Driver's High

 

 ドライブインが花盛りとなったのは昭和、より具体的に言えば戦後の昭和だ。昭和571982)年生まれの僕は、昭和という時代に対してわずかな記憶しか残っていなくて、「平成」と書かれた紙が掲げられる瞬間をかろうじておぼているくらいだ。

 日本全国に点在するドライブインは、一軒、また一軒と姿を消しつつある。でも、今ならまだ営業を続ける店が残っていて、話を聞くことができる。なぜドライブインを始めたのか。どうしてその場所だったのか。そこにどんな時間が流れてきたのか。そんな話をひとつひとつ拾い集めれば、日本の戦後史のようなものに触れることができるのではないか――そんなことを思い立ち、ドライブイン巡りをするようになった。

 

 本書で取り上げられるドライブインの履歴は、津々浦々を訪ね回るにもかかわらず、奇妙なほどに似たような弧を描く。

 このビジネスの源流をたどれば、あるいは宿場や峠の茶屋にでもこじつけることはできてできないことはない、しかし何と言っても、ドライブインという業態は日本におけるモータリゼーションの台頭と軌を一にせずにはいない。

 山林に道路が引かれることで生じる動線の移動に合わせるべく、旧来の鉄道沿線ならざる場所に利用客のニーズを満たすため、食事を出すための店舗が新たに設けられた。高度経済成長の倍々ゲームを信じることができたかもしれないその時代、雨後の筍のごとくドライブインを起業した山師たちは夢見ただろう、都市圏と道路によって結ばれることでおらが村がやがて都市へと変貌していくその未来を。

 確かに、道路はトラック・ドライバーや観光客を運んでは来た、けれどもそれ以上に、農村から都市への流出を促した。やがて襲うだろう経済的な閉塞はまず地方部を蝕んだ、上り調子の昭和中期に建てられたドライブインとて、その餌食にならないはずがない。

 かくして周囲が店をたたんでいく中で、ファストフードやファミレスがわざわざ狙いをつけるほどのこともない利鞘によって、今日も辛うじてゆるゆるとドライブインは生き永らえる。

 

 その中に、あまりに異色の、そして白眉のルポルタージュが横たわる。

 その一本が取り上げるのは、岡山県児島市の「ラ・レインボー」。他とは何が違うといって、取材時には営業していた、けれども今は既に閉店している、というのではなく、とうに潰れている廃墟の、雲を掴むような幻を追跡する。

 こと「ラ・レインボー」に関しては、ドライブインとの語が一般に想起させる、道路に不意にぽつんと佇むあのイメージとは程遠い。なにせ土産コーナーやレストランからなる5階建ての建物のさらにその上に、高さ138メートルのタワーが聳える、というのである。のみならず、この頂に据えられた展望台は回転式ときている。

 建設コストざっと50億円のこの施設が開業したのは1990年、まさに世はバブル真っ盛り。それに加えてこの児島には、沸き返るだけのさらなる理由があった。瀬戸大橋の開通である。そのアイコンのひとつとして、「ラ・レインボー」は華やかにスタート・ダッシュを決めた、はずだった。

 ところが筆者の目論見はあっさりとはしごを外される。岡山出身の知人に訪ねても、誰も行ったことがないという。それとなく聞き込みをしても梨のつぶて。ローカル雑誌のバックナンバーを漁っても、一向に情報は得られない。筆者は惑う。

「これは一体どうしたことだろう。ひょっとしたら『ラ・レインボー』は営業なんてしていなくて、最初から廃墟だったのではないか?」

 まるで狐につままれたかのような、都市伝説を覗き見る背筋そばだつこの感じ。

 狸に騙されて野原でひとり踊らされていたことにふと気づく、この真夏の夜の夢に失われた30年の凝縮を見る。

 そしてこの感覚が、いみじくも本書が扱うドライブインという現象そのものに限りなく重なることにふと気づく。モータリゼーションが予感させた未だ来たらぬ可能性が、平成という空白を経て、間もなく廃墟と朽ちてゆく、ドライブインとはレトロ・フューチャーとしての昭和を訪ねる経験に他ならない。

 

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