酒が飲める 酒が飲める 酒が飲めるぞ

 

 アルチュール・ランボー1854~1891)は、19世紀半ば、フランス北東部アルデンヌ地方の田舎町シャルルヴィルに生まれた。父親は軍人、母親の家系は、小地主階級の農民であった。父親の所属する連隊は家庭から遠くにあり、両親は不仲だったようである。そのためもあって、アルチュールの少年時代は、あまり幸福なものではなかった。

 アルチュールが幼い頃から、父親は家に寄りつかなくなり、厳格な母親の手で育てられた彼は、見かけはいかにもおとなしそうではあったが、実は、反逆心を内に隠す、油断のならない子供であった。その一方では、学校の誉れともいうべき秀才で、詩を書くことに夢中になっていた。

 やがて、1870年の普仏戦争で学校が閉鎖されたのを契機に、ランボーは高等中学の最終学年で学校をドロップアウトしてしまい、学校が再開されても、もう戻らなかった。以後は長髪に陶製パイプを咥えたボヘミヤンに変身。詩人としての人生を歩み始める。……

 ランボーほど、まっしぐらの、しかも不器用な生き方をした人間は稀であろう。普仏戦争パリ・コミューンの混乱の時代、彼は詩の世界に革命を起こそうとして文字どおり一身を犠牲にした。……

 一等賞をほとんど独占するほどの秀才ランボーは、……学校には戻らなかった。そして、パリ、ロンドンでの苦闘の末に、詩を棄て、コーヒーや武器の商人として、また未開の国の工業化を夢見る奇人として、死ぬまで主にアフリカをさまよった。

 

 近代革命後のフランスにあってさえも教育といえば、一に宗教、そして二に古典、わけてもラテン語だった。「模範となる文章の、書き取りと朗読、そして暗唱である。単語の綴りがちゃんと書け、ちゃんと音読できて、……名文が自由自在に引用でき、空で言えること。さらにはラテン語で文章を書き、詩も作った。その能力が何より大切であって、場合によっては生徒の将来の階級を分けた」。

 あたかも森林太郎少年が突然にスター・システムの階梯を飛び降りたようなもの、逸材を逸材たらしめたまさにその詩のために、アルチュールは自らのキャリアパスを投げ捨てて、考える脚として単身パリへと乗り込む。

 そして彼は旅の途上、「見者の手紙」を知人に向けて書き送る。造語あり、俗語あり、しかしそこには「前代未聞」の「異様な音とイメージ」があった。

「すべて古代詩歌は結局ギリシャ詩、つまり『調和ある生活』に帰着します」、その麗しき揺籃に育まれた秀才はしかし同時に見てしまった、「すべては韻を踏んだ散文、遊び、無数の愚かな世代の衰頽と栄光の繰り返し」でしかないことを。韻律のための韻律、ルールのためのルールをただ愚直に踏襲するだけの者が名手、大家ともてはやされた末、その「遊戯にはカビが生えています。それが2000年も続いたのです!」。

 今や彼が目指すべきは「見者voyant」を置いて他にない。「詩人たらんと志す人間の第一の修業は、自分自身を認識すること、丸ごと認識することです。彼は己の魂を探求し、検査し、試練にかけ、識るのです。……要は、怪物的な魂を作り上げることなのです。……見者であらねばなりません、自らを見者たらしめなければならないのです」。

 そして彼は「忘我の船」に乗り込んで、「未曾有の混沌tohu-bohu」へと漕ぎだす。それはデカルトの方法的懐疑に限りなく似て、しゃらくさい歴代の「善き詩人の御連中」に唾を吐きかけ、「未知」を求めてさまよって、それでもなお、韻律は残り、音節は残る。エリート育ちのランボーは放浪の最中、下層階級の男たちと寝食を共にする。そして見た、古典など触れたこともない、それどころか文字の読み書きすらかなわない彼らをすらも、言語の規則は貫いていることを。「兵隊煙草で気持ち悪っ!/……弾痕弾痕歩兵助兵」と紡ぎ出さずにはいられないことばが彼らにも通っていることを。それは例えば日本語において七五調がどうにも心地よさを催さずにはいないのは、和歌や俳句の大家たちがそう権威づけたからではない、ことばに組み込まれた何かが聞く者を触発せずにはいないためであるように。

 

 言葉の奇抜な跳躍をねらうのは手品師のやることで、詩人のなすべきことではないがね

ノヴァーリス

 

 そしてランボーの場合にはもうひとつ、ボードレールが残った。

 このテキストのひときわの興味深さは、一見すると珍奇な語の組み合わせを前に「考えるな、感じろ」と説くのではなく、霊感だ才能だなどという低スペック御用達の抽象論に逃げ込むのではなく、きちんと時代文脈に即した補助線を与え、それら表現の必然性を汲み取ろうとする、詩との向き合い方をめぐる手ほどきを与えている点にある。

 筆者が『地獄の一季節』を読み解くための糸口にしたのは、「ひさごgourde」という何気ない一単語。かくしてここでもまたボードレールに行き着いた筆者は、さらにその源泉として「アイルランドの奇人」チャールズ・ロバート・マチュリーンへと遡る。

 そしてランボーは、おそらくはその先人たちに導かれるまま、「ハシーシュ」の扉を叩いた。あるいは彼はそこで「イリュミナシオン」を見たかもしれない、『悪の華』に限りなく似た。しかし間もなく、「そうして夢が冷えてくる」、「そんなものは存在しないんだ」ということを知る。

 それは1273年のとあるミサでの出来事、突然の至福に襲われた老境の聖トマス・アクィナスは、日に数十ページを書き上げていたともされる、あの浩瀚にして未完の終生の仕事、『神学大全』の筆を折る。あるいは、ランボーに束の間訪れた「夢」も、そんな体験に限りなく似ているのかもしれない。

 

常に酔っていなければならない。それがすべて、それだけが問題だ。

Il faut etre toujours ivre. Tout est la: c'est l'unique question.

ボードレール「酔いさらせEnivrez-vous

 

 もっとも、実のところは、ひたすらにボードレールの詩の中にしか現れることのない夢想をなぞるよりほかにすることがなかったことが暗示するように、いかに「ハシーシュ」に走ろうとも、「そんなものは存在しない」。ボードレールが描き出した通りの何かが見えたわけでも何でもなく、そもそも「そんなものは存在しない」、だからこそ、ランボーはひたすらにトレースして何かを見たことにすることしかできなかった。Elle est retrouveeなんてしなかった。

「ハシーシュ」だろうと、ヘロインだろうと、コカインだろうと、エクスタシーだろうと、たかが麻薬ごときで世の中が迷信するほどの何が見えることもなければ、アルコールほどには人間をやめさせてもくれない。効用といえばせいぜいが、オーバードーズで天国が見えるかも、その程度の話でしかない。無知無能に特有の妄想に憑かれて薬物中毒者の像をでっち上げ続ける世間という名のクズどもほどに、その常習者たちは人間をやめてなどいない。

 

 この冷め切った世界は永遠に「夢」など持たない、「そんなものは存在しないんだ」。

 すべて詩人たるもの、見者たるもの、この他に何ら語るべきことばを持たない。

 

shutendaru.hatenablog.com

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