地球の歩き方

 

 世界を旅するようになってから、もう37年も経つ。

 20代の頃はバックパッカーをしつつ、各地で働き、30代では海外専門の添乗員となり、作家デビューしてからは、取材や執筆のために年に数ヵ月は海外にいた。

 気が付けば、今や世界の85ヵ国に行っている。

 そんな僕の旅のスタイルは、昔から変わらない。

 ラフな服装で、そんじょそこらをうろつき、どの町に行っても、地元メシ探しに精を出しているのだ。

 旅と名物料理はセットのように思われている。一方で、「名物料理にうまいものなし」という真実も同時に語られてきた。

 ところが、「地元メシには、まずいものなし」なのである。

 断言してもいい。

 そんじょそこらの地元の人に愛され、食べられ、定着している料理が、まずいはずなどないではないか。

 だから僕は、世界中を旅しているといいながらも、実は、世界のそんじょそこらをうろつきまわって、嗅ぎまわり、地元メシ探しに勤しんでいるのだ。

 

 近頃、あからさまに夏バテを来たした私、本を読むにしても、脳みそを1ミリたりとも使わずに過ごしたい、そんな日々にいかにもお誂え向きなタイトルを掲げるこのテキストを手に取る。

 ところが、本書にはいい意味で期待を裏切られる。異国を歩き回ってたどり着いた「地元メシ」が、見事なまでにその歴史や地理を反映してみせる、結果として、なんともありがたいことにうっかりとお勉強を消化してしまう。『桃鉄』がボンクラ小学生の地理力を爆上げしている、あの感じ。

 例えば、中国大連の焼肉店で食らうのは焼きハマグリ。聞けば、ホンビノス等の近縁種ではなく、戦前の満州統治下で霞ヶ浦から持ち込まれた、れっきとした日本ルーツのハマグリなのだという。しかも、中朝の国境線に横たわる鴨緑江で採れるこのハマグリの漁に従事しているのは、専ら北朝鮮サイド。理由は当然、人件費が圧倒的に安いから。日本に輸入される中国産と銘打たれたハマグリの多くにも、実はこのロンダリングのトリックが用いられている、という。

 スペイン語ではバカラbacalao、イタリア語ではバッカラbaccalaポルトガル語ではバカリャウbacalhau、いずれも干し鱈を指して言う。さしてタラが採れるでもない地域の食文化にすらも広く浸透して久しい。想像するまでもなく語源はみな同じ、バイキングがヨーロッパを制した名残りだという。ところが皮肉にも「地元メシ」として定着したのは11世紀頃、つまりはこの北方ゲルマンの支配力が衰退した時代、それに代わって台頭したカトリックが、肉食を禁じられた金曜のディナーとしてこのバカラオのニーズを生んだ。換骨奪胎との語がこれほどまでにはまる事例もそうはない。

 

 麺の伝播といえば、シルクロードをめぐる数千年単位の悠久の時の流れをつい連想してしまう。しかし、本書の「地元メシ」が伝えるその歴史は、もっと浅く、ゆえに時にディープなものとなる。

 インドネシアの島のゲストハウスで、ミーゴレンを注文する。ゴレンとは炒めることを指すとのことだが、出てきた麺には炒めてある形跡がない。筆者は目ざとくインスタント麺の空き袋を発見し、相手を詰めると、滔々と反論に遭う。曰く、この地域には生麺などないから、それが当たり前なのだ、と。インドネシアでは専ら「麵製造が華僑の手にゆだねられているせいで、地方で華僑が少なくなるほど、反比例してインスタントラーメンを出す店が多くなる」。

 そしてインドにおいて乾麺の伝道師を担ったのは、チベット人だった。そもそもは華僑がインドのごく限られた居住区にもたらした「チョウメン」の味を、1960年代以降に亡命した彼らが全土へと広めた。小麦といえば専らチャパティのように焼いて食べる、こねて切って湯がくなどという煩雑な作法にはとんと疎かったインドへと、である。

 

 しかも、こうしたローカライズを獲得した「地元メシ」が、普通に考えれば、まずいはずがないのである。なにせその地域のフード・カルチャーの文脈にはなかった新規ベンチャーが、あっという間に一定のシェアを占めるまでに上り詰めたというのだから、うまくてなおかつコスパに優るはず、と市場原理のお導きにその要因を求めるのがごく自然な推論だろう。

 意外なことに、というべきか、筆者によれば「ネット万能の時代の中でも、まだまだ地元メシまではたどり着けない」という。とはいえ、これとてさしたる驚きにはあたらないのかもしれない。映える、バズる、そんなアイポップなメシならば、とうに世界に紹介され、消費され、陳腐なものに成り果てているに違いないのだから。

 筆者はたちまち台北の街に撃ち抜かれる。

「安く提供する地元メシ屋が目白押しである。金勘定が先に来るような、薄っぺらなチェーン店など太刀打ちできないだろう。芳醇な料理のにおいだけでなく、ほんの小さな各店の、漲るやる気が町に横溢している。そんな個人商店の彩りが、観光客を魅了する。歩いて楽しい町になるのだ」。

 歩くことでしか見つからない地元メシがそこにある、だからなおさら歩きたくなる、だから僕らは旅に出る。スマホ越しにしかもはや世界を見ることができない者には決してたどり着くことのない「楽しい町」の歩き方がここにある。

 

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