あなたに会えてよかった

 

 そんな時期[2009年秋]、新聞の社会面やテレビニュース、週刊誌などは、突如発覚した怪事件の報道に沸き立ちはじめていた。埼玉県警が925日に詐欺容疑で逮捕した当時34歳の女――木嶋佳苗の周辺で幾人もの男たちが次々と不審な死を遂げていた疑いが浮上し、大型の連続殺人事件に発展する、との見方が急速に広まったからである。しかも11月に入ると、はるか西に離れた鳥取県でも連続不審死疑惑が表面化し、メディアの狂騒に一層拍車がかかった。疑惑の中心にいたのは当時35歳の女――上田美由紀であり、その周辺でも多数の男たちが次々と命を落としていた。……

 2つの事件には奇妙なほどの共通点があった。

 まず、佳苗と美由紀はいずれも30代半ばで、生年は1つしか違わない。……どちらかといえば小柄なのに、躯はでっぷりと太った肥満体型の持ち主で、お世辞にも容姿端麗と評せるようなタイプではなかった。なのに2人の周辺で不審な死を遂げていた男たちは、ほとんどが佳苗や美由紀と親密に交際し、肉体関係を持った上、何らかの形で多額の金銭を貢いでいた。

 しかし、いくつかの点では大きな違いもあった。……

 舞台となったのは大都市部から遠く隔たった山陰は鳥取の地であり、美由紀は昔ながらのしがないスナックホステスだった。それも、寂れ切った鳥取の歓楽街の、地元では「デブ専」などと揶揄される場末の店に漂っていた女である。なのに、妻子ある男たちまでが次々と美由紀に惹かれ、多額のカネを貢ぎ、幾人もが不審な死を遂げていた。

 

 本来ならば、社会正義とやらに則って、刑事裁判の問題点にでもフォーカスを当てたレヴューを書くべきところなのかもしれない。

 和歌山カレー事件以来の、状況証拠と認定すべきかすらも怪しい代物が動かぬ物証として裁判所のお墨付きを受ける、その宿痾はこの連続強盗殺人においても踏襲された。被害者2人の遺体から検出された睡眠導入剤の成分が被告とつき合いのあった夫婦からかつて譲り受けていたものと一致した、この事実が法廷においては決定打と見なされた。しかし所詮は市販の量産品である、他のルートの可能性は何ら排除されてなどいない。逆に言えば、この程度の物証しか揃えることのできなかった検察によるひどくお粗末な寸劇として一連の公判が展開されていたことの動かぬ傍証とすら映る。

 地裁においては黙秘権を行使し続けた被告を横目に、国選弁護人は別のとある人物による単独犯行説を展開してみせた。諸条件を考慮すれば、なるほど被告ひとりだけで一連の凶行に及んだとする検察の主張には相当に無理があるようで、さりとて彼らは共同正犯や従犯関係を訴えることもしない。いずれにせよ、本当のところ誰がどのようにして手を染めたのかを証明する材料にはおよそ乏しく、「疑わしきは被告人の利益」との原則に照らせば、むしろリリースが妥当とすら思えてならない。

 しかし、彼女に下された裁判所の判断は死刑だった。

 

 だが、ここでは事件それ自体はひとまず括弧に入れざるを得ない。というのも、これはあくまでテキストをめぐるレヴューを展開すべき場なのだから、そして社会的重要性への配慮からそのような点ばかりをクローズアップすることはむしろ、本書それ自体の趣旨からの逸脱としか映らないのだから。

 私の意に反するように、筆者自身は、ある意味では、以下に私が展開するような取り上げ方には苦言を呈さずにはいない。「間接証拠のみで死刑を言い渡すことへの懐疑も、死刑という刑罰そのものへの疑念も、まったくといっていいほど指摘」せずに、「愚にもつかない“情報”」をいじり倒そう、というのだから。

 そんなことは踏まえた上で、それでもなお言わずにはいられないのである。

 このテキスト、面白すぎる、と。たぶんより正確を期せば、この舞台装置、あまりに面白すぎる、と。これが腹筋崩壊させずにいられますか、と。

 

 鳥取で発生したこの事件を取材するに際して、筆者が拠点として設定したのは一軒のカラオケスナックだった。そこは被告自身がかつて勤務し、複数の男性たちとの出会いの場ともなった店でもあった。そのスナックをめぐるしがらみのいちいちが、傍から見れば笑い転げずにはいられないほどにとにかく「ムチャクチャ」なのである。

