Nel cor piu

 

 バラの季節になると、通りすがりに見事なバラを見かけることが少なくありません。なかには、すばらしい花なのに特に手入れをされているようには見えない株もあります。そんな株を見て、バラ好きの人のなかには「一生懸命手入れをしているのにわが家のバラはなんだか見劣りがする」と感じている人もいるかもしれません。そんな人は手入れをして逆に株を悪くしているのではないか、そんな気がします。

 肥料や水を欠かさず与え、しっかり病気や害虫の防除をしているのに、なんだか精彩のない株、それはつまり過保護なのです。知らず知らずのうちにバラが嫌がることをしているのです。

 バラが健康に育つためにほんの少し手助けをする、そんな心構えで、肩の力を抜き、気軽にバラとつき合ってみませんか。そうすれば、やがて、バラは自ら欲していることをあなたに教えてくれるようになります。「今、水がほしい」「ここを切ってほしい」「きらいな虫がやってきた」…そんなバラの声が聞こえてくるはずです。

 その声に従って手入れをすれば、毎年見事な花となって、あなたに報いてくれます。そうなれば、バラづくりの喜びはエンドレスです。

 

 筆者と私が出会ったのは――といっても直接にお話をさせていただいたわけではない――2013523日のこと、ところは京成バラ園。なぜにそこまで細かく特定できるといって、その日は奇しくもファウンダーである鈴木省三氏の生誕100年を祝う記念イベントが催されていたから。最相葉月青いバラ』の読後数年、たまさか電車の中吊り広告でそのような催し物があることを知って暇に飽かせて訪れる。

 つい現代人の悪癖で事前に交通手段以上の下調べをしてしまう。広さ30000平方メートル、って冷静に考えれば200×150で、一時間もあれば終わっちゃうじゃん、それで入場料は確か1200円だか1500円、さらにプラスして東葉高速ほかの運賃。うぅ、マジか。

 バラに限らずいずれの植物にも思い入れはなかった、それまでに育てた経験といえばせいぜいがプランターのバジルやカモミール。あとは年に一、二度祖父母から庭の雑草むしりを頼まれてはファックなドクダミと果てなき格闘を繰り広げたことがあったくらい。実はその庭にも、蟻塚と化していたツルバラがあり、イチジクに完全に陽射しを遮られたモッコウバラもあり、そしてはるか昔の写真を遡ればクイーンエリザベスと思しきバラが玄関脇を飾っていたのだが、そんなことにさえ気づいていなかった。

 

 正直、何の期待も持たず舐め切って訪れたローズガーデンに、私はすっかり圧倒される。花や葉の姿、樹形、サイズ、いちいち違う。人生とやらを暗記教科の類くらいにしか思っていない私はその情報量にまずやられる。鼻を近づけずとも漂う香りは、パフュームや化粧品で嗅がされる「バラの香り」とは何もかもが別物。動物全般ヒト含むにほぼ何らの愛着も持たない私が、あっさりと恋に落ちる。

 うっとり感全開で庭園を歩いているその最中、マダムたちに囲まれてやたらと響く声で景気よく大演説を打つ作業着姿のおっさんがいた。聞く気がなくとも、勝手に耳に入ってくる。曰く、

「肥料なんて与え過ぎていいことなんてひとつもないんです。うちのバラたち見て下さいよ。みんな元気でしょ。それに比べてよその(以下自粛)」

 まず間違いなくスタッフなのだろうが、その風体はどう見ても、バラというより一升瓶がお似合いの、昭和の工務店の名物社長である。

 やがて声は遠ざかり、その帰り道、ニコロパガニーニの新苗をひとつ買い、併せてもらった手引きを参考に、近くのホームセンターであれやこれやを揃えて、そうして私のバラライフははじまった。

 もちろん早晩行き詰まり、図書館で数冊をまとめて借りる。

 そしてめくってあらびっくり、うち一冊の筆者があの絶好調なオッサンであることを知る。読み進んでも、「肥料過多は『百害あって一利なし』です」と、あの日聞こえた通りのことが書かれている。これは奇縁とすぐさま購入。

 パパメイアン、ノヴァーリス、ジュビリーセレブレーション……と株の数もなぜか増えていき、程なくベランダでは足りなくなって、祖父母宅の庭へとその居場所を移すこととなる。

 

 そうしてほぼ10年が経ち、テキストもすっかりボロボロになった。もっともめくられ倒したからというよりは、単に専ら驚異的なまでにものを美しくキープできない私の属性に由来するものなのだけれども。病気の特定なども動画で見る方がはるかに具体的で分かりやすくなっているといった事情もあり、この2年くらいはほとんど開かれることもなくなっていた。

 

「エンドレス」なはずのそのバラのお庭の日々が終わる、というか既に終わらせた。

 実のところは311をもって完全に消費期限を失っていた築半世紀の家屋を取り壊すことが決まり、併せて庭の木々も払われることになった。今さら鉢植えに押し込める気もしない。せめてバラだけは造園業者ではなく、私自身の手で灰にする、そう決めた。

その腕で終らせて

そらさずに最後の顔 焼き付けて

見開いた目を 優しく伏せて。

Cocco「遺書。」

 オルフェーヴル丸出しのあの樹勢はどこへやら、暴君ニコロパガニーニは完全に衰弱曲線を描いていたし、店先でチェックしておくべきだったアシュリーやオランジュリーの癌腫は他の数種にも転移、少なからぬ株においてカミキリムシによる被害が思いのほか大きなものであったことにも掘り起こしてはじめて気づく。

 何もかもが、潮時だった。

 

いつか誰かまた求めるはず。

愛されるはず。

同上

 

 ここ数年、主を失った家の、道路に面したその庭はいつしか地域の名物シーナリーになっていた、らしい。シーズンになればあからさまに人通りが多くなり、手入れや掃き掃除をしていればそれなりに話しかけられはしたのだが、母伝てに聞くところでは、奥様方が世話の仕方とかを尋ねようにも、バラと私の時間を邪魔するのは申し訳ないとためらわせるだけの何かが発せられていたらしい。

 実際、まともにケアをされないために夏を迎える頃には黒星病や害虫で葉を落とす近所のバラを尻目に、うちの子たちはせいぜい週2回の世話だけでノー・ダメージとはいかないまでも秋にもそこそこの花を咲かせた。よそさまにはなくて私にはあったもの、ひとえにこのテキストの指南の賜物である。

 

 さよなら かわいい夢。