ボーっと生きてんじゃねえよ!

 

 結論を先に言ってしまおう。私たち日本人が60年以上にわたって「紅白」を見続けてきたのは、そこに〈安住の地〉を見出してきたからである。……

 むろん、一口に〈安住の地〉と言っても、その形はさまざまである。ある時は生まれ育った故郷のことであり、またある時は家族と共に暮らす家庭のことである。祖国といった、大きな存在を意味する場合もあるだろう。流行歌としての歌謡曲は、それがどのような曲調やジャンルのものであれ、そうした〈安住の地〉に対する私たちの感情や思いをかきたてる。『チャンチキおけさ』や『東京五輪音頭』がそうであったように。

〈安住の地〉を希求する私たち日本人の気持ちを受け止め、つなぐ場となったのが「紅白」であった。その「紅白」を可能にしたのがテレビであり、歌謡曲だったのである。

 

 今もまだ使っているのだろうか、私の記憶にある明石家さんまは、ことあるごとにカメラの向こうの視聴者を指して「茶の間」と呼んだ。

 戦後の日本において、新三種の神器としてテレビは「茶の間」へと普及し、瞬く間にその中心に座するようになった。とりわけ大晦日ともなれば「家族そろって同じ番組を見ながら、その年にあったことを再確認する」。「紅白」というのは絶妙の装置だった。歌謡曲というBGMにのせて、時の人が審査員を務め、時事のトピックが場面場面に差し挟まれる。記憶とは呼び覚まされるものなのか、はたまた植えつけられるものなのか、いずれにせよ、ブラウン管を通じて〈安住の地〉が疑似的な共有を見ただろうことは想像に難くない。

 マスという特性に基づくこの機能は、農村から都市への移行という経済成長の必然と完全にシンクロする。『こんにちは赤ちゃん』に歌われるようなマイ・ホームを築くにせよ、『見上げてごらん夜の星を』に現れるような独居を取るにせよ、郷里を離れた彼らにとってのテレビは、失われし「茶の間」の間隙を埋めて、かりそめの〈安住の地〉を提供した。

 郷里における団らんから、核家族のリビングを経て、一室一台のプライヴェートへと変わり――テレビのたどったこの移行は、ウォークマンを媒介とした音楽消費のそれとほぼ完全に同期する――、そして彼らは「ホームレス」になった。90年代、その旗手たる「小室哲哉の歌詞に出てくる主人公たちは、居場所を持てないまま、寝静まった夜を一人で迎えなくてはならない」。

 

 テレポーテーション、テレフォン、テレワークといった語にあらわれるこの「テレtele」なる頭辞は、一連の用例をもって容易に想像のつくように、ギリシャ語で「遠く離れた」ことがらに由来して言う。テレビなるメディアの必然、互いを遠ざけ隔て合い、そしてついにはテレビすらも〈安住の地〉たる資格を喪失し、自己崩壊を余儀なくされた。覆水盆に返らず、テレビを見ると見ないとに関わらず、人々は一様にこの隔離された世界を条件づけられる。

 本書の論旨それ自体は、実のところ、「紅白」を必ずしも不可欠の要件とはしないテレビ論、歌謡曲論として成立してしまう。その中にあって、ポスト・テレビの成れの果てが、ひどくグロテスクな仕方で表出する、ただしそれは筆者が意図せざるかたちで、それも当然のように「紅白」とは別の場面において。

 20021月の『SMAP×SMAP』、フジテレビの生放送をもって稲垣吾郎が自粛からの復帰を遂げる。

 SMAPにとってこの番組は、いわば帰るべき〈安住の地〉なのである。だからこそ、稲垣吾郎はこの番組で復帰を果たしたのではないか。と同時にこの日の番組は、彼らにとって必要なコミュニティを取り戻すための“儀式”でもあった。

 この日の番組で、稲垣の事件以降、いかなる経緯をたどったのかがたどり直され、本人による謝罪がなされ、彼らにとって特別な歌を歌うことで再び稲垣を迎え入れ、フリートークによって各メンバーのキャラクターを再確認し、最後にノリのいい『SHAKE』で稲垣の復帰を祝福したのも、SMAPというコミュニティを取り戻すためだったのである。

 ここで同時に宣言されたのは、閉鎖され切った「コミュニティ」を映し出すための装置としてのテレビだった。普段ならば喜々として「容疑者」「被告」の用語をもって推定有罪の糾弾に加担する広報機関が、こと稲垣については足並みを揃えて「メンバー」と呼称し続けた。刑事司法手続とは独立に彼らによって行われる謝罪とやらが、世間なるものに対してですらなく、スポンサーや広告代理店といったステーク・ホルダー、すなわち「コミュニティ」に向けてなされていることなど、少しでもまともな頭がついていれば、誰しもが把握できよう。このセレモニーの遂行にあたって、自らが蚊帳の外に置かれていることにすら気づく能のない視聴者にはいかなる座席も割り振られてはいない。テレビはもはや内輪の「コミュニティ」と「茶の間」さえもつながない、その実践例にすぎないこの寸劇が、ただし筆者に言わせれば、「バーチャルな〈日本〉というコミュニティが崩壊した後の、新たなコミュニティへの希望を私たちに与えてくれるのである」。

 社会性と社交性は常に反比例する。

 それぞれがそれぞれのこちらを生き、あちらとの共通話法を持たない。おそらく世紀末にはとうに完成していただろうこの変質を際立てるに、SNSの台頭は理の必然だった。

 コモン・センスが消え去った亡骸としての「コミュニティ」のどこに「希望」を見ろと言うのだろう。