まんじゅうこわい

 

 紫式部織田信長など、歴史上の有名な人物にかかわる和菓子のエピソードをご紹介できたら面白いのでは? と考えて、東京赤坂の虎屋ギャラリーで展示を開催したのは平成2年(1990)のことでした。新聞にも取り上げられ、好評だったことから、「歴史上の人物と和菓子」は、何回か展示のテーマとなりました。そして、ホームページで同タイトルの連載を始めたのが平成12年です。毎月1回更新で、虎屋文庫スタッフ(現在は7名)が順番に執筆し、続けること17年。掲載した人物は200人近くになりました。この連載をもとに、100人の人物を選び、大幅に加筆修正して誕生したのが本書です。

 

 以下に引くのは、『草枕』から羊羹について語った箇所である。

 あの肌合は滑らかに、緻密に、しかも半透明に光線を受ける具合は、どう見ても一個の美術品だ。ことに青味を帯びた煉上げ方は、玉と蝋石の雑種の様で、甚だ見て心持ちがいい。

 ひとさまを腐すその毒舌においては人後に落ちないあの漱石をして、こと羊羹となるとここまで甘やかに垂らし込まれる。

 

 まるで静物画の習作のように、この文章に触発されて羊羹を綴った男があった。

 玉のように半透明に曇った肌が、奥の方まで日の光を吸い取って夢みる如きほの明るさを啣んでいる感じ、あの色あいの深さ、複雑さは西洋の菓子には絶対に見られない。クリームなどはあれに比べると、何と云う浅はかさ、単純さであろう。だがその羊羹の色合いも、あれを塗り物の菓子器に入れて、肌の色が辛うじて見分けられる暗がりへ沈めると、ひとしお瞑想的になる。人はあの冷たく滑らかなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。

「美術品」すら超えて、「瞑想的」の域にまで羊羹を、たがか羊羹を導いたこの男、谷崎潤一郎という。

 

 対して、鴎外がもし仮にこの熱意の1000分の1でも自らの好物、饅頭茶漬けに注いでいたら、そう悔やまずにはいられない。娘のエッセイのネタにされることで悪食のシンボルがごとくに今日まで語られはするが、冷静になって考えてほしい、そこまでひどいか、と。饅頭のお供に煎茶がなければ例の落語のサゲは成り立たない、そこに白米を合わせて少し甘みを和らげたに過ぎないこの食べ物は、後世の語り草となるまでの酷評に値するのだろうか。

 つくづく鴎外が名文をもって世間にその風味絶佳をアピールしなかったことが惜しまれる。その世界線においてあるいは、冬のコンビニ定番スイーツとしてレジ横に羊羹ではなく饅頭茶漬けが並んでいたとして、果たして何の驚きがあろうか。

 

 そして明治が誇るクズ代表、石川啄木は和菓子を書かせてもやはりクズだった。

 下宿の窓外に見える氷屋の「旗をながめていた啄木は、『氷は冬の物である。それを夏になつてから食ふとは面白い事である』としながら、自然は慈しみの心をもって『万象を生育させんが為』に夏の暑さを与えているのだから、『自然界の一生物』に過ぎない人類は、おとなしく服従すべき、と書いています。さらに、氷を食べて暑さをやわらげようとするのは『自然に反逆してゐる』といい、まして、『味覚の満足』のために砂糖やレモン、蜜柑などで味を付けるとは『人間の暴状も亦極まれると言ふべしである』と述べているのですから驚きます。

 ところが、なんと啄木の日記には、たびたび『氷を食べた』との記述が。岩手県に生まれ育ち、前々年は新聞社の特派員として北海道で夏を過ごした身には都会の暑さはさぞこたえたのでしょう。氷を食べることは人間のエゴイズムだと非難しながら、かき氷をちゃっかりと楽しんでいたとは御愛嬌です」。

 食べ物って本当に人間性が出ますね。