また一枚脱ぎ捨てる旅から旅

 

「ストリップの帝王と呼ばれる人がいるんですけど、知ってますか?」

 とある踊り子からそのようなことを言われたのは、今から八年ほど前のことだ。ストリップの帝王なる不思議な肩書に惹かれた私は、ぜひとも会ってみたいと思った。

 帝王の名前は瀧口義弘、長野県諏訪市上諏訪温泉にある諏訪フランス座という名のストリップ劇場を経営しているという。帝王という呼称からして、東京や名古屋、大阪といった大都市の劇場をいくつも切り盛りしているのか思ったが、意外なことに長野県の諏訪という歓楽街のイメージが無い街にいるという。それが、この人物の得体の知れなさを物語っているような気がして、興味が湧いた。

 

 このテキストの書き出しを飾るのは、瀧口がストリップの世界で一躍その勇名を馳せるところとなったという、ヤクザとのとあるエピソード。指名手配の時効を逃げ切っただの、ラスベガスで数千万を溶かしただのといった過去をあたかも武勇伝であるかのごとくに披瀝していく、というあり方そのものがこの「帝王」が古き時代の遺物であることを無二の仕方で証明する。

「帝王」がその座にまでのし上がったのも、結局のところ、過剰サービス競争の産物にすぎなかった。最大300人を抱えたという「タレント」の「コース切り」にあたって、「満遍なく仕事を振ってあげなくてはいけません。誰もが生活のためにやっているわけですから」という弁には相応の説得力があるし、どぶ板丸出しの宣伝戦略の土臭さにも非常なリアリティはある。しかし、実際に瀧口が具現した集客術の根幹といえば、いわゆる「本番まな板ショー」や「ピンク部屋」、つまりは「芸ではなくセックスを売り物とした」その果実に過ぎなかった。

 もっともそんなことを誰よりも知悉しているのは、他ならぬ「帝王」自身だった。曰く、

「誰が踊り子たちを求めたんですか。お客さんであり、全国の劇場ですよ。彼女たちを乗せれば、それだけお客さんが入ったわけなんです。私も彼女たちのお金でだいぶ稼がせてもらいました。お互いが望んだ状況だったんじゃないでしょうか」。

 

 朝霞、立川、高崎――

 瀧口が経営を委ねられ、立て直した劇場の立地にはことごとくある共通点があった。

 すなわち、軍隊である。

 朝霞では陸軍士官学校がそのまま米軍のキャンプドレイクへと転用された。立川でも陸軍飛行場がそのまま米軍のフィンカムへとコンバートされた。高崎にも明治時代に陸軍十五連隊が置かれ、周辺は色町として大いに栄えた。瀧口のキャリアの出発点である木更津も、戦前には海軍が拠点を構え、その後米軍が駐留、そして今も陸自の駐屯地として機能している。

 男をかき集めて住まわせる、必然彼らは女を求めずにはいない。ある時代においてその受け皿を担ったのが、ストリッパーであり、瀧口だった。

 とある劇場の楽屋にて、タガログ語で記された落書きを目にする。

 ハポン プータンイナモ

 その意味は、「日本人の馬鹿野郎」。

 

 それにしても、である。

 大風呂敷は多分に含まれてはいるのだろうが、瀧口の懐に相当の金が流れ込んできたことそれ自体に疑いの余地はない。堅気ではまず稼げるはずもない資産を手に、早々に足を洗って、悠々自適の暮らしを設計することもできただろう。なにせ元は叩き上げの敏腕銀行員である。

 ところが、「帝王」とかつて謳われたその男が、取材時には安アパートに独居住まい、辛うじて生活保護で長らえていた。

 当人に言わせれば、それらはすべてギャンブルで使い果たした。その自供を容易に鵜呑みにしようとは思わない、自称最盛期に月18000万、しかもほとんどが非課税などという収入をたかが博打だけでそうそう溶かし切れるはずはない。しかし何かしらにせよ、瀧口はそのあぶく銭を吐き出さずにはいられなかった。

 

 そして「帝王」は、老境に差しかかってなお、山間の寂れた温泉街のストリップ小屋に居場所を求めずにはいられなかった。周縁から密やかに性のニーズを供給し続けたアウトサイダーの居場所はそこにしかなかった。ポルノ動画だろうが、デリヘルだろうが、セックスがインスタントに手に入る時代から完全に取り残されたその場所にしか、瀧口は住まうことができなかった。

「ストリップ劇場は、間違いなく社会のセーフティーネットの役割を果たしている」。

 その小屋を閉じるにあたって、ある客との逸話を明かす。その男は精密機器メーカーの開発者、「自殺場所を探していたら、ストリップ劇場が目に入ってきて、息抜きを兼ねて入ってみることにしたと。私とテケツ[チケット窓口]で話し、その後に見た風香のステージにえらく感動して、生きる気力を取り戻して、劇場に通ってくるようになったのだそうです」。

 その証拠があった。

「諏訪フランス座の場内には、巨大な踊り子のポスターが貼ってある。サイズはA0でその大きさに驚き、客の誰もが一度は目をやる。そのポスターを作成しているのが、自殺場所を探していたというサラリーマンである」。

 

「帝王は帝王でも人の為に生きた帝王だった」。

 ご立派に過ぎるこのまとめ方には少なからぬ危うさを覚えぬことはない。しかし、この言には一片の真実を認めずにはいられない。

 

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