エピファネイア

 

 本書では、聖地を物語によって他とは社会的に区別された場所と定義する。たいていの聖地には、そこで神仏が顕れた、奇跡が起きたといった物語がつきまとう。そして、その物語を真実だと信じて伝える人が一定数以上存在すれば、その場所で独特の実践が行われ、シンボルとなる建造物が建てられたりする。換言すれば、場所にまつわる物語を伝える人々がいなくなれば、そこは特別な場所ではなくなるのだ。

 こうした観点から、本書では「物語」を広い意味で用いながら、聖地について考えてゆく。……

 近世以来、江戸東京には無数の人々が暮らし、数々の社会的・文化的・政治的・経済的な出来事が生じた。政権交代、急激な経済成長、悲劇の大量死、無残な虐殺もあった。こうした出来事が起きるたび、ある場所に何らかの物語が紐づけられ、それが共有されることで聖地が生み出されてきたのである。無数の物語が生み出され、それが急速に広まり、忘れられる。あるいは、同じ場所が別の物語で上書きされる。この速さがあるからこそ、江戸東京は物語から聖地を語る上で絶好の街なのである。

 

 それは2016年の夏のこと、自転車であてどなく東京の街中を流していると、数キロごとに奇妙な光景に出くわす。だいたいが公園、祭りやライヴなどのイベントが催されている様子もないのに、やけに人が集まっている、それも全域ではなく特定のスポットに集中して。火災やらで締め出されたという風でもない。近隣の食べ物屋の順番待ちといったことでもないらしい。世代や服装もまちまち、共通項といえばせいぜいがスマホを手に持っているというくらい、さりとてカメラに収めたくなるような珍しい鳥か何かが訪れているというわけでもないようだ。

 薄々感づきつつも、さて何事か、と家に戻りネットで調べてあっさりと解決する。それは『ポケモンGO』が公開された最初の週末のこと、普段は閑散とした広場をたった一本のアプリが「聖地」へと変えた。

 誰しもが液晶のみを凝視する、その地のことなど見やしない。

 この現象、本書の「聖地」を体現する。

 

 この表題、極めてアイロニカルな響きを帯びる、というのも、いくら周辺を歩いたところで気づくこともないだろう「物語」がそれらの場所を「聖地」にする、その例をひたすらに連ねているのだから。少なからぬ場所ではプレートでその由縁が説明されていたり、パンフレットが配布されていたりもするだろう。言い換えれば、それら説明を与える存在があってはじめてその場所は「聖地」であることができる、巡礼したところで霊感とやらが誰に宿ることもない。

 その中で、本書にあって興味深いのは、単に語り継がれることをもって成り立つ「聖地」ばかりでなく、新たな語りをもって「聖地」が懐胎するその瞬間を時に捉える点にある。

 例えば明治神宮の片隅の「清正井」。由緒を言えば、名の示す通り、加藤清正と何かしらの関わりがあると見られはするが、本書内では「来歴は不明」とされている。その場所が2009年のクリスマス、突如として行列のできるパワースポットと化する。もちろん清正発信ではない、さるテレビ番組で「運気向上の場所」とクローズアップされたことだった。「ブームになって参拝者が増えたのは良いが、彼らの多くは肝心の本殿には参拝しなかった。神社としてみれば、清正井はあくまで湧き水であり、宗教的な意味はない」。

 パワースポット・ビリーヴァーvs.神社本庁。「物語」を共有しないことから生じるカルトとカルトの頂上決戦、面白い、面白すぎる。「物語」には1ミリの興味もない、でもこの抱腹絶倒のマッチアップは金を払ってでも見たい。

 

 その本書において、土地を歩くことが明快に「物語」をあらわす、そんな「聖地」もある。

 典型が上野に座する寛永寺である。かつては徳川家お抱えの菩提寺、「最盛期には境内の広さは30万坪を超え、大名に匹敵する12000石の寺領が与えられた」。知っての通り、その地が維新軍と彰義隊の闘いの舞台と化する。「国家主催の聖地であった寛永寺は、維新後、大衆のための公共空間へと改造されてゆく。古い時代の宗教的権威がはぎとられ、近代文明の展示場へと作り変えられたのだ」。

 今や上野の山といえば、世界的にも類を見ない博物館、美術館、動物園などが一堂に集うゾーンとして定着して久しい。そして同時に、あの東照宮も辛うじて姿を残す。

「物語」など所詮、身も蓋もなく、ほとんどが言った者勝ちをあらわすに過ぎない。嘘からしばしば真が出ずる、そんな「聖地」をめぐる本書にあって、勝った者が土地ごと書き換えてしまう、あまりに露骨なパワーゲームの場面に出会う。

 古今東西モニュメントがなぜ建てられる、勝者を証すためにある。死を思えmemento mori。地は知なり、而して血なり。「聖地」とは、相克の「物語」をこの身に刻みつけるためにある。