砂の惑星

 

 どれくらい経ったかわからない。いつからか風の音がしている。その世界を知るためのものはまだそれしかない。近くでか遠くかで鳴っているのはおそらく風の音だがそれも定かではない。何も見えない。音だけがある。でも風は元々音しかしない。目には見えない。目に見えているのは風が吹いている証拠だけで、それは風ではない。

 ざっ。ざっ。と聞こえてくるのはおそらく足音だ。その音はやわらかい。音がやわらかいというのはおかしいが、それは砂浜を歩いているような音だ。コンクリートやグラウンドの上の砂利を擦りながら歩いているような、そんな固さを想起させるような音ではない。……

「世界は終わったみたい」

「おしまいだ、何もかも」

 風の音と、嘆息だけが聞こえている。

 

 世界の終わり、といってもそれはあくまで自主製作映画のプロット。専門学校のグループ4人が1台の車に乗り合わせて横浜を発ち、各所を経由しつつ、鳥取砂丘を目指す、その撮影旅行の道中を小説は追う。

「これからぼくらが話すことは、人類が歩んできた、行ってきた、すべての営みの記憶を背負ったぼくらが話すことは、人類最後の会話になるかもしれない。そうやって考えるとき、ぼくらは、何を話すべき?」

 この会話劇にはひとつのギミックが仕込まれている。

「脚本は途中まで書いて、途中からはアドリブにする予定だった」。

「予定だった」、旅路を経て、脚本は改められる、「ほんとに普段のわたしたちが喋ってるみたい」に。

 そうして完成された映画のシーンが描き込まれる。どこまでが脚本で、どこからがアドリブか、もしくはシチュエーションのみを与えられたメソッド演技なのか、はたまた完全台本で進行しているのか。

 読者にその答えを知る手がかりがあるとすれば、移動の車中で交わされる会話。

 例えば自殺した父を持つ「ぼく」が不意に思い出すのは曾祖父の死、その家の床の間には百体もの鳥の剝製が並ぶ。

 メンバーのひとりの実家で一夜を過ごす。その彼が告白するのは5年前に失踪した弟の存在。扉を開けるとシングルベッドの上には段ボールで作られた街のミニチュア、兄が言うことには、

「で、弟は熱中してつくりだしたんだけど、ある日突然、こいつは鍵をつくってるんじゃないか、って思ったのよ。鍵、って言うのも変だし作り話っぽいけど、でも一番しっくりくる言い方が鍵でさ、つくりはじめたときは、自分なりの街、だったんだろうけど。……そのあるべき街に行くための鍵になる、みたいな。それで、模型が完成して、それを頼りに、って言っていいかはわからないけど、弟は自分の思い描く街のある場所に消えたんだよ」。

 

「それで、その見方とか考え方を誰かと持ち寄って、それらがぶつかったときにだけ、世界が立ちあらわれる。って思うんだよ。そうした個々が衝突したときにだけ、だから、人と人の交わり、触れ合い、ぶつかり、会話、接点だけが世界。世界を見る目っていうよりも、見る、っていう行為の方に何かが宿って、それが他のそれとぶつかったときにだけ、世界が発生する」。

 世界の終焉を描く映画が構想するのはむしろ世界の発生だった。4人がそれぞれに持ち合わせる「模型」が「ぶつかったときにだけ、世界が立ちあらわれる」、ポリフォニーのその瞬間をカメラに捉えんと志向する。

 

 と、ストーリー・ラインを無理くりに切り出してはみたが、本書を開くと出てくるのは、青臭いというよりアホ臭い、何やらやたらと晦渋にして韜晦な思考の痕跡らしきもの。ランダムに選んだページからいくつかを並べてみる。

「誰かが何かを話すことでそれが小宇宙に放り込まれ、見ることのできない内側でなにかが起こり、無意図的に記憶が思い起こされる。車の話で言うなら、例えば意識の源泉みたいなものがサービスエリアで、同じところから同時に出た何台かの車が分散された意識で、だから意識は単一ではなく、人間が五感を同時に使って目の前の現象を捉えることができるように、意識も分散されていて、別々の車線を、道を、走る車のように、別々の動きをしている」(p.34)。

「だから固有の運動の重なり合いというのは、現実には不可能だけれども、コーヒーカップが無限に積まれているような状態だろうか。無軌道で歪んだ曲線をなぞるようにして動く物体があり、その物体もまたぐるぐると自転していて、その自転する物体の上にもまた、無軌道で歪んだ曲線を描く運動があり、それをなぞるようにしてぐるぐると自転する物体の上にまた、無軌道で歪んだ曲線を描く運動が、という風に、数秒で、それと同時に、数分、数時間、数日、数年単位で繰り返されるそれらが半永久的に積み重ねられていく」(p.78)。

 僕、頭が悪いのでよく分からないんですけど、ごめんなさい、存在論や時間論がしたければ、本書より1億倍親切で真摯なライプニッツやらカントやらハイデガーあたりでも読ませていただきます。