きんぎょ注意報!

 

 江戸の金魚にはもちろん、経済活動を左右するとか、文化向上に寄与したとかいえるような、社会的な存在価値があったわけではない。ただ、人の目を楽しませ、和ませるのに役立つだけの小さな存在に過ぎなかった。それでも、江戸時代からこの方、数百年ものの日本人の暮らしの変転に寄り添ってきた金魚の歴史には、日本の文化の変遷の一部に加わる資格と価値があるのではないか。……

 金魚は中国原産とはいえ、長い間、日本文化に磨かれて、今はれっきとした日本の魚である。金魚の姿には、伝統工芸品の磨きこまれた美しさがある。金魚は、今や、日本人の美意識が凝縮された芸術品ともいうべき家魚ではないか。それが今、滅びつつある。これをむざむざ滅失させてしまうのは惜しい。日本文化の損失ではあるまいか。……

 日本人で金魚を知らない人はいまい。日本人にとって最も身近な魚の一つだったはずである。しかも、金魚は野生の魚ではない。人の作った金魚は、人に捨てられては生きていけない。それが、かつての名産地も滅びかけている現今では、長い年月つきあってきた「日本の金魚」を、日本人は忘れかけているのではないか。

 

 本書は、グローバリズムローカリズムの混交物としての金魚を見事に描き出す。

 そもそものルーツとしては中国、記録による限り、日本にはじめて渡来したのは文亀二年、1502年のこと。そもそもをたどれば「フナ」――この定義をめぐるややこしい話は本書にゆだねる――、事実、同じ環境に住まわせれば交雑は容易に成り立つ。「フナ」ならば日本にだっている、しかし日本の野生種からはいくら待っても金魚は出ない。

「この辺の経過を大胆にいってしまえば、今から1500年以上昔、中国南部の野生の『フナ』のうちに、赤い色のがあらわれた。それを捕らえて池で飼い、その後、長い年月をかけて、赤い『フナ』から赤い子魚をとり続けるうちに、金魚の祖先といえる魚になった。その後、さらに積極的に淘汰と改良を繰り返して、ついに金魚が出現したと、いうことになろうか」。

 DNA配列どころか、メンデルすらもまだ見ぬ時代、中国文化が経験主義で培った遺伝学の積み重ねが、ついには金魚という品種の固定化をたぐり寄せる。

 そんな英知の塊も、初期においてはもちろん殿様方に囲われた希少品。それがいかにして庶民へと普及するか、ここで本書はさらに跳ねる。

 もちろん最大の理由は、商業の繁栄によって人々が購買力を身につけたこと。しかし本書が同時に着目するのは、宵越しの銭は持たない彼らの需要を満たす、供給の立場である。時代が下ると、江戸の街に「棒手振層」が形成される。つまりは、零細自営の物売りなのだが、江戸においてはその人口ボリュームが実に41パーセントにも達したと推定される。対して大坂において、商店に仕える丁稚が47パーセントを占めていたことと比較すると、いかにも興味深い。

 江戸の町に固有の「棒手振層」が扱ったひとつが金魚、とここでも不意にグローバルが交錯する。

 買ったはいいが、そこらの川に放って泳がせておく、というわけにもいかない。そのニーズを満たしたのが「びいどろ」であり「ぎあまん」だった。それぞれがポルトガル語オランダ語でガラスをあらわす語に由来する器が、金魚鉢として用いられた。渡来した技術を自国向けにカスタマイズして、一般家庭に手の届く商品として提供する、それはいみじくも金魚養殖のプロセスと限りなく重なる。

 

 諸外国にルーツを持ちつつも、独自の発展を遂げた金魚文化に横たわる日本人の自然観を筆者は指摘する。

「自然と真っ向から取り組むのは避けて、つきあいやすい一部分だけを取り出して身近に引き寄せ、ときにはサイズも縮めて、自分たちに都合よく改変してきた」。

 樹木を盆栽に仕立て、自動車を小型化し、パソコンをラップトップに――脈々と引き継がれるそんな文化に咲く、ひそやかな赤い花が、すなわち金魚だった。

 冷静に見れば、金魚というのはえらくグロテスクなフォームをしている。本書序盤で紹介されるように、「脊椎骨その他の骨格は著しく短縮変形、癒着退化して、かわいそうなほど不自然な変形が起こっているのがわかる。ひれでは、とくに垂直ひれ(背びれ、尾びれ、尻ひれ)の変形が著しい」。 それでも人は、おそらくは自然界では生き延びることのできないだろう「奇形に近い形」に「美しい自然」を見る。「決まった形に当てはめて眺めるから、美しいと感じるのだという説もある。みんないっしょに、同じ風景に美しさを感じ、同じようにみる。それを変だとも、不思議とも思わず、むしろ安心に思う気持が、日本人にあるのではないか」。

 美しさをことばにするのではない、ことばにされた美しさを練り直す、そうして和歌は発展してきた。歌を詠むとは、眼下の自然を封じ込めることではない、既に先人が規定した自然のサンプリング元のデータベースをいかに参照できるか、そのコンテストに他ならない。

 金魚もまた、そんなガラパゴス進化をたどる。