風と共に去りぬ

 

 第26回のオリンピックはアメリカのアトランタで開かれる。それは近代オリンピックの第1回大会がアテネで開かれてちょうど100年目に当たる。それがなぜアトランタで開かれることになったのか。……

 もし、今回の開催地として最もふさわしい都市を挙げるとすれば、第1回の開催地として、当時としては異例なほど立派な競技場を作って応えてくれたアテネしかなかっただろう。しかし、国際オリンピック委員会アトランタを選んだ。それは、最大の「金主」たるアメリカのネットワークテレビの意向を尊重したためだ。……

 かつて、古代オリンピックオリンピアでのみ行われていた。だが一度だけ、時の権力者であるローマの将軍スラによってその勝利を祝う儀式のひとつとして、ローマに持ち去られたことがあった。それは古代オリンピックの衰退を象徴する大きな出来事だった。

 同じように、オリンピックのアトランタ開催は、国際オリンピック委員会、いや近代オリンピックが、現代の権力者としての巨大資本の前にひれ伏した象徴的な出来事といえる。

 近代オリンピックは、いま、ゆっくりと滅びの道を歩みはじめたのではないか。

 

 例えば筆者がスタジアムの記者席で立ち会った女子100メートル決勝、トップのランナー二人は全くの同タイムでゴールへと駆け込んだ。判定の連続写真ですらも容易にはジャッジメントが下せない、そんな誤差をまさか肉眼で見切れる者などあろうはずがない。続く男子100メートルの決勝はフライングに次ぐフライング、その逸脱は電子時計が辛うじて教えるに過ぎない。何はともあれ、4度目にしてようやく認められたスタートから9.84秒後、ドノヴァン・ベイリーがラインを超える。従来の記録を塗り替える世界新、もっともその差は0.01秒に過ぎない、当然人間の五感が決して知覚することのない。

 単にそれはパフォーマンスをより臨場感をもって見せるというに留まらない、ストップ・モーションやクローズ・アップといった映像技術が多くの競技のレギュレーションを規定して久しい、そんなテレビの時代に筆者はあえて、その時代性を無二の仕方で象徴するだろうアメリカはアトランタの地にてオリンピックを観戦する、それはきっとテレビでは映らない何か、報道されないだろう何かを求めて。

 

 現地に到着して早々に、先制パンチをかまされる。取材用のIDカードを入手すべく、ウェルカムセンターへと向かおうとするも、空港に配置されたボランティアは誰もその場所を知らない。何とか辿り着くも順番待ちは長蛇の列、しかもそこには取材陣のみならず、選手団までもが並ばされている。結局、たかがパスの取得に3時間強、とんだ出迎えを受ける。用意されたバスは時にエンスト、替えの手配もままならない。やはりボランティアで動員されたドライバーは、しばしばその順路さえも把握していない。テレビではまず流れない、競技の裏側を垣間見る。

 かつてのお家芸、女子バレーボール日本代表の練習を視察する。報道陣の姿はまばら、メダルの期待は皆無、従ってその模様は伝えられることすらなかっただろう。東洋の魔女がもたらした「特別の国」幻想を追い求め続けた末の、罵詈雑言と猛特訓の旧態依然たるその風景は、「普通の国」ですらあれない現状を克明に表していた。まさか筆者は、この25年後にあってさえも昭和の輝ける栄光の影を引きずっていようなどとは想像だにしなかったに違いない。

 

 そしてこの大会のハイライトと言えるだろう、カール・ルイスが史上最多タイ(当時)通算9個目の金メダルを手にする瞬間に立ち会う。もっともその評は辛辣を極める。「私は彼を見るたびに失望するということを繰り返してきた。/それは、やはり、彼の徹底した商業主義と無縁ではなかっただろう。すべてがカネを中心にして動いているように見える。つまり、カネのためにならたいていのことを引き受けるが、カネにならないとなるとちゃいていのことを拒絶するというわけだ。そして、行動のすべてが自己宣伝に役立つかどうかによって決定されている」。

 テレビに映る、そして映らない、そんな決定的なシーンを筆者はやがて目撃する。

 ウイニング・ランの最中、「客席に向かって手を振った。しばらく手を振ると、また走りだし、また別のところで止まって手を振りはじめた。最初は知り合いがいるのかとも思ったが、何度か繰り返されるうちにわかってきた。彼が途中で止まるのは、カメラマンが多くいるところに限られているのだ」。

 もとより彼は数万人の観客など見てはいなかった。さりとて、カメラの向こうの全世界数億人の視聴者だって見てはいない。筆者は誤っている、彼は紛れもなく「知り合い」に向かって手を振っていたのだ。つまり、放送関係者、スポンサー、広告代理店といった実質せいぜい数百人程度のコアなステーク・ホルダーたちに向かって。

 

「近代オリンピック100年の軌跡を眺めると、古代オリンピック1200年かけて辿った軌跡を、10倍のスピードでなぞっているように見える」。然らば2016年のリオデジャネイロをもって「滅びの道」を迎える、この予言は華々しく外れた。

 しかし、オリンピックがもはや「偉大な瞬間」を刻み得ない、その確証を筆者は現地で掴んだ。いみじくもカール・ルイスが体現する、すべてアスリートなる存在は、スタジアムともつながらなければ、ましてやテレビなるメディア越しのその向こうなど知る由もない。ただ彼らはごく狭い、自らのサークルを分かち合うに過ぎない。

 ダンバー数なる仮説がある。提唱者の名を取って定義されたこの数は、人間が実際に親密な関係性を保ち得るその上限を、霊長類の観察から導き出したものである。その数字、驚くなかれ、たったの150人に過ぎない。

 たぶん、古のオリンピックは刹那、ダンバー数の天井を突き破る、そんな錯覚を共有させたに違いない。スタジアムに詰めかけた観客は、栄誉の中心への熱狂をもって互いが溶け合う「偉大な瞬間」に酔いしれたのだろう。

 しかし、その法悦は桁違いの視聴者を抱え込むテレビでは再現されなかった。テレビはむしろ人々を結びつけるどころか斥け合い、かつてのホームタウンにはあったかもしれない最低限の親近感さえも洗い流した。「偉大な瞬間」など蚊帳の外から幻視した蜃気楼に過ぎない、そんなダンバー数のリアリズムを突きつけ、あまつさえその最低限すらも剥ぎ取っていった。

 東京オリンピック2020の開会式の視聴率は、なんと56.4パーセントを記録したという。3S政策の構想そのままに、その裏側の例えば医療崩壊の現実を忘れさせてくれるアヘンとしてのテレビに誰しもがすがりついた。もちろん「普通の国」の民ですらあれない彼らは、自分のかけがえのない時間と金が盗み取られていることなど、知る由もない。