What Does the Fox Say?

 

 本書の執筆を思い立ったのは、1719年に出版された、ハンス・フリードリッヒ・フォン・フレミング『完璧なドイツ人の狩人』を読んだことがきっかけだった。「フックスプレレン(Fuchsprellen)」と呼ばれる娯楽を描いた不思議な挿絵が、私の目を釘付けにしたのだ。正直なところ、18世紀のドイツ語に精通しているわけではないが、「キツネ」と「跳ね返る」という、あり得ない組み合わせの言葉が使われていることは確かだった。挿絵を見て、自分の解釈が間違っていないことを確信した。着飾った貴族たちが、足をばたつかせている生き物を、平気で宙に放り投げているのだ。……

 この「キツネ潰し」(英語では「キツネ投げ」)という娯楽は、歴史の記録の本流からこぼれ落ちてはいるが、ゲルマン民族の狩猟の歴史の中で異彩を放つ興味深いスポーツだ(言っておくが、本当に目を疑う光景なのだ)。それが長年、表舞台から姿を消したままになっているという事実を考えると、こんなふうに忘れ去られているスポーツはそのくらいあるのだろうかという疑問がわいてくる。本書では、その答えを見つけるべく、歴史に埋もれた空白をのぞきこんでみたい。……

 本書を執筆するきっかけは、18世紀のドイツ人がキツネを空中に放り投げて楽しんでいる絵を見たことだったが、調べていくとさらに怪しげなものが次々と出てきた。単に酔狂だというだけでなく、あろうことかこれらは賛美されていた。ここで取り上げるスポーツやゲームを通じて、とても信じがたいような驚愕の歴史をのぞきこんでみれば、我々の先祖のユーモア、創意工夫、あるいは狂気の沙汰を、これまで以上に深く理解できるようになるだろう。

 

 勝手読みの早合点でしかないのだが、てっきりこのテキスト一冊をつぎ込んで、「キツネ投げ」なる珍妙なスポーツにスポットライトを当てて、その系譜をひもといていくものとばかり思い込んでいた。

 だがしかし、本書はそのような構成を取らない、いやおそらくより正確には、取りようがなかった。

 この300ページ強のテキストで取り上げられる競技は、およそ100種類近くにのぼるという。つまりは、ひとつのテーマにあてがわれるのはたかだが平均3ページ程度。ところどころに口絵がはさまれているので、実際のところはさらに少なくなる。

 言い換えれば、その程度のボリュームで足りてしまうのである。

 

 ランダムに開いたページから、いくつか競技を拾ってみる。

 211ページ、「ニューヨークの闘牛」。

 闘牛そのものは、曲がりなりにも今日になお伝えられている。がしかし、ここで着目するのは、あくまで1880年のビッグ・アップルで開かれたとある興行の一場面でしかない。大々的な宣伝の甲斐あって、破格の高値にもかかわらず、チケットを求める観客で押すな押すなの大行列。この未知の見世物への期待は青天井に高まって、そして、裏切られた。マタドールであるはずの彼らが凛々しさのかけらもないズブの素人であることは見た目からして明らかで、いざ牛が放たれると、一目散に塀の向こうへと逃げ出す始末。不手際から布に視界をふさがれた牛が囲いに向かって猛チャージをかますが、コントロールできるものなど誰もいない。不幸中の幸いといえば、早々に興味を失った観客たちが、危害の心配に及ぶまでもなく、そそくさと退散を決め込んでいたことだった。

 141ページ、「金魚飲み」。

 文字通り生きた金魚を丸飲みするだけのこの競技に、よりにもよってアメリ東海岸の名門大学が熱狂した。はじまりはハーバードの一学生の度胸試し、しかし大学対抗のかたちをとっていつしかエスカレートして、レコードはついに210匹にも到達し、そこでドクターストップがかかる。「大学上層部は、健康被害への警告が急を要するのと、著しく公衆道徳を乱していることを受け、英国王ジョージ6世の同意を得たうえで、最終的にこの慣習を禁止した。実は19396月、フランクリン・ルーズベルトの招きで訪米した国王が、この遊びを大いに賞賛していたのだ」。

 261ページ、「ロイヤルゲーム」。

1897年、ロイヤルゲームという自転車競技が登場したが、人気が出るだろうという大方の予想を裏切り、あっという間に忘れ去られた。自転車に乗って行うポロ競技の一種だが、スティックで転がすのはボールではなく、直径28インチ(約71センチ)、幅4.5インチ(約11.4センチ)の空気入りタイヤだった。その基本構想だけ聞くと、十分良い競技になりそうだが、プレーの仕方がちょっと入り組んでいた。9人の選手からなる2チームが、白線で二分されたグラウンドでそれぞれにプレーをした。……選手たちは通路の周囲を自転車で走りながらタイヤを転がしていき、競技場の両端に設けられたゴールにタイヤを入れると得点になる。ただ、プレーヤーは常に縦一列になって自転車を走らせるしかなく、しかも相手チームとは走る向きが逆になるため、コースを周回するたびに衝突が起きた。……衝突したり、強く張ったケーブルに引っかかったりするリスクが高く刺激的ではあったが、あまりにけがが多いことや、タイヤが横倒しになるたびに止まって拾い上げるのが面倒だったこともあって、ロイヤルゲームは日の目を見ることなく消えていった」。

 

 もちろん中には、ラップバトルへと発展的解消されただけとも言える「口論詩」や、フードファイトのニッチ・ジャンルとしての「オートミール粥早食い競争」のような代物もあるが、こうしていずれのスポーツも歴史の中に埋もれていった。その原因として、根本的なレギュレーションの設定ミスあり、あまりの残酷さあり、危険性あり、とこじつけはするのだが、もっとも、例えば健康リスクを理由にするならばボクシングもアメフトもとうに禁止されているはずだろうし、ハンティングやフィッシングや競馬あたりは動物虐待とみなすには十分なものだろう、ルールがネックになっているというのならば単に変えてしまえばいいだけのこと、メジャー・スポーツが現にそうしているように。

 消えていった理由は非常にシンプルで、最終的には、つまらないから、という一点に帰着せざるを得ないのである。

 だからこそ、単体の競技やプレイヤーに絞ってテキストを編めるほどのエピソードや逸話が集まることもないし、こんなことを昔はやっていたらしいよ、という牧歌的とも言い難いトリビア以上の何かに仕上がることもない。ただでさえ少ない情報をさらにカット・アンド・ペーストしただけのフォーマットを単調に繰り返されても、跳ねる気配は一向に見えず、ご苦労様と思う気力すら沸かない。

 スポーツとして面白くないのに読み物としては面白い、そんなミラクルはまさか起きない。

 

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