ノマドランド

 

 新橋駅西口SL 広場に隣接するニュー新橋ビルへ初めて入ったのは、およそ15年前、釣具店が目的だった。東銀座にある出版社での打ち合わせの帰りに立ち寄りやすい店を検索し、見つかったのがニュー新橋ビル2階の店舗だった。

「なんだか古臭いビルだな」と当たり前の感想を抱きつつビル内へ入ると、異業種が同じような区画で肩を寄せ合っている。蛍光灯に白く照らされた狭い通路は、まるで迷路のようで、自分がどこを歩いているかわからなくなった。……

 すべての通路が回遊できるように繋がっていて、行き止まりがない。まるで旅先の知らない街で今夜の宿を探すように、同じ場所を何度も行き来してしまう。

 階段脇に張られた案内図を確認してようやくたどり着いた釣具店はいたって普通のチェーン店だったが、以来このビルの、猥雑で、好き勝手な雰囲気に惹きつけられている。

 しばらく通っているうちに、自分に必要なものはほとんどこのビルの中にあるじゃないかとさえ思うようになった。……

 終戦直後の闇市に端を発し、その闇市を取り込むようにマーケットが建てられ、盛り場となっていった新橋駅前。1964年(昭和39年)の東京オリンピックの前後で東京都が進めた市街地改造事業によって、そのマーケットを壊して建てられた駅前の二つのビルが、再び再開発されようとしている。

 だが、まだビルの中には戦後から地続きで熟成されてきた物語がいくつも詰まっている。狙って作られたわけではない、異業種が入り交じることで醸されるノスタルジックな空気は、一度霧消してしまえば、二度と味わうことができない。

 

 ニュー新橋ビル、地下1階の近影。

 そこはもうシャッター通り、というわけではない。

 飲み屋の並ぶそのゾーンを私が訪れたのが、よりにもよって日曜の白昼だった、というだけの話。

 

「早く壊してほしい……店を辞めるきっかけになるから。もしもこのままビル壊さなかったら、私ずっと我慢してやるしかない。自分の人生、全部この店ですね」。

 ビルの中に残る、ただ一軒のスナックのママが言う。

 あまりに直截な物言いに虚を突かれる。数多の語り手によるここに至るまでの百数十ページが、この独白をもって見事なまでに腑に落ちる。

 必ずしもアスベストや耐震性だけが、築半世紀超えのニュー新橋ビルの賞味期限を規定しているわけではない。経営的な理由でもはや立ち行かなくなっているでもなければ、健康上の限界が差し迫っているでもない、そうした「きっかけ」の後押しすらも得られない人々によって形成された、何とはなしのモラトリアム、それがたぶん、この建物で「熟成された物語」の正体なのだから。

 

 定価の7割で仕入れて9割で売る、そんな濡れ手に粟の高い利益率を金券ショップが確保できていたのも遠い昔、軒を並べる数店舗が互いの価格をチェックしながら相場を決めるその結果、商品によっては望める上りはわずか0.5パーセントに過ぎない。もちろん、そこにはネット・ショップやオークション・サイトといった競合相手も待ち受けている。プラチナ・チケットの転売もとうに法律で禁止されている。両替による手数料ビジネスもキャッシュレス時代にあっては退潮を余儀なくされる。

 ギター片手に飲み屋をめぐるいわゆる「流し」の、新橋における最後のひとりに話を聞く。その稀少性から「もう独占企業でやりたい放題(笑)」かと思いきや、「なんてそんなことはないけどさ、もうどうでもいいやって心境だよ」。その住処は駅前のカプセルホテル、14600円。「死ぬ時は死ぬし、死ぬまでやるしかない」。

 それは客もまた、同じなのかもしれない。ある麻雀店の常連のひとりは、退職後に隠居した先の広島から月に一度上京しては、都内在住の友人たちと卓を囲む。こんな営みが延々と続けられるはずもないことを当人たちが分かっていないはずがない。麻雀だけならネットで打てる、話をしたければ電話でもチャットでもできる。でも、彼らにとってその場所は、なじみの新橋の、なじみの雀荘でなければならない。

 

 本書が誘うたまらない郷愁は何といって、ノマドではいられない人間の、地に縛られたその生き様を映し出すことにある。自らが暮らすその場所にホームを見る、そんな当たり前のはずのことが、なぜかひたすらに失われゆくノスタルジーを催さずにはいられない。

 仮にそこまで日本経済が続いたとして、来るべき再開発において、港区は新橋駅前の超一等地にはそれにふさわしい高級感を放つ商業ビルが聳え立つことだろう。そのスペースを埋めるのは、ポスト・ヒルズのマーケティング的ハイ・エンド、気の触れるようなホワイト、つまりは差別化を謳うブランディングによって提供される極めて均質な店舗の他にはあり得ない。銀座あたりの零落を見るにこの見立てすらも怪しいが、少なくとも既存のマッサージ店や個人経営のジュース・スタンドにはテナント代を負担することなどできない。かくして戦後の焼け跡以来の土地の記憶は断絶される。

 

「新橋しか知らないから」。

 筆者のインタビューに応じた口々から聞かれた弁だという。

「新橋しか知らない」人々が立ち退いた後でその場所に現れるのは、新橋すら知らない人々でしかない。

 

 

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