。はるかかなたで――どのくらい遠くかわからなかったが――カラハリ砂漠が燃えていた」。そして野火は、見る見る間に彼らのキャンプに魔の手を延ばす。

 ふと目覚めれば、至近距離を肉食獣がさまよい歩いている。ライオンが車のタイヤに牙を立てる、筆者にとってはじゃれ合い、読者にとっては戦慄。観察を続けていればもちろん、ニックネームで呼んでいた彼らの飢餓や捕食や銃殺による死を突きつけられる。買い出しのために立ち寄った街で数カ月遅れの本国からの手紙を受け取れば、親族の死を知らされる。

 7年間の滞在を終え、生きて帰ってこのテキストを著したという究極のネタバレを前提とした上でなお、絶体絶命などという単語ではもはや言い尽くせないほどの試練が次から次へと彼らを見舞う。

 

 その中で、時に恵みの瞬間が訪れる。

 

 11月の雲にはじれったい思いをさせられた。薄もやのような雨の幕の、信じられぬほど甘くみずみずしい匂いがするのに、雨はいつもどこか遠くの砂漠のなかに降っていた。……

 何週間も失望を重ねてきた私たちは、今度もきっと嵐は素通りすると思った。だがそのとたんに黒雲はなだれのように“西の砂丘”の肩にくずれ落ち、黄色い砂嵐をのみこみながらキャンプのほうへおしよせてきた。……

 とうとう雨になった。窓枠のすきまから水が流れこんで、膝の上にしたたり落ちてくる。「におうよ! 雨のにおいだ! ああ、なんてすばらしいんだ! なんてきれいなんだろう!」私たちは何度も何度も叫んだ。……

 次の朝目を覚ますと、谷間は太陽の光をあびて明るかった。だがそれは、数カ月もカラハリ砂漠を焼き焦がした意地の悪い太陽ではなかった。穏やかなやわらかい光が、きらきらと露に濡れた水気の多い草の基部をかじっている数百頭のスプリングボックの背中をやさしく照らしていた。嵐は遠くの地平線で、わずかにけむっているだけだ。キャプテンとメイト[ジャッカルにつけられたニックネーム]、そしてオオミミギツネのペアが、スポンジのようになった地面にできた水たまりで水を飲んでいるのがキャンプから見えた。……

 この嵐で砂漠はふたたび緑色にぬりかえられた。それから一週間とたたぬ間に、谷間にはアンテロープの群れがたくさん集まり、ベルベットのような新芽のなかに、やせて耳のたれた子どもたちを次々に産んでいった。シロアリの有翅虫は女王アリのあとに群がって飛んでいた。オオミミギツネは綿毛のふわふわした子どもを連れてあちこちへちょこちょこ走りまわり、いたるところではねたり這ったり飛んだりしている昆虫の群れを食糧として、ふとりだしていた。だれもが食物の豊富なこの短い時期に子どもを産んで育ててしまおうとして急いでいた。暑さと野火の長い試練のあとにはいたるところに生気がよみがえり、新しい生命のはじまりが感じられた。間もなく次々に嵐が訪れ、雨期のはじまりとともに日中の気温は25度から30度程度に下がり、青い空にはこころよいそよ風が吹きわたり、まっ白い雲がひろがった。

 

 何が起きた――雨が降った。

 ただそれだけのことなのに。

 

ショーシャンクの空に』? それがどうした?

 ぬくぬくと自室でくつろぐ読者にすらこのカタルシスの一滴、したたり落ちずにはいない。

 神なき世界をさまよって灼熱の荒野を這う。そして萌える命にめぐり合う。救済のその瞬間は、今生にとて時に転がる。