 取材時で既に御年70を数えていたママは、「普段はカウンター席の隅にどっしり座ったまま動かず、たまに店の中を歩くと身体中の肉がゆさりゆさりと揺れる。せいいっぱい若作りしているのだろう、薄くなった髪を派手な栗色に染め、しかも両脇で三つ編みしている」。事実上店を仕切るチーママも60歳越え、「長めの髪の毛にチリチリのパーマをあてた……肥満体型の持ち主」。

 絵面を想像するだけで既に抱腹絶倒なのだが、こんな店でも長く続けられるのには理由がある。夫のサイフにより収入面がそもそも安定している上に、このママはスナックとは別に複数の不動産を所有しており、そのうちのアパートの一室に被告を住まわせてもいた。複数の生活保護受給者を物件に抱え込み、そのうちのいくばくかを飲み代としてキャッシュバックさせる、いわば「貧困ビジネス」の親玉としての性格も持つ、とんだ食わせものだった。

 さらに助演女優賞爆誕、ここに第3のホステスがさらなるモンスターとして登場してくる。例に漏れずわがままボディを持て余すこの小悪魔は、なんと当時29歳にして既に5回の離婚歴を積んでいた。しかもそのレイテストの結婚理由が、その男の生活保護費を当て込んでというもの。「生活保護ってことは、決まった収入があるわけでしょ。ワタシは当時、仕事なかったけぇ、仕事が見つかるまで半分もらおうと思ってな」とさらりと言ってのける。別れてはいるが、常連客とホステスとして顔を合わせる関係は続き、なんなら元夫も元夫で、新恋人を連れ込んでは老いらくのディープキスを見せびらかさずにはいられない。対する元妻も元妻で、店で知り合った男と新たに交際してもいる、しかもそれというのが、かつて被告とも付き合っていた人物と来ている。そんな元カノの様子を知りたくてか、ふらっと裁判所を訪れては高倍率を潜り抜けて飄々と傍聴券を引き当てていく強運ぶりには、もはやもののけの風情すら漂う。

 誰だって言いたくなる、このミステリー・スポットを「取り巻く人間関係は、どう考えてもメチャクチャである」。

 

 ところがこんな「ドン底の店」に、鳥取の経済スケールを鑑みればエリートとも呼べる男たちがふと迷い込んでくる。例えば全国紙の記者、例えば警察官、そんな彼らが被告に数百万を抜き取られた後、ある日、次から次へと命を落としていく。肥満体、ゴミ屋敷住まい、5人の子持ち、息を吐くように嘘をつく、たとえちょっとやそっとの優しさを示してくれたにしても、こんな見え見えの地雷に比べればはるかにまともな条件を満たした女性などいくらでもいただろうに、時に家庭すらも捨てて、彼らは被告に吸い寄せられて、そして消えていった。

 やがて筆者は思う。

「男たちが吸い寄せられたのは、美由紀という女の魅力によるものでもなければ、美由紀が弄したという大ウソの数々によるものでもなかったのではないか。むしろ、それぞれが自身の内部に密やかに育て上げていた業や宿痾のようなもの――それは仕事や人間関係の中にあったのかもしれないし、一見充実しているように見えても空疎なものを内包した家庭の中にあったのかもしれないし、もっとプライベートな性癖や嗜好の中にあったのかもしれない――に耐えかねた男たちが、寂れ切った歓楽街で妖しく口を開く底なし沼に吸い寄せられ、自ら進んで堕ちてしまったのではなかったか。だとすれば美由紀は、沼の入り口で青白く瞬く誘蛾灯のような存在に過ぎなかったのかもしれない、と」。

 このくだりに私がふと想起させられた事件がある。渋谷のモルタルで起きたまるで神隠しのようなあの、通称東電OL殺人事件。死神に首を差し出すように、ロシアンルーレットをもてあそぶように、日々己を痛めつけてやまない彼ら被害者は自らの終焉を待ちわびていたのではないか、と。他人事として眺めればもはやシュールなコントとすら見えてしまうこの世という地獄との訣別を望み、来たるべくして天へと迎え入れられたのではないか、と。被害者――とされる人々――を主語に事件を読み換えるとき、誰が殺したのかというトピックはもはや副次的な要素として後景へと退くことを余儀なくされる。

 だとすれば、どうしてこの死を祝福せずにいられるだろうか。どうしてしゃらくさい法廷劇の茶番にかかずらっていられるだろうか。

 

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