四大元素

 

 一枚の絵のことが前々から気になって仕方がない。

 ナチス文化政策やいわゆる「ナチスの芸術」のことを調べていると、かならずといってよいほど顔を出す。とうとう実物を見に出かけた。20178月末のことだ。

 それは『四大元素Vier Elemente』という作品である。四元素、四大とも訳すが、古代ギリシア以来、この世界の物質を構成する基本要素とされた火、空気(風)、水、土の4つの元素をあらわす4人の裸婦像で、1937年に公開された。画家の名はアドルフ・ツィーグラー(1892-1959)。誰もが知っている画家ではない。……

 本書がまず明らかにしようとするのは、ツィーグラーの『四大元素』に流れ込むさまざまなイメージの系譜である。そこにはドイツ近代美術の作品ばかりではなく、メディアに流通する画像や映像も含まれる。それはこの作品が、さらにはナチス絵画が、具象画や具象的イメージの系譜のなかでどのような位置を占めるかという問いの解明である。……

 次に本書が試みるのは、ナチス絵画の「代表作」と目される『四大元素』に具体的に何が描かれているかを、徹底的に記述することである。そうした図像学的な作業を通じて論じたいのは、ナチス美術が色濃く示している「折衷主義」という特色とはどのようなものかという問題である。……

 さらにもうひとつ本書がめざしているのは、『四大元素』をミュンヘンという都市の文化的環境のなかに置きなおすことである。……

 ミュンヘンの美術運動というと、わたしたちはすぐに表現主義の一翼を担った「青騎士」グループのことを思い起こす。後にバウハウスでも教鞭をとったワシリー・カンディンスキーの躍動する色彩やフランツ・マルクの青い馬の印象があまりに強く、ミュンヘンをそれこそ「頽廃芸術」の本拠地と思いがちなのだが、実はここにはそうしたアヴァンギャルドとはまったく別の近代絵画の伝統があった。

 

 1937年の夏、ミュンヘンの街でふたつの美術展が催された。ひとつは「大ドイツ美術展」、そしてもうひとつは「退廃美術展」。後者には、印象派表現主義キュビズムといった、要するにモダン・アートがユダヤ人の手による作品と並んで一同に集められる。前者の世界に冠たる帝国の精華を前に、その愚劣は必ずや白日のもとにさらされよう、ナチス幹部の目論見といえばそんなところだったと推察される。ところが蓋を開けてみれば何のことはない、4カ月で200万人を動員し、観客数の上ではトリプル・スコアの大楽勝を収めた――とこのくらいまでは、美術史でしばしば引き合いに出される話。

 そしてテーマは本書の主題たる『四大元素』へと移る。この「大ドイツ展」の看板作品、今日においてはとんと言及されることがない。

 論より証拠というべきか、絵画のコピーを実際に覗いてみれば、理由はただちに了解される。

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 床に漫然と転がっていた池上英洋『官能美術史』にまさか再び開かれる日が来ようとは。もっとも、これらと照らし合わせるまでもなく、そう、別に単体としてこれといって面白みがない。

 裸ではある、といってなぜにという理由を正当化するヌード絵画の物語的伝統はそこに見えない。裸のための裸。無理矢理にこじつけようにも、覗き見趣味の劣情を誘うところすらない、ヌーディストの日常か低温サウナかという結論の他に落としどころはさして思いつきようもない。

 だが技法的な側面に照らせば、ヴィーナスの系譜、ボッティチェッリラファエロに少なからぬものを負うことは否めまい、写実絵画に属しはするのだろうが、マニエリスムなどの匂いがしないこともない。コントラポスト風味に身をわずかにくねらせた座り姿、見覚えがあるような、ないような。いずれにせよ、素人目に圧倒的な生々しさをもって迫るところはなく、猥褻性か聖性かのいずれを湛えることもない。戒律を免れてポルノグラフィを正当化したければ、神話や聖書に寄せてしまえばいい、そんな苦心の口実作りの歴史はここに見えない。アトリビュートとすら呼べぬほどにあからさまに持たされるに過ぎない火や穀物(土)はむしろ、この裸婦像がポスト・エドゥアール・マネの産物であることを示す以上の機能を有さない。

 ここからは筆者の観察、台座の黒、左右の布の赤と金、いかにもドイツ国旗である。「しかし、三色のもうひとつ別の側面に注目する必要がある。人物がこれらの色彩の布地を身にまとっているのではなく、それを脱ぎ捨てているという点だ。つまり、ここに描かれているものから、伝統的なドイツの国家体制を脱した国家の姿、とりわけ、三月革命の理念を継承したヴァイマル共和国という体制を脱ぎ捨てた『新たな』国家の姿を読みとることは不可能とはいえないだろう」。

