論語と算盤

 

 僕は働きたくなかった。

 ただただ働きたくなかった。

 理由はよくわからない。……

 別に人間関係が悪かったとかブラックバイトだったというわけじゃない。働いている間ずっとスイッチを入れ続けている、あの感じが本当に無理だった。

「ちゃんとしていなきゃいけない」

 あの感じがすごく疲れてしまう。……

 自分はちゃんとしているつもりでも、誰かの機嫌を損ねてしまっているかもしれない。じゃあ自分はもっとちゃんとしないと。もっとしっかり演じないと。もっともっと本当の自分を捨てて、だめな自分を見せないようにしなければ。そんな悪循環をどのバイト先でも繰り返した。働けば働くほど、本当の自分はだめなやつなんだという気持ちが強くなった。そんな気持ちがあふれてしまうと、バタッとバイトを辞めてしまう。そして、辞めてしまったことで、より一層自分はだめなやつなんだという気持ちが増していく。

 だから、僕は働きたくなかった。

 

 書き出しからして既にこの通りのダウナーぶりである。もちろん、テキスト化という行為のある種の病として、80のテンションを100に水増す程度に筆が走ってしまうところはあるかもしれない、しかし本書を貫く文体に0100にしている気配は感じ取れない。序盤で伏せたきり挫折する人も決して少なくはないだろう。悩める就活生が手に取ろうものなら、共感を超えた混ぜるな危険を誘発するに違いない、それほどにエモいというより暗く重い。

 そうして底の底を打ち切ったところで、筆者に逆転の発想が舞い降りる。

 会社勤めが嫌ならば、いっそ起業してしまえばいいじゃないか、と。

 通常においてアントレプレナーたるもの、一兵卒では飽き足らず一国一城の主たらんことを欲してたどり着くものに違いない。しかし本書にその野心は微塵も垣間見えない。家業を押しつけられたわけでもない、選択肢が他にないから消去法的に自らの店を営む、いかにネット上で既に先人を見つけていたとはいえ、この完全起業マニュアルは身震いするほどに新しい。

 

 そんなダークな本書にあっても、なんだかんだと首肯させられる箇所がある。

「僕は寝ても覚めても売上げのことばかり考えるようになっていた。……あーだこーだと人生について考えを巡らせて、ゴールのない思考の海を泳ぎ続けるよりも、お金のことを考えているほうがよほど健全だと思った。お金のことを考えて、それを実務にどう落としていくかを考えている時は、よけいなことに頭の容量を割かれない」。

 喫茶店開業後の筆者のテンションは、見事なまでに売り上げの折れ線グラフと正の相関を結ぶ。座席数はわずかに5つ、売り上げは行って3万、されど3万、SNSでそれなりにバズり各種メディアにも取り上げられれば舞い上がり、閑古鳥が止まらなければ、先行き不安が「僕は何も変わっていなかった」とそのまま文章に反映される。このジェットコースターは、彼が銭ゲバになってしまったということを何ら意味しない。それはつまり、経済なるものが他人に自分がどれほど必要とされているかの最も明快な指標であるからに他ならない。そうして彼は目覚めるだろう。

「ここに足繫く通ってくれている常連さんたちは、美味しいご飯が食べたいわけでも、美味しいコーヒーが飲みたいわけでもなく、僕とおりんさんが作っているこの空間が好きなんだ。それに気づくと、やるべきことは斬新なアイディアやシステムの構築なんかじゃなく、とにかく人柄のいい人、機嫌のいい人であり続けること、そして、このコミュニティの責任者として空間を管理し、守り続けることが僕とおりんさんの仕事なんだと思った」。

 金の切れ目は縁の切れ目と聞けば、普通は拝金主義者の薄情をなじるような響きを帯びずにいない。しかし本書に新たな意味を発見する。縁を金がつないでくれる。コミュニティは金がなければ保てない。

 金は何のためにある? 共同体を回すためにある。

 

「人生に必要なのは、愛と勇気と、少しのお金」

 チャップリンよ、あなたは正しかった。

 

 なおこのお店、今はもうない。