L-O-V-E

 

 自ら語るような人ではない。誰かがこの人の話を書き留めておく必要があった。

 生涯アナキストの気分を持ち続け、大杉栄辻潤、宮嶋資夫らをよく知っていた画家の林倭衛。その父に可愛がられた娘。肺結核で早く亡くなった母、面倒を見てくれた祖父母。

 しかし両親を戦中・戦後に失い、聖子は十代から一人で立っていかなければならなかった。

 聖子は、太宰治古田晁という二人の応援を得て、新潮社、筑摩書房という出版社に勤めた。その後、演劇という打ち込める世界に乗りだす。しかし、やはり生活が夢に先行した。恋人を食べさせるため銀座のバーに勤めたのを皮切りに、六一年からは新宿の外れのバーの経営者になる。そこにはたくさんの人々が集まった。……

「風紋」は酒場であったが、文化活動、思想運動の結節点でもあった。聖子さんはその中にいる輝く磁石のようなものだった。……

 今はないからこそ、ここに紙の碑を立てる必要があるのだろう。もはや林倭衛に関する証言は得られない。太宰治に関する証言も得られない。聖子さんは宮嶋資夫も辻潤も、出隆も、勅使河原宏も、安部公房も、竹内好も、井伏鱒二も、檀一雄も見た人である。

 

 率直に言えば、このテキスト、まるで読み方が分からなかった。

 基本的には、林聖子と筆者のインタビュー形式をメインに、彼女の生前の父にまで遡って、その来歴をひもといていく、という構成なのだが、いかんせん、私にはその固有名詞のことごとくが分からない。小出楢重伊藤野枝あたりならまだしも、武林無想庵や久板卯之助と言われても、どなたですか、としか応答のしようがない、例えば「硲」という文字の読み方を幾度確かめたことだろう、明かされていくエピソードはひたすらに右から左へとすり抜けていく。

 

 ところが中盤に差しかかったあたりで、不意にチューニングが合う。

 太宰治の登場である。なぜにそこまで熱心になれるのかが分からないと言っただけでどうやらアンチ呼ばわりされるようだが、その作品を好きでもなければ興味もないという温度感の私でも、玉川上水で心中死したくらいのことは知っている。あてもなくこの界隈を散歩した末に、なんとなくのランドマークが欲しくて、その終着点を鴎外とともに眠る禅林寺に設定したこともある。

 そしてこの聖子女史は、短編「メリイクリスマス」のモデルになったばかりか、その最期にも深く関わっている。以下、その証言を引こう。

 

――聖子さんは太宰さんの遺体の第一発見者なのですか。

「発見じゃなく、入水した場所を突き止めたんです。六月十四日の明け方に、三鷹に住んでいた野平さんに突然起こされました。ドンドンとうちの戸を叩いて。昨日から太宰さんと富栄さんの姿が見えない。山崎さんの部屋には写真と遺書があると。私だけすぐ着替えて飛び出しました。野平さんは、太宰さんが前に漏らした言葉から玉川上水に違いない、とピンと来たと言う。とにかく土手まで行ってみようと、そしたら道端に黄色い薬瓶や小さなハサミ、ガラスの小皿などが散らばっていた。そのお皿は山崎さんがいつもピーナツを入れて出していたのなんです。間違いない。下駄もありました。その歯の減り方で、太宰さんのだとわかりました。いつも『千草』で飲むときに、太宰さんがそこに放っておくので、私は揃えて下駄箱に入れてあげていた。そこから土手の土が、下の方までズリッと削られていました。ああ、ここから川に入ったに違いないと」

――今の静かな、浅い玉川上水では、あそこで自殺できるということが信じられません。

「あの頃は大変な水量で、人喰い川といわれ、ゴーゴーと流れも速かったんです。捜索に筏を組んだくらいですから。私は『なぜ、なぜ』と頭の中で自問するばかりでした。遺体が上がったのはそれから五日後の六月十九日です。若松屋さんが知らせてくださった。雨の日で、私は土手の崖下まで駆け下りて、上がった遺体に傘をさしかけて立っていました。太宰さんと山崎さん、二人一緒でした。筵から出ていた太宰さんの足が、時間が経っているからか、透明感がなく、漆喰みたいな白さでした」

 

 引用のために書き写していて、改めて圧倒される。削ってもいいかな、と瞬間思われた箇所もひとつとして揺るがせにできない。織り込まれたディテール、迫真のドキュメント性、ほんの数時間前の出来事を明かすかのようなこのくだりだけで既に一編の名作小説の佇まいをあらわす。

 このエピソードを採取した当時で彼女は既に齢八十を回っている。それでいて、この解像度、叙事性、叙情性。ただただ圧倒され、そして気づく、たぶんこれ以前をめぐる語りについても、同様の輝きが放たれているに違いない、ということを。

 鈍感で無知な読者である私が全くキャッチできていなかったというその現象がある面では反面教師的に象徴する、シテなる主役のその向かいに、往々にして何をすることもないワキが配されることをもってはじめて能が動き出すように、本書は森まゆみという聞き手を持つことではじめて成立したのだ、と。

 類稀なる歴史の目撃者である林聖子のそのキャリアをもってしても、その記憶の扉をきちんとノックできる誰かを持たなければ、すべては風化を余儀なくされていた。おそらくは同じことが「風紋」でも起きていた。数十年前、そうした数多の語り草を携えていただろう文壇や映画界のレジェンドたちもまた、聖子という聞き役を欲していた。

 紛れもなく、本書を読むことは「風紋」を訪ねる体験に限りなく重なる。