馬鹿になれ

 

 ぼくたちは“宿命のライバル”というフレーズが大好きだ。ここでいうぼくたちとは、戦後から高度経済成長期育ちの昭和のキッズだった“ぼくたち世代”のことだ。……

 馬場と猪木のライバル・ストーリーは、同日入門発表と同日デビューから、最強のタッグチーム“BI 砲”として活動した昭和40年代の約5年間、全日本プロレス新日本プロレスの設立から現役選手として円熟期を迎え“社長レスラー”“プロモーター”“プロデューサー”としておたがいのプロレス観をぶつけ合った昭和50年代、昭和60年代、平成まで続いた約40年間のロングランだった。

 だから、昭和育ちのプロレスファンの“ぼくたち世代”は少年期から青年期、成人となって中年のオヤジと呼ばれるまで、大げさにいってしまえば人生のほとんどを馬場と猪木の闘いを同時体験することに費やしてきたことになる。

 1998年(平成10年)4月の猪木の現役引退、1999年(平成11年)1月の馬場の死去とその後の新日本プロレス全日本プロレス、あるいは新日本プロレス全日本プロレスから派生した数かずの後発団体の存亡や馬場の弟子たち、猪木の弟子たちのストーリーまでを追っていくと、その物語は半世紀を超えて続いた大河ドラマととらえることもできる。つまり、馬場と猪木の物語は――力道山以後の――日本のプロレス史そのものであり、“ぼくたち”の生きてきた昭和史、平成史なのである。

 

 何なのだろう、このいびつさは。

 1960年からの両者の入門どころか、その生い立ちからひもとかれるこのテキストにおいて、昭和の末期、1984年から令和に至るまでの40年弱に対して割り振られた分量はわずかに34ページ、全体の10パーセント強でしかない。その記述ぶりも、筆者が馬場に同席を求められたただ一度の食事シーンの奇妙なまでに詳らかな描写を別にすれば、およそ臨場感を欠いた箇条書きのような年表を超えない。

 分裂と統合、そして政権交代といった激動のトピックで話を膨らませようとすれば、いくらでもできたはずである。各種の先行テキストやインタビューが、これ以前に比べて不足しているなどということは想定できない。ましてやこの時期は、筆者が一介のファンを超えてメディアに籍を置くようになった時期とも重なっている。たとえ両者のレスラーとしての力量がピーク・アウトしていたにせよ、むしろ80年代以降に本書のヴォリューム・ゾーンが設定されていたとして、誰がそこに違和感を覚えるだろう。

 私自身は“ぼくたち世代”をかすりもしない1981年生まれの超絶プロレス弱者である。馬場といえば「クイズ世界はSHOW by ショーバイ」とジャイアントコーンだし、猪木といえばビンタとポエムである。「キレてないっすよ」や「お前平田だろ」といったフレーズやそれに伴うエピソードについての知識も、バラエティなどからの聞きかじりでしかない。つまり私は、主にアントニオ猪木という磁場を中心に展開されたこれら一連のギミックが、当人が決して想定していないことを知悉したハイ・コンテクストなファンたちによって面白おかしく練り上げられた純然たる空騒ぎでしかないことを後追いで傍観してきた世代の、おそらくは類型的存在である。“ぼくたち世代”に食い荒らされた二次創作、三次創作のユニヴァースが作り手すらも離れて拡散し、既に入っていけないこの出遅れ感、『スター・ウォーズ』に限りなく似る。

 だからこそ、なぜにこれほど話題に事欠かぬはずの時代をかくも淡白に済ませざるを得なかったのか、というその理由についておそらくは的外れに違いない深読みをつい施してみたくなる。一連の語り草について現に起きた出来事を、虚構の尾ひれはひれを取り除いて剥き出しで提示すれば、自ずとこの筆致に落ち着かざるを得ない、そんな理由を邪推する。

 

「“ぼくたち”の生きてきた昭和史、平成史」。

 つい頭をかすめたテキストがある。『社会学入門』。この中で見田宗介は、戦後日本を「現実」の三つの対義語によって区分してみせる。つまり、「理想」の時代、「夢」の時代、そして「虚構」の時代。

 いみじくも、この区分が猪木と馬場の軌跡に重ならずにはいない。

 力道山によってブラジルの地で見出された猪木と、諸外国の列強を前にしても見劣ることのない体躯を誇る馬場。敗戦国日本に力道山が持ち込んだ、「理想」の外国に追いつけ追い越せのギミックは、いよいよこの両者によって克服される。そして80年代、ジャパン・アズ・ナンバー・ワンに歩を合わせるように、猪木はIWGPにおける世界統一を構想する。なまじ「現実」が「理想」を抜き去ってしまえば、その飽和の先で人々はひたすらに「虚構」を戯れる他ない。

 

 その間をつなぐように、「夢」を見せてくれた巨星のひとりとして梶原一騎の名を挙げぬわけにはいかないだろう。本書では、彼が『ジャイアント台風』で描き出した特訓シーンが紹介される。

「その特訓とは、〔フリッツ・フォン・〕エリックの必殺技である“鉄の爪”アイアンクローに対抗するため、地面に大きな穴を掘り、馬場がその穴のなかに横になり、上から土をかぶせ、〔デューク・〕ケオムカが運転するトラックが猛スピードで馬場の顔の上を何度も往復するという荒唐無稽なものだった」。

 今となっては梶原一流の大風呂敷の典型に過ぎない、しかし「昭和40年代の少年ファンは『ジャイアント台風』のストーリーを実録と信じていた」。セールス・トークと同様、クライアントを100パーセント信じさせる必要などない、0.1パーセントでも引っかかりを埋め込んでしまえば、あとは自ずと各人の中で甘い「夢」がとめどなき増殖をはじめる。同じロジックで、“ぼくたち”はタイガーマスク大山倍達の「夢」に熱狂した。

 そして、「夢」の終わり、「虚構」のはじまりに生まれてしまった私は、“ぼくたち”の興奮と決して同期化されない。もちろん今日のフィクションにおいても、スポ根丸出しの猛特訓を書き込むことはできる、ただし、それは完全なるパロディとして、さもなくば時代錯誤のパワー・ハラスメント描写として、消費される以外のあり方をしない。

“ぼくたち”のリテラシーを斜に構えて嘲り笑っているわけではない。むしろ真に笑われるべきは、「理想」も「夢」も見ることのできない私なのである。