文字の教訓

 

 ここではひとまず、芸術家としての太郎はカッコにくくる。わたしがひたすら執着を覚えてきたのは、思想家としての太郎であり、とりわけ「日本」について物語する太郎であったからだ。その再評価こそが、わたしに託された仕事だと感じている。しかし、思想家としての太郎など、ほんとうに掘り起こすことは可能なのか。いったい、あの道化じみた晩年の太郎のどこに、思想家の残り香があったというのか。いや、むしろ、あれこそがひとつの思想の実践であったことが、やがてあきらかにされてゆくはずだ。

 

 パリの地でマルセル・モースの薫陶を受け、ジョルジュ・バタイユにも触れた。異国にて思う、「私はフランスの土を踏みながら、パリの街々を歩きながら、いつも、日本、日本、と心のうちに叫んでゐたのである」。しかし、「伝統」に苦吟する彼が選び取ったのは、人類学、民族学の道ではなかった。

「伝統」、ただし彼の定義によれば、「伝統とは私の裡にあるものだ」。明治以来語られてきた「伝統」とはすなわち、「奇妙に西欧的な文化意識に目ざめ、日本にもこんなものがあるぞ、と対抗的にもち出した。向うの価値観で自分の方を作りあげてしまった」もの、他なる者の眼差しに基づいたオリエンタリズムの自己参照形態に過ぎない。無論、世間の用語法が想定するような、形式主義の劣化コピペとしての「伝統」など、もとより太郎は眼中に置かない。かくあらざる「日本」を探す、「われわれのうちにある生活の初源的な感動」を探す、改めて「伝統」を自己定義する、こうして太郎は旅に出る。

 もっとも、『芸術新潮』を主要媒体としたこれらの訪問に先立って、彼には既に原体験があった。東京国立博物館における縄文土器との出会いだった。彼は紋様に見る、「あきらかにこれは獲物を追い、闘争する民族のアヴァンチュールです。/さらに、異様な衝撃を感じさせるのはその形態全体のとうてい信じることもできないアシンメトリー(左右不均斉)です。それは破調であり、ダイナミズムです」。その向こうに狩猟を見る、呪術を見る。殺す、食らう、生きる、太郎は血のしたたるその光景に残虐もヒューマニティも見ない、ただ縄文の風と土へと通う「伝統」を見る。

 そして琉球の最果てに太郎は見る、「何もない」という「伝統」を、「ぎりぎりの手段で生きる生活者の凄み、美しさ」を。「この貧困と強制労働の天地に、文化とか芸術が余暇なもの、作品として結晶し、物化するということはできるはずがない」。働けど働けど何が報われることもない、それでもなお、人は生きる。何のために生きる、なぜ生きる、一切の問い立ては封じられる。生きている、ただその脈動が目の前の老婆を、太郎を、伝わり、統べる。

 

 それにしても。終始腑に落ちなかったことがある。

 冒頭に宣誓される通り、太郎自身の手による写真を別にすれば、本書において彼の芸術が語られることはほとんどない。「思想家としての太郎」を雄弁に具現するはずの作品へと還元する、そのような表象批評は繰り出されることなく、あくまで著作物がたどり直されるに過ぎない。この片手落ち感をどう収めるべきか、読後数日ふと気づく。

 書いてはならなかったのだ、と。

 先の「何もない」琉球のくだりには実はまだ続きがある、「だが歌、踊りは別だ」と。何を持たずとも、わが身ひとつさえあれば歌える、踊れる、そして刹那に虚空へ消える。外より訪れた太郎はうかつにも「歌、踊り」を発見してしまう、そして文字にしてしまう。覆水盆に返らず、以後、「歌、踊り」はそれまでとは同じであれない。あるいはそもそも、もはや「何もない」ことにはできなくなってしまう。

 まるで別の案件を引用するつもりでめくっていたC.レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』の一節につい手が止まる、そしてそれは奇しくも、おぼろな記憶の限り、筆者の『ナウシカ考』においても触れられる箇所でもある。

文字の出現に忠実に付随していると思われる唯一の現象は、都市と帝国の形成、つまり相当数の個人の一つの政治組織への統合と、それら個人のカーストや階級への位付けである。……書かれた通達の初次的な機能は人間の隷属を容易にすることにある。

「思想家としての太郎」は、ひどく粗雑な物言いをすれば、延々と果てなき徒労を重ね続ける。弁証法的論理を免れる隘路を渇望し、「伝統」を追い求める、ことばを通じた時に単調なまでのその訴えは、しかし悲しいまでに、見事なまでに、その論理の袋小路へと自らを追いつめていく。それはまるで、実のところ、語りえぬものなど何もないことを自己証明するかのように。

 筆者は「身をやつした民族学者」について語り続けることで、すなわち言い換えれば「芸術家としての太郎」をあえて文字にしないことで取引を成立させる。前者を生贄に差し出して、後者を権力作用から免除する。

 言うなれば太郎は、芸術へと向かうその都度文筆を折り、「伝統」を作品へと仮託した。筆者がそれを文字へと適切に翻訳できるか否かは重要ではない。仮に「芸術家としての太郎」を文字のフィールドへと連れ出した際に生じる「隷属」こそが問題なのだ。

 ただし皮肉にも、「身をやつした民族学者」自身は度々、「何もない」人々を文字を通じて「隷属」の場面へと誘った。「芸術家としての太郎」は果たしてその免責事由を与え得るのだろうか。