アメリカンビューティー

 

 これは偉大なるエレクトリック・シティの興亡の物語だ。この都市構想は「狂騒の1920年代」きってのマスコミの話題の的となり、議会では10年間にわたって激論が交わされ、138本もの法案を生み、クロンダイクのゴールドラッシュ以来というほどの投資熱を誘発し、世界の都市計画のあり方を変え、そしてもう一歩でヘンリー・フォードアメリカ大統領に選出されていたかもしれない。そんなムーブメントまで巻き起こした。

 一方でこれは、熱のこもった長年の努力が水泡に帰した一大構想の物語でもある。フォードの構想に反対し、その実現を阻んだのはジョージ・ノリスという上院議員。今ではほとんど忘れ去られているが、アメリカ現代史上の重要人物で、これは彼の物語でもあるのだ。……

 この物語は詰まるところ、アメリカならではの楽観主義と変革の精神を浮き彫りにする――新しいことに挑戦し、新たなシステムを生み出し、新しいビジネスのやり方を試し、そして新たな暮らし方を身につけていく、そんなアメリカ特有の熱意だ。本書には、一般にはほとんど知られていないが個性豊かな人物たちも登場する。夢想家に、詐欺師まがいの商売人、政治家、それにビジネス界の巨人たちが、アメリカ南部のちょっとした王国ほどの地域の未来を手中にすべく、鍔迫り合いを演じたのだ。テネシー川の支配権をめぐる彼らの闘争は、私たちが抱える多くの諸問題の先駆けでもあった。つまり自らの野心の実現と他人への利他心、産業開発と環境保全、最先端のライフスタイルと古き良き暮らし、それらのバランスをいかに見出すべきかという問題である。

 

 アラバマ州といえば、今日においてもなお全米屈指のプア・ステートとして広く知られる。もっともその貧困の歴史は、昨日今日に始まったことではない。20世紀初頭に至るまで、ローザ・パークスを生んだ、『アラバマ物語』のその舞台の主要産業といえばせいぜいが農業、もっとも働いたところで市場に報われることもなく、小作人の死屍累々が積み上げられたに過ぎない。

 その地に千載一遇の好機が舞い降りる。科学と戦争の結婚、第一次世界大戦だった。爆薬に用いられる硝酸塩は、空気中の窒素を取り込んで固定化することで作られるが、このプロセスは膨大な電力を必要とする。そこで政府が目をつけたのがテネシー川、巨大ダムによる水力発電でそのエネルギーを賄おうというのがプランだった。かくして不毛の地マッスル・ショールズ周辺は建設特需に沸き返る。

 だがしかし、戦争が終わってしまえば、これら未完の巨大施設は無用の長物と化した。夢の跡は一夜にして塩漬けとなりかけて、ここでようやく本書の主人公、ヘンリー・フォードトーマス・エジソンのお出ましとなる。フォードが提案するところでは、ダムの建設コストを負担する見返りはその電力の独占的使用権、それを保証してくれさえすれば、工場や城下町による繁栄を約束しようではないか、と。

 そしてこの自動車王、いかにも抜け目がなかった。硝酸塩のプラントも活用して窒素肥料を農家に安価で提供することを確約する、エジソンとのダブル・ネームによるこの提案にたちまち世論は喝采を浴びせ、ついには立志伝中の英雄を次なる大統領へ、との呼び声すらも聞かれはじめる。

 

 100年前を舞台としたこの主題が現代において改めて見直されるには相応の理由がある。というのも、ポピュリズム溢れるこの風景の何もかもが、今日と重ならずにはいないのである。