 さらに言う。火はエネルギー、工業を示し、風はおそらくは「交通・通信」を寓意する。だとすれば「細部まで計算しつくされた構図ではないか。ここでは、〔リヒャルト・ヴァルター・〕ダレーの世界観(農本主義)にも、〔ヨーゼフ・〕ゲッペルスの価値観(技術的合理性にもとづく市民社会の相克)にも、憎いほどの配慮がなされている。しかもそれはそのまま、自律的な諸システムを統合しようとするナチス体制のみごとな可視化となっているのだ」。

「だが職人技ともいえる見事な計算と配慮の結果生まれるのは、没個性的な表現と表現されたものの曖昧さにほかならない。それらは、……独創性と革新性に最大の価値をおくモダニズムの芸術観からすれば、二流の証しとなってしまう。この作品が見る者に与えてしまう凡庸さの印象は、まさしくそこに由来している」。

 

「大ドイツ展」の開催にあたり、総統は高らかに「ドイツ的」なるものの樹立を宣言した。

「ドイツ的であるとは、明瞭であることなり」。

 しかし、彼はついに「ドイツ的」という語の定義を示すことなくその演説を閉じざるを得ない。彼はひたすら「退廃」の糾弾に時間を費やした。彼が言う「ドイツ的」とはつまるところ、「非ドイツ的」なものをめぐる消去法を通じてのみ定義される何かに過ぎなかった。

 しかし、このあふれんばかりのモダン・アートへの侮蔑は、単にフューラー個人の嗜好に解消されるものではない。

ミュンヘンは輝いていた」(トーマス・マン)世紀の転換点に話は戻る。いつしか美術アカデミーは「一定の――つまり平均的な――能力の持ち主なら誰でも到達可能な専門的知識の獲得と技能の訓練に特化しはじめる」。技術をひたすら磨き抜く、その方向づけは過去の潮流のいいとこどり、少し気取って言えば「折衷主義」。結果、「古典主義・歴史主義偏重のカリキュラムを推し進めていくことになる。これがシステマティックに徹底されていくと、硬直したカリキュラムや権威主義的教育法という、多くの優れた才能を幻滅させる『弊害』が生じる」。それは限りなくフォーディズムに似る。早々にパウル・クレーは見切りをつけた、カンディンスキーも決別した、ウィーンではエゴン・シーレも立ち去った。

 そうして一度は世のさらし者へと堕ちた「アカデミズムの逆襲」がはじまる。

 皮肉にも、その頂に君臨したのは、恋い焦がれたアカデミーへの入学すらも許されず、ただし終生モダン・アートに「退廃」以上の何かを読み取れなかったかつての三文画家、その名をアドルフ・ヒトラーという。

 このトレンド・セットにヒトラーの、いや、「ドイツ的」なものの胎動を見るのは錯覚ではない。世界を可能な限り単純化したい、いや、自分に理解できるものだけが世界のすべて、幼児性むき出しの分かりやすさの罠にまんまと落ちた彼らにとって、芸術とは「土」(フェルキッシュ)への回帰に他ならず、掌握可能なキッチュに収斂されねばならない。ポピュリズムの嵐の中で、彼らの想像の届かない何か――例えばモダン・アート――など、排除されるべきもののメルクマールという以上の表象など帯び得ない。

 率直に言えば、私もまた、アカデミズムに少なからぬ共鳴を覚えずにはいられない。人間というコンテンツの感覚機能や情報処理スペックによって規定されるすべて芸術なるものは等しく、スクリプトをもって回収可能な、フォーディズムを通じて量産可能な何かを決して越えない。過去の、未来の、すべての作品にこのユニヴァースの計算の範疇を逸脱するものなどひとつとしてない。「独創性と革新性」など、マネー・ロンダリングの外側にいかなる居場所をも持たない。

 だからこそ、有限性を知ればこそ、あえて描く。もとより人は写真のようにもCGのようにも描けない、万事その調子で何をしても自ずとほつれる、あるいはそれを「個性」と呼ぶ。何を描くか、でも、どう描くか、でもなく、とにかく描く、何かをする。否定を通じてしか「ドイツ的」を示せない彼ら、カール・シュミットの友敵理論そのままに討つべき仇の影としてしか同胞を規定できない彼ら、デジタル・データへと即時移し替え可能な彼らには生涯決して知られることのないだろう行為の自己目的性が、全体主義を免れる辛うじての隘路を開く。

 

可能な限りの発展の自由を与えられた場合にのみ、芸術そのものは成長することができる。そして、芸術を、そして一般に文化全体を拘束し、抑圧することが可能であると信じる者たちは、それにより、芸術と文化に対する罪を犯しているのだ。

 

 この発言の主、なんとゲッペルスだという。

 

 アートとは、あったところで何の薬になることもない、ただし、アートすら消え去った世界は相当な毒に冒されている、その程度には、毒にも薬にもなるらしい。