この国のかたち

 

 鉄道に乗るのが好きで、旅といえば、もっぱら鉄道を愛用してきたけれど、山奥の集落や岬の果ての漁港まで通じる鉄道は少ない。たいていは、その手前の町で終着となってしまう。鉄道を敷くには一定の輸送需要が前提となるし、急勾配や急カーブは不可という限界もあるから、やむをえないことだろう。

 それにくらべると、バスは小回りがきく。鉄道の通じない山峡に分け入り、あるいは海を見下ろす断崖の道を曲がりくねりながら、わずかな戸数の漁港まで行き、鉄道や幹線バスの及ばない地域への交通を補完している。……

 乗ってみたこともある。行くほどに客が降り、て終点に着くときは私一人ということもあり、ローカル鉄道に似通うものであったが、終点の風情は鉄道よりも一段と鄙びていた。心を惹かれた。

 それで、鉄道も通わぬ僻地のバスに乗るという旅を、これからしばらく、させていただこうと思う。そんなバス旅行にふさわしい一人旅で。

 

「何もなければ何もないと書けばよい」。

 むしろ「何もない」場所を好き好んで探し出した上でその通りに「何もない」と書く、そもそもの企画意図に当たり屋家業の匂いが漂わずにはいない。

 そうは言ってもこの筆者、なんだかんだと香り高き紀行文を仕立て上げてみせる。

 

 バスが走っているのは国道338号線で、ほぼ陸奥湾の北岸を沿っているが、ときどき海岸から離れて雑木林に入る。海と反対側の右窓には樹々の向こうに恐山が望まれ、高原を行くような感じがする。右側だけを見ていると、とても海岸沿いの道とは思えない。

 サクラが満開である。ソメイヨシノは散った気配だが、このあたりはヤマザクラなどが主力らしく、見事に咲きそろっている。大半の日本人にとっては一カ月も前に過ぎ去ったサクラが、ここでは今が盛りなのだ。バスの車内にも花見のポスターが掲げてある。

 ときどき海側の道端にホタテの貝殻の山を見る。陸奥湾はホタテの養殖のさかんなところだ。

 山側には丸太が積まれ、小さな製材所がある。「住宅の建築は青森産のヒバで」という看板が立っている。

 

 絵が浮ぶような、それどころか旅路へと誘われるような筆致につい引用が長くなる。

 見たものを切り抜いてテキストへと写し取っているだけではない、そこに読む者を旅へと連れ出す情緒を乗せる、類稀なる妙技の秘訣の一端が不意にのぞく。

「私は地図を見るのが好きなので、気になる地域があると、くわしく知りたくなって国土地理院の二万五千分の一を買いに出かける。月に一回か二回は十枚、二十枚と買ってしまうのだが、家に持ち帰って一葉ずつ点検するのは楽しい」。

 旅の伴に決まって携えてはしばしば光景と地図をすり合わせる、その様子が必ずと言っていいほど書き記される。あるはずの道が閉鎖されている、ないはずのトンネルがある。事前に描いただろう想像図のリマインダーとしてマップに目をやる。地図平面を脳裏で立体化させる作業に慣れ親しんでいる者が実景の三次元を地図へと、文字へと落とし込む、熟練の互換作業に読者もたちまち引き込まれずにはいられない。「何もない」地図に色やかたちを与えていく、その想像が文体を培う。見た、聞いた、触れた、という体験性のみでこの叙景力は生まれない。この書き手、脳とことばで旅することを知っている。

 

 その上で「何もない」、例えば電話で事前に宿泊予約しようとすれば、ほとんどの場合において、愛想がない、今様に云う塩対応を受ける。昭和の時代の紀行エッセイにあって、当然その宿屋が仮名で伏せられることはない。その点をことさらに口外する筆者が燃えるか、店が燃えるか、いずれにせよ、ついうっかりと炎上を危惧してしまう。

 いざ訪ねてみれば、しばしば垣間見せる人懐っこさとの落差に驚かされる。たぶん物心ついたときから電話が普及していた世代ではない。テレビによる「標準語」という飼い慣らしにも与していない。おもてなしと書いていやがらせと読む、そんなマーケティング用語の洗礼も受けていない。そんな「ない」ものをテキストの奥にふと数える。

 

 岩手は宮古のバス停「重茂漁協前」に着く。ところがこの建物は海岸沿いには「ない」、標高80メートルに構える。理由を尋ねてみる。

津波ですよ……津波にやられますとね、浜から高いところへ移るのですが、それでは不便なので、だんだん浜へ下りていくのです。すると、また津波に見舞われる」。

 そんなことばに触れた後、終点の集落にて石碑にまみえる。

「高き住居は児孫の和楽

 想へ惨禍の大津波

 此処より下に家を建てるな」

 

 今となってはもはや「ない」だろう光景を筆者は切り抜く。

 観光客をもとより当て込んでなどいない、村民町民のために営まれる日に数本のそれらバスには、しばしば帰宅する園児数人が付き添いなしで乗り込んでくる。そして最寄りの停留所で待つ家族へと引き渡される。地域のローカルバスが病院通いと通学通園を兼用し、老若男女が一同に乗り合わせる。

 翻って現代、親と子がタグやコードで紐づけられて管理され、認証をもってようやく両者は引き合わされる。

 

 肘折温泉のように当時よりもむしろ栄えているらしい街もある。国頭にしても沖縄の観光地化の恩恵に浴していることだろう。

 しかし総じて言えば、本書に描かれる光景は多くのものが既に「ない」。

 本書の23カ所を検索したわけではない(やったところで、まあ風情のかけらもない作業だこと)けれど、なにせ昭和末期においてすら限界集落なのである、好事家によってわざわざ掘り出されたコースのすべてが平成を経て廃線を免れていようとはまず考えられない、ましてや鉄道の延線があろうなどとは。何よりも、この旅にあってすら予兆がのぞく通り、既にダムの底へと沈んで消えた集落もある。

 ノスタルジーの書として懐古に浸る、いかにも正当な読まれ方だろう。

 しかし本書にあえて未来の指針を頼る。「何もなければ何もないと書けばよい」。どのみち日本の近未来は、一枚のタッチパネル平面をもって置換可能、置換不要なサルどもによって織りなされる「何もない」地獄へとひた走る。それはもちろん昭和への先祖返りを意味し得ない。単に「何もない」。各人としては「何もない」なりに、誰を頼るでもなく何を頼るでもなく、想像力の霊験に委ねて生き抜くより仕方ない。

 想像力がないから「何もな」くなるのか、「何もない」から想像力がたくましくなるのか。

 ひとり旅する脳裏の中にせめてもの慰めを見つければいい。