 フォードが大衆的な人気を博した理由の一つは、その著しい反ユダヤ主義だった。彼が唱えたロジックは典型的な陰謀論者、ディープ・ステート論者のそれ、曰く、先の大戦を誘発したのもすべては金goldであり、つまりはそれを一手に牛耳るユダヤ人たちだった。マッスル・ショールズは単なる利権争いではない、少なくとも彼はそう強弁してはばからなかった。「フォードは対決の構図を鮮明にした。一方にはフォード。国民(とくに南部)の幸福のために無私無欲で献身し、農民を救い、雇用を創出し、戦争を終焉させようとしている男。対するはフォードの怪しげな『敵勢』。『沈黙し、秘密主義で、威嚇的』と、あの『国際ユダヤ人』勢力をほのめかしてい」た。

 ついてはこの買収劇をめぐっても、金本位制のドルによってその資金調達を賄うことはしない、そう宣言した。彼が構想したのは、「金の裏づけではなく、ダムとそれが生み出すエネルギーが持つ莫大な価値に支えられた新たな種類のドルである。紙幣を刷り(それをフォードは『エネルギー・ドル』と呼んだ)、それを使って建設に必要なものを購入し、完成したら事業が生む収益で紙幣を買い戻すという仕組み」だった。それはまるでMMTの打ち出の小槌を真に受ける人々に限りなく似ている。言い換えれば、つまるところ、そんな絵空事に逃避する他ないほどに支持者たちの暮らしぶりが破綻していることの証左でもある。

 

 その中で、ついに大統領との手打ちにすらもこぎつけたかに見えたフォードの前に立ちふさがったのが、上院議員ジョージ・ノリスだった。開拓農家出身、12人兄弟の11番目の彼にとって「民主主義とは、政府がエリート層ではなく庶民のために働くことだった。……少数者の富よりも、大衆にとっての社会的・経済的公正の実現を主張するものだった」。

 この点のみを見れば、フォードの自画像に少なからず通底するものが横たわる。しかしこの一匹狼は、ロビイストに何を囁かれたわけでもなく、議会において敢然とフォードに反旗を翻した。なぜならば、テネシー川は一企業の独占所有物ではなく、国民の共有財産として政府の手によって管理されるべきものだから。

 彼はフォードの計画を阻止すべく、次々に決定打を放ち続けた。公聴会エジソンを招致、その場でエネルギー・ドル構想について「この通貨は十分な担保がありますが、うまくいかないでしょう」との証言を引き出し、さらにはフォード子飼いの記者からも大統領との密約を語らせる。フォードの出資に頼ることなく、議会において彼が確保し続けた予算によって、ウィルソン・ダムもついには完成の運びとなった。

 かくしてフォードは、「今や国民的な資産になるという見込みはほとんどない。むしろ国民的なお荷物になる可能性が高い」との捨て台詞とともに撤退を余儀なくされた。

 

 この後の顛末をネタバレと糾弾されることもまさかなかろう。

 間もなく襲来する世界大恐慌からアメリカを救い出すべく立ち上げられた、F.D.ローズヴェルト政権のニュー・ディールの旗艦政策としてTVAが今日まで遍く語り継がれている。

 しかし筆者はこの通説にも疑義を差しはさまずにはいられない。というのも、「テネシー川流域の変化はたしかにTVAによって促進されただろう。しかし電力の大々的な普及やさらなる工業化、借地農家や小作農家の減少など、同様の変化は同時に全米で進行していたのである――TVAなしでも」。集約型農業への移行においてTVAは「こうしたプロセスを多少は促進したとはいえ、より大きな全米規模の傾向のなかでは、小さな部分を占めたにすぎない」。肝心要の電力においてすらも、「この地域では1933年から1960年の間に、一人当たりの電気の使用量が20倍に跳ね上がった」とはいえ、「大規模な電化と電気の消費量の増加は全米で起きていた。それもほとんど同じ速さで」。ある研究によれば、「TVAが影響力を持っていた地域では、製造業の雇用の増加は実はほかの地域よりも鈍かった」。

 実証性なき実効性なき妄想を走らせる前に、まずはファクトを直視する。未だ来たらざるものは、過ぎ去りしものの延長線上にしか存在しない。

 

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