ブレックファスト・クラブ

 

 本は自分の人生を映しだす鏡でもある。だからこそ、かつて本を現実逃避の手段にしていたわたしは、読書会という場を与えられたことで、本をとおして人とつながり、メンバーたちと30年近くにわたって本を語り合ってきた。本について語りながら、実のところはわたしたち自身の人生を語り合ってきたのではないかと思う。同じ本を読みながら、ともに年齢を重ねてきたという信頼感はとてつもなく大きい。この経験はわたしにとって、なにものにも代えがたい大切なものである。

 考えてみれば、だれかに強制されているわけでもないのに、書物の世界を共有したいという思いだけで人が集い、それがこんなにも長く続いているというのは、実に驚くべきことではないだろうか。

 

 ある朝、筆者は新聞の訃報欄で知人の名前に不意に出くわす。かれこれ10年以上のつき合いになる読書会のレギュラー・メンバーのその彼が、さる大会社の元社長であったことを死してはじめて知ることとなる。自宅を行き来することはなくとも、葉書を互いに交わす、つまり住所を教え合うような仲でも、しかし仕事の話となると一転、彼は口を濁してしまうのだった。それを機に検索をかけてみれば、wikipediaにも項目が設けられているほどの一廉の人物でありながら、彼は一貫してそうした履歴を明かそうとはしなかった。

 自らを詳らかにしない、詮索もあえてしない、だからこそかえって話せることがある、長きに渡り維持できる関係性がある、本書から垣間見えるのは、そんな「社会関係資本」(ロバート・パットナム)の実践編。

 

 フランソワ・モーリアック『テレーズ・デスケルウ』に触れる中で、ふと筆者は自らの結婚生活を打ち明ける。

「テレーズにとって結婚は逃避だった。/……わたしにとっても結婚は逃避だったかもしれない。とにかく実家から逃れたかったのだ。夫は文学はまったく関心がない人だった。……本だけでなく、音楽にも美術にも旅行にもなんの関心もない。もちろん、妻のことにも関心がない。夫婦の会話などほぼない。/……やがて、相手に期待することをいっさいやめた。すると気持ちが楽になった」。

 あるいは筆者はこんな話を読書会でもつい衝動的に口にしていたのかもしれない。しかし、こんなプライヴェートを他人に向けて明かすことができたのだとすれば、それはまさにその場が読書会という極めて緩やかな関係性の場であったからに他ならない。

 サマセット・モーム『人間の絆Of Human Bondage』が奇しくも示すように、「主人公は『人間を縛るものbondage』と決別することによって、精神の自由を獲得していく」。まさにこのことが読書会の真髄を表す。井戸端会議や職場といった日常のbondageの中で冷え切った夫婦関係について相談してみたところで、尾びれのついた噂話として消費されて終わることくらい、誰にだって想像はつく。

 しかし、かつて例えば告解という場所がそうあったように、聞き手を持つこと、ことばにすること、声にすることで時に救われる何かがある。それは時に小説家と作品の関係に酷似する。

 

 それとはおよそ対照的な読書会の場面を筆者は切り出す。中高の図書室で司書として勤務しているという筆者が、生徒たちに向けた読書会を企画する。筆者にしてみれば、「同じ学校の生徒だし、同年代なんだからもっとワイワイやってよ」と思う、しかし会はほとんどの場合、弾まない。ある生徒は感想を問われてただ一言吐き捨てた、「あいつら、こえーなと思った」。

 筆者はその原因を読書やディベートの経験の多寡に専ら求める。しかしむしろ、本書の議論を踏まえれば、そんなことはいかなる根拠も提供しない。学校などというbondageで硬直し切った相互監視の牢獄で、自らを披露しろなどという拷問を喜び勇んで引き受ける優等生たちを見て、その麻痺し切った感受性を前に「あいつら、こえーな」と思わない方がむしろどうかしている。

 筆者は亡き師を偲び、「死や宗教について語り合っていたあの読書会の場で、文学を媒介にして、ご自分の思いをせめてほんの少しでも吐露することができなかっただろうか」と悔悟の念をにじませる。もちろん無理な注文である、師弟というbondageがあればこそ。

 キーボードを打ちながら、ふと連想した小説がある。夏目漱石『こころ』。「先生」が遺書を他の誰でもなく「私」に託すことができたのは、その呼び名とはおよそかけ離れた、絆というほどの何もない、幸福な読書会的な淡い関係性ゆえのことではなかったのだろうか、と。

 それゆえにこそ、あるいは瞬間通うこころがある。

 

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