幸福観察学会

 

 私はもともと本書を水木しげるの同行記のつもりで執筆した。水木マンガ論を書くのは最初から自分の役目ではないとわかっていた。時系列に沿った伝記も、すでに自伝が5冊(今回[1994年〕の旅行の直前に収容所時代の鉛筆我を中心とした絵物語風の自伝『水木しげるラバウル戦記』が筑摩書房より刊行されて計5冊になった!)もある以上、必要とは思えなかった。私が試みたのは、70歳を越した水木氏に一定期間付き添い、どこへでも同行してその言動を書き留め、うちいくつかの点について自分なりの考察を加えて、魅力的ではあるが正体のよくわからない妖怪のような人物の実像に、少しでも迫ることだった。

 

 本書を手に取るに先立って私が水木について知っていたところといえば、おそらくは世間一般の認識とさしたる差異を持たない。人物像の形成に寄与した最大のファクターといえば、毎朝見ていたというほどでもない『ゲゲゲの女房』だし、『鬼太郎』や『悪魔くん』にしても基本はアニメから入る。自身を称して「水木さん」と呼び、テレビカメラを前に朗々とした笑い声であっけらかんとした語り口を披露する。霊界に片足を突っ込んだ怖いもの知らずの洒脱なじいさん、たぶんそれは生前のパブリック・イメージとそう遠からぬところではなかろうか。

 しかし、筆者が目撃した「妖怪のような人物の実像」に少なからぬ驚きを誘われる。

 本書冒頭で書かれるように、パーティーともなれば境港と調布の市長が馳せ参じる地元きっての名士である。さぞやローカルに根を張る広い交遊が観察されるのかと思いきや、その関係性は驚くほどに希薄なのである。いくら多忙を差し引いても、どうということのない世間話に興じるすれ違いの顔なじみのひとりもいなければ、行きつけの飲食店のひとつすらない。本人が「唯一それらしい」と認める「果物屋の親爺」にしても、その買い物風景といえば、「『これとこれとあれ』『スイカもうまいよ』『あ、それも』というふうに……簡潔でリズミカルなやり取りなのである」。曰く、「即断即決でお互いの会話が短い、それが快感なんです」。戦友との再会にしても、思い出の種は尽きない、といった様子とは程遠い。かつてアシスタントを務めたつげ義春池上遼一らともこれといって親睦を交わすこともない。ラバウルにあの少年トペトロを訪ねた際にしても、「会話そのものが、『何食った?』『芋食った』程度である」。

 

 これほどまでに淡い人間関係の原点は、おそらくはやはり戦争に違いない。「死のことは考えなかった。その代わり『観察した』と水木は言う。戦友たちの、戦死や病死や変死や頓死のありさまを、『今でも一人一人ハッキリ覚えている』と言う」。「観察」者としての眼差しは、翻って、半ば離人症的な性格の印象さえ与えずにはいない。

「私は戦後20年くらい、人にあまり同情しなかったんです。戦争で死んだ人間が一番かわいそうだと思ってたからです」。

「同情しな」い、できない、この水木のあり方は、「20年」といわず、おそらくは彼の生涯を貫いた。

 この性質を最も如実に表しているのが、自身の一人称として用いるところの「水木さん」ではなかろうか、己のことさえもあたかも三人称のように「観察」することしかできない、だから「水木さん」――それは本名の武良さんですらない――を繰り返し、白々しいまでの文脈を欠いた作り笑いで隙間を埋める。

 一方では嘯いて言う。「マンガ家を引退したら、境港に帰って油絵を描きたいんです。海や山や船を描いて油絵三昧の生活を送りたいんですよ」。どう考えても、この老後設計を具現するに困らないだけの貯えが水木に欠けているはずがない。しかし「水木さん」は決して実行に移そうとはしない。理由は明らかだ、ラバウルにもはや「楽園」と呼べるものがないのと同じく、「水木さん」が「水木さん」である限り、恋焦がれる郷里の「楽園」には決して住まい得ないことを知悉している。

 世界は「観察」するものであって、自らが生きる場所ではない、あるいはそのパラダイス・ロスト性を作品世界もまた、反映しているのかもしれない。荒俣宏が看破するところに従えば、手塚を始祖とする日本の戦後マンガ史の主流が「視線の原点」を「映画」に求めたのにただひとり抗うように、「水木しげるのまんがは基本的に『ファイン・アート(絵画)』を原点とした。水木マンガではキャラクターとか動きというよりもまず、背景が問題だった」。「水木さん」の目に映る世界には「映画」のような運動は伴わない、彼はただひたすらに「背景」を「観察」し、時に交わりえぬ他者の幻影としての霊として絡ませながら、その空想を描きつけることしかできない。

 

「私、人より自然が好きなんです」。

「私、他人には興味ないんです。自分のことしか興味ない」。

 他人へと没入できない、それどころか、実のところは自分にすら没入できない。「死のことは考えなかった」、つまり、生についても同様の思考停止を要求され、そして以後、水木は「観察」を余儀なくされた。戦地のトラウマの典型症例を本書に見ずにはいられない。

 

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