懐かしい年への手紙

 

 その画像は奇妙だった。シリアの地獄から出てきた、血も銃弾の痕もない謎めいた写真。横顔を見せた2人の男の周りを本の壁が取り囲んでいる。……

 これはダラヤの中にある秘密の図書館だという。わたしは大きな声で繰り返した。「ダラヤの秘密の図書館」3つの音がぶつかりあった。ダ・ラ・ヤ。反逆の町、ダラヤ。包囲された町、ダラヤ。飢餓の町、ダラヤ。……2011年の反乱が始まった地の一つであり、2012年以来アサド政権の軍隊によって包囲され、爆撃されていた。その爆弾の下、包囲された町の地下で本を読んでいる若者たちの姿がわたしの好奇心を惹きつけた。……

 とうとうその写真の撮影者、アフマド・ムジャヘドの手がかりを見つけた。アフマドはこの地下の広場を作った人の一人だった。外部への唯一の窓である接続の安定しないインターネットを通して、アフマドは語った。荒れ果てた町、廃墟となった家々、火と埃、その瓦礫の中から数千冊の本が救い出され、この紙の避難場所に集められて、全住民がそれを利用できること。彼は何時間も、反乱の町の灰から生まれた文化遺産救出計画を詳細に語った。それから、絶え間ない爆撃のこと、空腹のこと、飢えを紛らわす木の葉のスープのこと、それに、心を満たすための際限のない読書のこと。爆弾に相対して、この図書館は彼らの隠れた砦だった。本は、生きていくための特訓の武器だった。

 

 2011年、アラブの春のワンシーン。

 若きデモ参加者たちが、兵士たちに向かって自らの手に持っていたアイテムを差し出す。それはバラの花と水の瓶。時の独裁政権プロパガンダが伝えるところの「憎しみに満ちた宗教狂いで完全武装の反逆者集団」である彼らが、ベトナム反戦運動のフラワー・チルドレンそのままに、「武器ではなく、花」を再現してみせる。

 

 爆撃の合間、それでも人々は図書館に集った。そのワークショップで配布されたのはパズル・ピース型のカード、組み立てに四苦八苦する参加者の中で、たったひとつのグループだけがタスクを成功させる。プレゼンターは言った。「当然です。パズルをする前に完成形を目にしたのはこのグループだけです」。さらに続ける。「頭の中に正確な予想図がなければ、きみの頭は混乱した状態だ。優先順位を決めれば、負ける確率は下がる」。テロリストたちは目の前の「しっちゃかめっちゃか」に翻弄される中で、武器によってさらなる混沌を呼び込むことしかできない、対して抵抗者たちは「予想図」を通じて明日のシリアに希望をつなぐ。「予想図」とはすなわち、テキストだった。

 

 このノンフィクション、まるで本にでも書かれているかのような出来事が続く。

 本に書かれているような。

 この表現には時にやましさが伴わずにはいない。活字の上ならばどうとでも書ける、嘘を重ねられる、ひょっとしたらこの『戦場の希望の図書館』にしても、活動家による全くのでっち上げなのかもしれない、と。

 しかし、本に書かれているような、との印象をこの1冊が与えるのはもはや必然なのである。なぜならば、ある種の経験主義的リアリズムに従えば、時の体制に阿諛追従して寄らば大樹の陰を決め込むことこそが、我が身の安全を図るいかにも賢明な態度ともいえるのだから。しかしそんなものがいかなる帰結を招くかもとうに世界は目撃している、つまり、嵐は勝手に鎮まりなどしない、静かにやり過ごしていさえすれば事態はいずれ好転してくれるなんてことは決して起きない、全体がシュリンクしてかえって己や子々孫々の未来が毀損されるだけだ、ということを。人をやめて犬へと堕する、量産型の量産型による量産型のためのそんな惨めで浅はかな歴史のリアルを書き換えるためには――お花畑な、フィクショナルな想像を現実へとインストールしてしまえばいい、そう、まるで本に書かれているようなことを現実にしてしまえばいい、誰よりも先行して「初めに言logosがあった」ことを受け入れてしまえばいい。

 このテキストは内戦下のシリアにあって、本‐気でそんなことを実現しようとしている人々を描き出す。彼らがむしろ想像上のまばゆき存在として映らない方がどうかしている。

 

 反知性主義愛国教育の中で育ったその若者にとって「本というのは嘘とプロパガンダの味がするものだった」。友人のひとりから瓦礫の本を救い出そうと誘われても、その意味すら分からなかった。その中で一冊を何気なく拾い上げる。彼がほとんど解することのない英語で書かれたその一冊、にもかかわらず、「彼は震えた。彼の中のすべてが揺れ始めた。知の扉を開いたときの心を乱すざわめきだった。一瞬、紛争の日常から逃れる感覚、たとえわずかでも、この国にある書物のひとかけらを救ったという感覚。そのページをくぐり抜けて未知の世界へと逃げ出すような感覚だった」。

 この図書館の一番人気のテキストは、パウロ・コエーリョアルケミスト』。その理由は判然としていた。「彼らにとってなじみのある概念を単純な言葉で言い表しているからだ。自分への挑戦である。彼らには、自分の夢を見つけ出すためにアンダルシアからエジプトまで旅する羊飼いの旅の話はとりわけ魅力的だったに違いない。彼らはこの本を若い革命家である自分たちの苦難の旅を映し出すものとして読んでいた」。たかが小説家によって組み立てられたおはなしが、カリスマに満ち満ちているはずのどんな独裁者のアジテーションよりも戦地の彼らを触発せずにはいない。

 

 主要メンバーのひとりにとっての最愛のテキストは『殻』、「シリア人でキリスト教徒のムスタファ・ハリフェが“砂漠の牢獄”と呼ばれる、悪名高いパルミラ刑務所で12年を過ごした後で書いたものだ。一人称で書かれ、ハーフェズ・アル=アサド政権下で自分が投獄されたときの看守の残酷さと拷問、悪夢についてのおぞましい描写がちりばめられている」。そんなテキストを自身が奈落に置かれてすら読まずにはいられない。彼は言う。「今の僕たちには自分たちの過去に目を向けることが大事なんだ。疑いと絶望のとき、そのことが僕たちの戦う理由を思い出させてくれるから」。なぜに入替可能で入替不要なすべて退屈な実存とやらがいかなる参照にも堪えないのか、なぜただひたすらに論理のみを眼差さねばならないのか、その理由がここにある。現実に目をやれば、人間はそのトラウマ的光景を前に立ちすくみ、ひたすらの麻痺を余儀なくされる。だからテキストによって「その中に浸りきって自分のいる現実を忘れる。すべてが美しく容易な一つの現実に移動するのだ」。そしてその現実を更新するための翼を、「予想図」を授けられる。

 すべて人命は紙より軽い、神より重い。

 彼は言う。

「本を読むのは、何よりもまず人間であり続けるためです」。

 幾度でもリフレインさせよう、あのヨハネ福音書の書き出しを、「初めに言があった」のだ、と。

 

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