辞書はかがみ。

 

 皆さん、こんにちは。飯間浩明と申します。私は、『三省堂国語辞典』という辞書の編纂にたずさわっています。

 ――大学で受け持っている授業や、セミナーなどで、私は最初にこのように自己紹介をします。すると、聴衆の頭からいっせいに「?」マークが飛び出すのが見えます。……

 まず「編纂」ということばの意味が分からない。とりあえず「編む」ということだとして、「国語辞典を編む」というのも分かりにくい。国語辞典は、ことばを調べるために「ある」ものであって、誰かが「編む」ものだということは――たしかに、理屈ではそのとおりだとしても――考えたこともなかった。

 聴衆の心の声は、だいたいそんなところでしょう。……

 できるなら、十分に時間をとって、私自身の仕事について思う存分語りたい。国語辞典の編纂がどういうものかについて、多くの人にわかってもらいたい。これが、本書を書くに至った理由です。

 そんな話、おもしろいのか、という声が聞こえてきそうです。ふだんから人々の関心を集める職業を語るならともかく、国語辞典の編纂は、地味で、目立たず、さほど関心を引かない仕事です。それを話題に選ぶことは、あまり有利ではなさそうです。

 でも、やっている本人にとっては、これ以上おもしろい仕事はありません。スリルと発見に満ち、ものを生み出す喜びがあります。夢中になって打ちこめる仕事です。そのことがうまく伝われば、きっと読者にも楽しんでもらえるでしょう。

 

 以下、このレビューはその過半を佐々木健一『辞書になった男』からの受け売りをもって成り立つ。無論、そこに曲解や誤読があれば、その一切の責めは引用者が負う。

 

 ある朝のこと、駅前のコンビニで雑誌を買う。その日筆者がチョイスしたのは『non-no』、電車に揺られながら丹念に一字一字を目の皿のようにして追いかける。といっても、女性のファッション・トレンドをフォローするためではなく、あくまでその目的は用例採集、「ソルベカラー」、「ショーパン」、「Cカーブ」、「プチプラ」……気になったフレーズに丸をつけていく。雑誌1冊を数日がかりでようやく読了、平均して70例ほどが拾われる。例えばテレビ番組も録画しては、やはり気になった言い回しをひたすらPCに入力していく。街中で目についたものがあればとりあえず写真に収めておく。そこまでしても筆者が「1か月に集めることばの用例はせいぜい400語、相当無理をしても500語です。1年間では5000語といったところです」。

 私が想定するような仕方では、おそらく筆者は本を読まない、動画を見ない。1時間ドラマを1時間で見終えることもままならない、これほどまでにためつすがめつ資料にあたっても、これは、と思える用例が年につきようやく5000、無論そのすべてがエディション変更の度に取り入れられることはない。

 

 ところが上には上がいる。この『三省堂国語辞典』のファウンダー、見坊豪紀が生涯をかけて集めた用例はなんと145万点にのぼる。ちなみに、『三国』に実際に掲載されるのは、初版で57000語、最新の第8版でも84000語に過ぎない。

 そこには見坊の辞書観が強力に反映されている。「ことばの“今”を反映した辞書を作るには“生きたことば”を徹底的に調査するしかない」(『辞書になった男』)。まるで風を追うように、移り行くことばを記録し続けた末、飯間の弁によれば、見坊は「国語辞典はこう作らないといけない、という段階をすでに超えていた。辞書を作るレベルを超えていたと思います」(同上)。

 

 そして三省堂からは、もうひとつ、毛色の異なる辞書が発行されている。『新明解国語辞典』。

 見坊以来の『三国』のポリシーが「実例主義」、すなわち、「世の中に定着したことばはなるべく載せ、今の日本語がどうなっているのかを辞書に反映させること」だとすれば、『新明解』の特色は、何と言っても赤瀬川原平のベストセラーをもってつとに知られる通り、エッジの立った語釈にある。例えば「動物園」の場合。

 

どうぶつえん【動物園】 生態を公衆に見せ、かたわら保護を加えるためと称し、捕らえて来た多くの鳥獣・魚虫などに対し、狭い空間での生活を余儀無くし、飼い殺しにする、人間中心の施設。

 

 ある者に言わせれば、「攻撃的でしかなかった」、しかしそのファウンダー、山田忠雄は「辞書は“文明批評”である」との理念の下、ひたすらに我が道を行った。

『辞書を編む』の中に、その名前はただ一度しか現れることはない(対して見坊は58回)、しかしそのミームは少なからず筆者にも引き継がれている、と私は見る。

 例えば「カピバラ」をめぐる語釈に際して、動物図鑑などにあたってはみるものの、どうにもピンと来ない。「ネズミの仲間」、「南米が主な生息地」、「成長すると体長1メートル、体重50キロに達する」、「完全な草食性」、「泳ぎがうまい」、「肉が美味」……これらの情報はいずれも正確ではあるのだろう、しかし、カピバラを知らない子どもがこれらの要素からあの風貌を果たして組み上げることができるだろうか。筆者は実際に動物園に出向き、その観察を語釈に織り込む。

 

カピバラ(名)〔capybara〕〔動〕 ネズミのなかまで、大型犬ほどの大きさのけもの。毛におおわれ、ねむそうな目と、間のびした鼻の下をもつ。

 

 何をもって「ねむそう」とするか、「間のび」の比率を規定する尺度は、と問われれば、相当に癖の強い言い回しには違いない。しかし筆者は断言する。

 科学的に、詳細な知識を得ようとする人には、専門書を見てもらえばいい。国語辞典は――少なくとも『三国』は、「要するに、そのものはどういうものか」を、専門書の記述は踏まえつつも、日常感覚に従って記述したい。

 数多の動物園になぜにカピバラが飼育されているのか。もちろん気候への適応や繁殖の難易度など、「人間中心」の要素も大いに踏まえられてはいるだろう。しかしその「狭い空間」に詰めかける子どもたちは、檻の前でそんなことを考えたりはしない。「ほのぼの」「のんびり」としたあの雰囲気に惹きつけられる。

 そういった文脈読解を欠いてどうして辞書を編めるだろう、調べる者を納得させることができるだろう。

 

ウィクショナリーになくて、『三国』にある特色を、今のうちから育んでいくことが必要です」。

 そんな苦悩を筆者はふと打ち明けるが、いや、既に育まれているではないか、と一読者としてはつい異議のひとつも唱えたくなる。大槻文彦や見坊、山田といった日本の辞書を彩るレジェンドたちの遺伝子が、筆者にもきちんと引き継がれているではないか、と。

 あるいは遠からぬ未来に、AIがウェブ上の用例を分析してその語釈を紡ぎ出す日も訪れるかもしれない。人間による実用にすら先立って、他国の言語にあって日本語にはない概念を訳もなく新語として翻訳し紹介してくれる、そんなことも起きるかもしれない。しかし彼らはスマートに過ぎて、雑誌をボロボロにして用例を集めたりは決してしない、そんな汗を流しはしない。AIは「哺乳類の汗腺から分泌される分泌物」であることや「塩類・ピルピン酸・乳酸・アンモニアなどを含む」ことを即座に導き出しはできても、「暑いときや運動のあと、また緊張したとき」に自らその「塩けを含んだ水」を滴らせたりはしない。

 ウィクショナリービッグデータは、「汗」を知らない。見坊のような博士にして狂人はそこにいない。

 

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